第四十話 シリウスの陰③
夜、宿舎の部屋で、シリウスは机の上の燭台に火を灯した。
シリウスは椅子に腰を下ろし、上着のポケットから小瓶を取り出した。
濁った紫色の液体が、火の揺らぎを受けて鈍く光っていた。
「……俺はこれを知っている気がして、つい持ってきてしまった……」
瓶をゆっくりと傾ける。
ラベルはなく、中身を示すものも見当たらなかった。
帳簿に記載がなかった以上、何かの手違いで紛れ込んだものなのだろう。
正体が分からない以上、報告するのが筋だった。
それでも、見覚えがあるという感覚が引っかかっていた。
最近ではない。
もっと昔。
幼い頃に、同じものを見たことがある気がしていた。
「……何だったかな……」
シリウスは眉を寄せ、小瓶を机に戻した。
しばらくして椅子を離れ、寝台の足元へ向かう。
木箱を引き出し、蓋を開けた。
中には、使い込まれたノートが何冊も詰め込まれていた。
幼い頃から書き続けている日記帳だった。
シリウスは一番古いノートを取り出し、表紙を開いた。
紙の端は擦れ、ところどころに折り目がついている。
ページには、大きさの揃わない文字が並んでいた。
最初の数ページをめくる。
目当ての記述は見つからなかった。
一冊を閉じ、次のノートを開く。
さらに数冊めくったところで、シリウスの指が止まった。
『ごめいのぎが始まった。』
拙い文字で、そう書かれていた。
「……ごめい……護命の儀か」
それは王族が十歳になる頃から数年かけて行う儀式で、微量の毒や薬を摂取し、身体を慣らしていくものだった。
再び日記へ視線を戻し、ページをめくった。
やがて、ある記述に行き当たる。
『紫色の液体を飲んだ。
ちょっと甘かった。
体が軽くなった。
剣が振りやすかった。
いつもよりいっぱい走れた。
追いかけてきたローランが嫌そうな顔だったのが可笑しかった。
こういう薬なら悪くない。』
シリウスの指が、紙の端で止まった。
次のページをめくる。
『朝から体が重たかった。
昨日の薬の副作用らしい。
剣が上手く振れなくてイライラした。
つまらないから、姉様のピアノの稽古を見に行った。
音が重なって聞こえた。
気持ち悪かった。
やっぱり薬なんて嫌いだ』
読み終えても、シリウスはページを閉じなかった。
しばらくして、前のページへ戻る。
幼い文字を目で追う。
——飲めば疲労が消えて、身体が普段以上に動くようになるらしいですよ。
先日、訓練場で聞いた騎士の声がよみがえった。
顔を上げると、机の上に濁った紫色の液体が入った小瓶があった。
シリウスは小瓶を手に取る。
「……これか」
燭台の火が、瓶の向こうで揺れていた。
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