第四十二話 シリウスの陰⑤
まだ夜が明けきらない頃、シリウスは目を覚ました。
荒い呼吸が、静かな部屋に響いていた。
寝衣の内側には汗が滲み、額にも湿り気が残っている。
シリウスは何度か瞬きをした。
天井を見つめたまま、大きく息を吐く。
強張っていた指が、寝具を握る力を少しずつ緩めた。
しばらくして上体を起こし、額に手を当てる。
こんな目覚めが、いつからか続いていた。
「……どうしたものかな……」
寝台の脇には、脱いだ上着が椅子の背に掛かっていた。
ふと、小瓶のことが頭をよぎった。
あの日、日記帳と一緒に木箱へしまった、濁った紫色の液体。
帳簿に記載のなかった、あの小さな瓶。
シリウスはしばらく動かなかった。
やがて膝を引き寄せ、両腕で抱え込む。
窓の外は、まだ暗いままだった。
出陣前、シリウスは剣の柄を握っていた。
革の巻かれた柄に、指先が食い込む。
手が、わずかに震えていた。
シリウスは一度手を開き、握り直した。
目を伏せる。
――腕に響くような重い一撃。
――迫る剣先。
――肩に走る鋭い痛み。
刃がぶつかり合う音が、耳の奥によみがえる。
――大剣が振り下ろされる間に滑り込む、もう一つの剣。
――眼前で揺れる黒髪。
胸が早鐘を打つ。
――数日後、病室の白い寝具から覗く手。
――リアの身体を覆う包帯。
――眠ったまま、身じろぎもしない姿。
シリウスは息を吐き、目を開いた。
「……」
上着のポケットにそっと触れた。
布越しに、小瓶の感触が伝わる。
しばらく指先を置いたまま、シリウスは動かなかった。
やがて出陣を告げる声が響く。
三日後、騎士団が本部へ戻ったのは夕刻を過ぎてからだった。
鎧には土埃がつき、剣や盾にはいくつもの傷が残っている。
負傷者が治療室へ運ばれていく一方で、帰還した騎士たちは装備を整え、報告の準備に追われていた。
「シリウス様の判断がなければ、あの部隊は間に合いませんでした」
「敵の右翼を崩したときの動きも、見事でした。あの短時間で立て直せるとは」
シリウスの周囲では、騎士たちが興奮気味に戦の話をしていた。
「そうか。皆が無事に戻れたなら何よりだ」
シリウスはそう答え、外した手袋を片手に持ったまま、団長室へ向かった。
室内では、ローランが報告書に目を通していた。
机の上には複数の書類が広げられ、隣では補佐役の騎士が記録をまとめている。
扉の音に、ローランが顔を上げた。
「お戻りでしたか」
「ああ。報告書は渡ってるな」
ローランは手元の報告書を置き、シリウスを見た。
「ええ……快進撃だったようで」
シリウスは肩をすくめた。
「たまたま調子が良かっただけだ」
その後、シリウスは支給品の搬入に顔を出すことが増えていった。
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