第三十八話 シリウスの陰①
時は遡り、ユリアが王室専属配達人に着任して間もない頃。
「……お」
「……あ」
シリウスとユリアは、騎士団本部の庭先で顔を合わせて、互いに足を止めた。
「ローランのところか」
「はい」
「なら、目的地は同じだな。行くぞ」
シリウスは小さく頷き、建物へ向かって歩き始めた。
ユリアもその横に並ぶ。
入口をくぐると、廊下の奥から木剣の打ち合う音が響いてきた。
「最近どうだ?」
シリウスは横目でユリアを見る。
「最近、ですか……?」
ユリアは考えるように首を傾けた。
「姫様へ林檎のパイを差し入れたら、目がキラキラになってました」
「それは見たかったな。今度は俺も呼んでくれ」
シリウスは口元を緩ませた。
ユリアも小さく笑った。
「あと、リアさんがレオニス殿下に遊ばれてました」
「……何をやっているんだ、あの人は」
シリウスは小さく息を吐いた。
「今度、リアにあまり苦労をかけるなと釘を刺しておくか」
「それ、効果あるんですか」
「あまりないだろうな」
二人とも肩を揺らした。
廊下の突き当たりを曲がると、団長室のある区画に入った。
人の往来は少なくなり、訓練場から響いていた音もわずかに遠ざかる。
シリウスは扉の前で足を止めた。
再びユリアへ視線を向ける。
「……楽しいか、配達人は」
「はい」
返事に間はなかった。
シリウスは目を細め、口元を上げた。
「それならいい」
廊下の窓から吹き込んだ風が、静かに首筋を撫でた。
夕刻、シリウスは訓練場で木剣を構えていた。
向かいにはローランが同じように構えている。
踏み込む。
ローランの木剣を受け流し、間合いを詰める。
木剣が交差した瞬間、右肩に鈍い痛みが走った。
わずかに腕が遅れる。
ローランの剣が、シリウスの胸元で止まった。
「シリウス様?」
シリウスは木剣を下ろし、右肩を一度回した。
「……問題ない」
「では、なぜ遅れたのです」
「ちょっと疲れが出ただけだ」
ローランは木剣を下ろさず、シリウスの顔を見ていた。
周囲では騎士たちが稽古を続けている。
掛け声と木剣の音が、途切れることなく響いていた。
シリウスはもう一度、木剣を握り直す。
「……今日はもうお休みください」
ローランが眉を寄せた。
シリウスは構えかけた腕を止め、しばらく木剣の柄を見下ろした。
「……お前が言うなら、そうしよう」
息を吐き、木剣を壁際の棚へ戻す。
ローランは何も言わなかった。
シリウスは訓練場を出る前に、右肩を軽く回した。
動かすたび、傷の奥に鈍い痛みが残っていた。
宿舎の部屋に戻ると、シリウスは上着を脱ぎ、椅子の背に掛けた。
剣帯を外して壁際に置き、そのまま寝台へ身を投げ出す。
シリウスは腕を額に載せた。
目を閉じると、別の光景が浮かんだ。
―――腕に響くような重い一撃。
―――迫る剣先。
―――肩に走る鋭い痛み。
窓の外で、木の葉が風に揺れていた。
その音に、声が重なる。
『最近のシリウス殿下は見違えるようですな。ご立派になられて、臣下としても鼻が高い』
『あれほどの剣の腕だ。どのような任務でもこなされるだろう』
廊下ですれ違った貴族たちの囁き、訓練場で交わされる騎士たちの声。
どれも、シリウスが聞き流してきたものだった。
「……うるさいな」
小さく呟いた。
シリウスは寝返りを打ち、窓に背を向けた。
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