第三十七話 拘束
ユリアが監察局で書類を受け取る数刻前。
騎士団本部の訓練場に、剣の打ち合う音が響いていた。
木剣がぶつかるたび、乾いた音が石壁に跳ね返る。
訓練場の端では数人の騎士が組み手を行い、その傍らでは別の騎士たちが次の順番を待っていた。
「踏み込みが浅い。もう一度だ」
ローランの声が飛ぶ。
向かい合っていた二人の騎士が姿勢を正し、再び木剣を構えた。
そのとき、訓練場の入口から声がした。
「訓練中、失礼します」
入口に立っていたのは、数人の男たちだった。
先頭の男は、濃い色の上着を身につけ、背筋を伸ばしている。
その後ろには、監察局の徽章をつけた職員たちが控えていた。
「監察局主任監察官、エドガー・クロムウェルです」
淡々としたその声に、近くにいた騎士たちが木剣を下ろす。
入口へ目を向けたローランは、わずかに眉を寄せた。
「何用ですか。監査の通達は届いておりませんが」
「今回は、騎士団に対する監査ではありません」
エドガーはそう言うと、訓練場の奥へ鋭く視線を向ける。
壁際で騎士の訓練を眺めていたシリウスが、顔を上げた。
エドガーと目が合う。
「……俺か」
シリウスはわずかに目を細めた。
「シリウス殿下。いくつかお尋ねしたいことがあります。ご同行願えますでしょうか」
ローランは目を見開き、シリウスへ視線を移した。
周囲の騎士たちも手を止める。
木剣を握ったまま顔を見合わせる者もいれば、入口に並ぶ監察局員を窺う者もいた。
訓練場に、さざめくような声が広がっていく。
「シリウス様……?」
ローランが呟いた。
シリウスは答えず、エドガーを見ていた。
やがて、小さく息を吐く。
シリウスはローランの前へ歩み寄り、剣の留め具を外した。
鞘ごと抜き取った剣を、ローランへ差し出す。
「預かっておいてくれ」
ローランは差し出された剣を見た。
それから、シリウスの顔へ目を戻す。
「……」
短い沈黙のあと、ローランは黙って剣を受け取った。
シリウスは手を離し、エドガーへ向き直る。
「行こう、エドガー」
そう言って、先に歩き出した。
エドガーがわずかに目を動かし、道を空ける。
控えていた監察局員たちが続いた。
訓練場の出口へ向かう背中に、騎士たちの視線が集まっていた。
ローランは預かった剣を手にしたまま、その場に立っていた。
シリウスは振り返らなかった。
入口の扉が静かに閉じられた。
木剣を手にした騎士たちは、その場に立ち尽くしていた。
低いざわめきが広がりかけた時、ローランの声が響いた。
「……姿勢を正せ」
騎士たちは一斉に剣を下ろし、足を揃えた。
背筋が伸び、訓練場のあちこちで衣擦れの音が重なる。
やがて、静けさが戻った。
開け放たれた窓から風が吹き抜け、足元の細かい砂がかすかに舞う。
ローランは騎士たちを見渡した。
「まず、監察局の件は私が状況を確認する。混乱を避けるため、この場でのことは他言するな」
並んだ騎士たちの顔を、一人ずつ確かめるように視線を動かす。
「……もし不確かな噂が聞こえてきたり、言いがかりをつけられるようなことがあっても、衝突は避けて報告をあげるように」
騎士たちの間に、わずかな緊張が走った。
「各々思うことはあっても、毅然としていろ」
ローランはわずかに目を細め、声を張る。
「忘れるなよ。我々は個人の騎士ではなく、王国の騎士だ!」
「はっ!」
揃った返事が訓練場に響いた。
ローランは小さく頷く。
「訓練を再開しろ」
その声に再び騎士たちが動き出した。
木剣の打ち合う音が響く。
ローランは手元へ視線を落とした。
預かった剣の鞘には、見慣れた傷がいくつも刻まれている。
柄に巻かれた革も、長年の使用で色が変わっていた。
シリウスは監察局が手配していた馬車で王城へ向かっていた。
車輪が石畳を踏むたび、車体が小さく揺れる。
シリウスは窓際に座り、流れていく景色を眺めていた。
しばらくして、向かい側に座っているエドガーが呟いた。
「……抵抗なさらないのですね」
シリウスがわずかに眉を上げた。
「……抵抗してどうなる。お前たちの『尋ねたいこと』が消えるのか」
「……そんなことはありません」
「だろうな」
シリウスは肩をすくめた。
「俺が自分で歩いた道の結果だろう……受け止めるさ」
窓の外へ目を向けたまま、シリウスは顎をわずかに引いた。
街並みが途切れ、道の先に騎士団本部の建物が見えた。
馬車が進むにつれ、その姿は少しずつ後方へ遠ざかっていく。
「それに、あんな場所で抵抗してみろ。最悪、流血沙汰になるぞ」
エドガーはシリウスの横顔を眺めていた。
声にも、顔にも、目立った変化は見られない。
エドガーの視線に気づいて、シリウスは眉を寄せた。
「……なんだ?」
「……随分、落ち着いていらっしゃるな、と」
「落ち着いてたらダメなのか」
シリウスはわずかに首を傾げた。
「そうではありませんが……少しイメージと違ったので」
「イメージ……?」
エドガーは膝の上に置いた手を組み直し、淡々と言う。
「あなたには、違法薬物を使用した容疑がかかっています」
「……ああ」
シリウスは小さく頷いた。
「疑うだけの証拠が揃っています。周囲にも聞き取りは十分に行いました」
エドガーは目を細めて、シリウスを見る。
「ただ……騎士たちから聞くあなたの振る舞いは、あまり薬物中毒者のようには思えませんでした」
車輪が石畳の継ぎ目を越え、馬車がかすかに跳ねた。
「あの薬には、強い副作用があります。症状に個人差はあれど、隠し通すには、強靭な精神力がいるだろうと推測しました。ですが、腑に落ちません……その精神力を持って、なぜ違法薬物に手を出してしまったのですか」
エドガーの言葉が終わると、シリウスは窓の外へ目を戻した。
石畳のずっと先に、城壁が見え始めていた。
「……買い被り過ぎだな。単に症状があまり出なかっただけだ」
シリウスは窓枠の方へ頭を傾け、目を伏せる。
「薬の効きが悪かったんだ」
「効きが悪い、ですか」
「これでも王族なんでな。薬でも毒でも、万が一に備えて、慣らされている」
エドガーの指が、微かに動いた。
シリウスは静かに続ける。
「医局に記録が残ってるはずだ。俺は以前にも似たようなものを飲んだことがある。だから、副作用もあまり出なかった……それだけのことだ」
「……そうですか」
エドガーは短く答えた。
窓から差し込む光が、二人の間を横切る。
シリウスは目を閉じたまま、窓枠に頭を預けていた。
やがて馬車は城壁の中へ入っていく。
お読みいただき、ありがとうございます。
この話を少しでも気に入っていただけたら、
感想やレビュー、リアクションなどをぜひお願いします!
次回もお楽しみに!!




