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【シリウス・ユリア編】星風の国物語~呼び笛の向こうへ~  作者: 月森みのり


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第四十五話 追いかけっこ


 ローランがまだ団長ではなく第一部隊の騎士だった頃。


 ヴィオラの私室では、低い机を挟んで、三人の男女がソファーに腰を下ろしていた。

 机の上には、二通の書類が並んでいる。

 一通は、騎士団長の署名が入った推薦状。

 もう一通には、王家の紋章が押されていた。


 ローランは膝の上で両手を組み、書類へ目を落としていた。


「どちらを選ぶにせよ、君の働きが評価されていることに変わりはない」


 隣に座る騎士団長が口を開いた。


「光栄なお話です」


「うむ」


 騎士団長は短く頷いた。


「どちらも、あなたにとって不足のない役目でしょう」


 向かいに座るヴィオラはそう言って、手元のカップをソーサーへ戻した。


「だからこそ、あなた自身に決めていただきたいのです」


 ローランは口を閉じた。

 机の上で、二通の書類が並んでいる。


 窓から吹き込んだ風が紙の端をわずかに持ち上げる。


 ヴィオラはローランの様子を眺めていた。

 しばらくして、侍女に声をかける。


「シリウスを呼んできなさい」


 侍女は一礼し、扉の向こうへ消えた。

 ローランはヴィオラへ目を向けたが、彼女は何も言わず、再びカップを手に取った。


 やがて、廊下から軽い足音が近づいてきた。


「ヴィオラ卿ー!」


 扉が開き、シリウスが顔を出す。

 軽快な足取りで部屋へ入ったシリウスは、ソファーに座る三人を見渡した。

 その途端、顔を固くし、口を結ぶ。


 ヴィオラに視線を向けて、小さく呟いた。


「……難しい話か?」


「大事な話です。こちらに座りなさい」


 シリウスは小さく肩をすくめ、ヴィオラの隣へ腰を下ろした。

 それから、机の上の書類を覗き込む。


「これは?」


「ローランについてです。こちらは、騎士団長に推薦するもの。もう一つは、あなたの専属騎士になるためのものです」


「俺の専属騎士?」


 シリウスは目を瞬いた。


「そろそろ、そういう者を選んでよい年頃でしょう」


「……そうか」


 シリウスは二通の書類を見比べた。

 しばらくそれらを眺めたあと、シリウスはローランへ顔を向けた。


「俺が決めるのか?」


「……決めるのはローランです。あなたは、あなたの意見を言うだけですよ」


 ヴィオラの言葉に、シリウスは頷いた。


「それなら、簡単だ」


 シリウスは騎士団長への推薦状を手に取り、ローランの前へ差し出した。


「団長になれ、ローラン」


 青い瞳が、真っ直ぐにローランへ向いている。

 ローランはわずかに目を瞬いて、肩の力を抜く。


「……決断が早いですね」


「だって、俺に専属騎士はいらない」


 シリウスは口元を緩める。


「俺が自分で騎士になるからな」


 胸を張って言い切ったシリウスに、ヴィオラは息を吐いた。


「そう言うとは、思っておりましたよ」


 そう呟くヴィオラに、シリウスは眉を上げた。


「本気じゃなかったのか」


「建前が大事なときもあります」


「難しいな」


 シリウスは肩を揺らした。


「ローラン。俺は騎士になる。だけど、それだけじゃ意味がない」


 ローランは顔を上げて、シリウスを見た。

 シリウスは目を細めて笑った。


「俺が騎士として立てる場所を、作ってくれ」


「……騎士として立てる場所……」


「そういうのは、団長の仕事だろ?」


 シリウスはローランの隣に座る騎士団長へ視線を移した。


「そうですね」


 騎士団長はゆっくりと頷いた。


 ローランは一度だけ瞬きをした。

 それから、机の上を見るように目を伏せて、口元を緩ませた。


「……承知しました」


 ローランは推薦状へ手を伸ばす。


「あなたが駆け回れる場所を用意しましょう」


 シリウスは満足そうにうなずくと、ソファーの背もたれに身を預けた。

 ヴィオラはカップを持ち上げ、口元へ運んだ。


「ふふ。あなたたちの追いかけっこは、終わりそうにありませんね」


「……それは嫌だな」


 シリウスが眉を寄せる。


「あなたが逃げなければ済むことです」


 ローランは答え、書類の文字を目で追う。

 窓辺のカーテンが、風にゆっくり揺れていた。



   ◇



 ローランが面会室に入ると、壁際に立っていた監視の騎士が一礼した。

 机の向こうでは、シリウスが椅子に腰掛け、頬杖をついている。


「待ちくたびれた」


「太々しいですね」


 ローランは手にしていた包みを机の上に置いた。

 布を解くと、数冊の本が現れた。

 背表紙には、それぞれ異なる題名が記されている。


「お、戯曲じゃないか。助かった、暇でしょうがなかったんだ」


 シリウスは一冊を手に取り、表紙を確かめる。

 続けて別の本を開き、数ページめくった。


「これなら退屈せずに済みそうだ」


 口元を緩めるシリウスを眺めながら、ローランは向かいの椅子に座った。


「姉様に倣って星祈教に身を捧げるのもありかと、聖典を読み直したりしてたんだが……あれはやっぱりダメだな。綺麗すぎて、すぐ眠くなってしまう」


「……何をしているんですか」


 呆れたような声に、シリウスは肩をすくめた。

 ローランは小さく息を吐いた。


「……王位が決まりましたよ。戴冠式の日取りも」


 本のページをめくっていたシリウスの手が止まった。


「……そうか」


 シリウスは目を伏せた。


「俺は情けない兄だな」


 ローランはすぐには答えなかった。

 机に置かれた本へ目を落とし、それからシリウスを見た。


「おそらく、姫様はそのようには思っておられませんよ」


「……そうかな」


 シリウスは顔を上げず、本の文字を指先でなぞった。

 しばらくして、ローランが口を開いた。


「ユリアは、呼ばないのですか」


「……呼ばない」


「拗ねますよ、あいつ」


 シリウスはわずかに視線を逸らした。


「……あいつはもう、俺がいなくても好きに走れるだろ」


 ローランは思わず目を見開いた。

 やがて、低い声で言った。


「……本気で言っておられますか」


 シリウスは眉を寄せた。


「……なんだよ」


 ローランは口を開きかけたが、言葉にはならなかった。

 二人の視線が交わる。


 しばらくして、ローランは額に片手を当てて息を吐く。


「今度は、木剣を持ってきます。監視付きなら、手合わせもできるでしょう」


「それは、有り難いが……どうした、急に」


「根性を叩き直した方が良さそうなので」


「……手柔らかに頼む」


「それは聞けぬ相談です」


「……そうか」


 シリウスは小さく肩を落とした。

 ローランは机の上の本を一冊、シリウスの手元へ押しやった。


「読む時間は十分にあるでしょう。せいぜい英気を養っておいてください」


「ずいぶんな言い方だな」


「何か問題でも?」


「……いや」


 シリウスは本を受け取り、背表紙へ目を落とした。

 それから、ぽつりと呟いた。


「……お前は変わらないな」


 ローランは片眉を上げた。


「変わって欲しかったですか」


「いや。有り難いという話だよ」


 シリウスは本を机に置いた。


「俺はずっと、逃げてばかりだろ」


「今更ですね」


「……そうだな」


 シリウスは口元だけで笑った。

 机の上の本へ目を落としたまま、しばらく指先で表紙をなぞっていた。


「証拠として押収された日記が、返ってきたんだ」


 静かな声に、ローランが顔を上げる。


「読み返してみたら、お前との追いかけっこばかり書かれていた」


「……」


 ローランは何も答えなかった。

 シリウスは本から手を離し、椅子の背もたれに身を預けた。


「……お前、何でまだ追いかけてくるんだ」


 ローランは片眉を上げて、シリウスを見つめた。


「あなたほど、追いかけがいのある方はおりませんよ」


「……そーかよ」


 シリウスは顔を背け、窓のない壁へ視線を向けた。

 その横顔を見て、ローランはわずかに目を細めた。


「……私だけですか」


「え?」


「追いかけっこをしていたのは、私とだけでしたか?」


 シリウスは口を閉じた。

 視線が机の上をさまよい、やがてローランから外れる。


 ローランは小さく息を吐いた。


「そういうところですよ。やはり、根性を叩き直しましょう」


「厳しいな」


「あなたが悪いことです」


「……そうだな」


 シリウスは再び本へ目を落とした。

 ローランは椅子から立ち上がり、机の端に置かれた包みを手に取った。


「また来ます。逃げようとしても無駄ですよ」


「……ここから逃げる場所なんてないだろ」


「さて、どうでしょうね」


 ローランは包みを小脇に抱え、扉へ向かった。

 背後から、シリウスの声が届く。


「ローラン」


 ローランが振り返った。

 シリウスは机の上の本を手に取った。


「ありがとな」


 ローランは小さく頷いて、片手を上げた。




 扉が閉じる直前、廊下の空気が部屋へ流れ込んだ。

 冷気を帯びた風が、シリウスの肩に触れる。

 かすかに鈍い痛みを感じて、シリウスは眉を寄せた。


 肩の傷はとうに塞がっていて、日常の動作に支障もない。

 ただ、冷え込む日には、こうして疼くことがあった。


 シリウスは片手で傷痕の辺りを押さえた。

 指先で肩を揉みながら、椅子の背もたれに身を預ける。


 ――……おまじないです。


 不意に蘇った静かな声に、シリウスはわずかに目を見開いた。

 胸の内に、傷の疼きとは違う熱がゆっくりと広がっていく。


「……参ったな」


 シリウスは天井を仰いで目を伏せた。


「器用で何でも出来るやつだと思っていたが、まじないまで使えたとはな」


 口元に苦笑が浮かんだ。

 肩に置いていた手を、額の上へ移す。


「……あいつも、逃がしてはくれそうにないな」


 シリウスは一人、小さく呟いた。



お読みいただき、ありがとうございます。

この話を少しでも気に入っていただけたら、

感想やレビュー、リアクションなどをぜひお願いします!


次回もお楽しみに!!


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