第三十六話 配達人の日常
朝の光が、王城の廊下に長く差し込んでいた。
高い窓から風が入り、壁際に掛けられた旗の裾を揺らしている。
ユリアは肩に掛けた革鞄を押さえ、手元の書類に目を落とした。
届け先と受領者の名を確かめると、廊下の先にある扉へ向かう。
扉を叩き、返事を待ってから中へ入った。
「失礼します。騎士団本部からのお届け物です」
執務机に向かっていた文官が顔を上げる。
「ああ、待っていたよ」
ユリアは書類を差し出した。
文官は表紙を確かめ、受け取りの署名を記録簿に記した。
「確かに受け取りました」
「ありがとうございます」
ユリアは記録簿を閉じ、軽く一礼して部屋を出た。
廊下へ戻ると、鞄から小さな手帳を取り出す。
届け先の欄に受領時刻を書き込み、次の行へ目を移した。
記録局へ一通。
財務局へ二通。
順番を確かめ、手帳を鞄にしまう。
階段を下りたところで、向こうから歩いてきた若い文官と目が合った。
「あ、ユリアさん。ちょうどよかった」
呼ばれて、ユリアは足を止める。
「またお願いしたい書類があるんですが、今よろしいですか?」
「はい。お預かりします」
文官が差し出したのは、封をされた書類だった。
ユリアは宛先と差出人を確認し、受領記録に必要事項を書き留める。
「記録局宛てですね」
「ええ。急ぎではありませんが、今日中にお願いします」
「承知しました」
書類を鞄へ収めると、ユリアは再び廊下を歩き始めた。
その背中を、文官はしばらく見送っていた。
「……すっかり慣れたな」
隣にいた文官の同僚が、手元の書類を揃えながら答える。
「届け先を間違えないし、受領記録もきちんと残している。助かりますよ」
「王室専属配達人、か」
文官は廊下の先へ目を向けた。
すでにユリアの姿は、角を曲がった先へ消えていた。
昼を過ぎた頃、ユリアは王城の荷物受け渡し場へ向かっていた。
石畳の広場には、荷馬車が数台並んでいる。
商人や荷運び人が行き交い、木箱を下ろす音や、車輪の軋む音が絶え間なく響いていた。
壁際には、搬入を待つ樽や箱が整然と積まれている。
その脇で、帳簿を手にした男が荷札を確認していた。
見覚えのある姿に、ユリアは足を止めた。
淡い金髪を後ろへ流した男が、商人たちと話している。
紺色の上着は華美ではないが、仕立てのよさがうかがえた。
「ルシアン伯爵」
呼びかけると、ルシアン・ヴェルクは手元の帳簿から顔を上げた。
「おや、ユリアさん。お仕事ですか?」
「はい。こちらの搬入記録を確認しに来ました」
「それなら今、数量を照合しているところです」
ルシアンは傍らの荷札を手に取り、ユリアへ差し出した。
ユリアは受領予定の記録と見比べ、箱の数を確認する。
手を動かしながら、ルシアンに視線を向けた。
「北の街道の話は、ご存知ですか」
「北の街道?」
「北からの荷が予定より遅れています。山間部で雨が続いて、足止めされているようです」
「ああ、そうでしたか。荷を運ぶ順番を考え直した方が良さそうですね……そういう情報は助かります」
「いえ。お互い様ですから」
ユリアは確認欄に印を付け、帳簿を閉じた。
ルシアンが荷札を受け取り、商人たちへ短く指示を出す。
荷運び人たちは返事をすると、次の荷物へ取りかかった。
ルシアンは懐から一通の封書を取り出した。
「こちらをお願いできますか」
ユリアは差し出された封書に目を向けた。
表には、整った文字で宛先が記されている。
「セレナ様宛てですね」
「ええ」
ユリアは封書を受け取り、配達用の記録簿に差出人と宛先を書き留めた。
「伯爵は、お手紙がお上手ですね」
「そうでしょうか?」
「はい。宛先も分かりやすいですし、文字も読みやすいですから」
「それは、手紙を書く者として当然のことではありませんか」
「そうでもありませんよ。内容が支離滅裂だったり、誰に宛てたものなのか分からなかったり……とても達筆なのに、読めないお手紙もあります」
ルシアンは目を瞬かせた。
「それは、受け取る方も大変ですね」
「はい。伯爵のお手紙は、いつも安心してお届けできます」
ユリアはにこりと笑った。
ルシアンも口元を緩ませる。
ユリアは書き終えた記録簿を閉じ、封書を鞄へ収めた。
「確かに、お預かりしました」
「はい、よろしくお願いします」
荷の受け渡し場では、次の馬車から木箱が下ろされ始めている。
ユリアはルシアンに一礼すると、次の届け先へ向かって歩き出した。
それから幾つも月日が過ぎた、ある日。
ユリアは監察局を訪れていた。
廊下の壁には、各部署からの報告書をまとめた掲示板が並んでいる。
扉の向こうからは、書類をめくる音や職員たちの話し声が聞こえていた。
ユリアは手元の記録簿を確かめ、執務室の扉を叩いた。
「失礼します」
扉を開けると、数人の文官が机に向かっていた。
窓際には書類の束が積まれ、その脇で、一人の男が報告書に目を通している。
主任監査官のエドガー・クロムウェルだった。
「あなたでしたか」
「はい。記録局への書類があると伺いました」
「少々お待ちください」
エドガーは机の端に置かれた書類の束から、一通を取り出した。
表紙を確かめ、封の状態を確認してから、ユリアへ差し出す。
「こちらをお願いします」
「承知しました」
ユリアは書類を受け取った。
受領記録を記入するため、表紙に目を落とす。
事件に関する報告書だった。
宛先を確認し、次に表題へ目を移す。
記載された名前を見た瞬間、指先が止まった。
『シリウス・ゼフィール』
その下には、違法薬物の使用容疑により、身柄を拘束した旨が記されていた。
ユリアは書類を見つめたまま、わずかに目を見開いた。
「……どうかしましたか」
エドガーの声に、ユリアは顔を上げた。
彼は机に片手を置き、こちらを見ていた。
「……いえ。お預かりします」
ユリアの声に乱れはなかった。
受領記録に必要事項を書き込み、時刻を記す。
書類を鞄に収め、留め具を閉じる。
エドガーは短くうなずき、再び机の上の書類へ目を落とした。
ユリアは踵を返し、執務室を後にした。
廊下には、午後の光が差し込んでいた。
鞄の肩紐を整え、歩き出す。
灰色マントの裾がかすかに揺れた。
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