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【シリウス・ユリア編】星風の国物語~呼び笛の向こうへ~  作者: 月森みのり


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第十五話 選ぶ  


 昼を少し過ぎた頃。

 騎士団本部の廊下を、ユリアが数枚の書類を抱えて歩いていた。

 伝令部の報告書だった。


 窓から差し込む陽射しが、磨かれた床に細長く伸びている。

 向こうから来た騎士に一礼し、廊下の突き当たりにある団長室へ向かった。

 扉を二度、軽く叩く。


「入れ」


「失礼します」


 中では、ローランが机に向かっていた。

 書類から顔を上げる。


「伝令部からです」


 ユリアが書類を差し出す。


「王都南門からの報告か」


「はい」


 ローランは一枚目に目を通し、机の端へ置いた。


「分かった。ご苦労」


「はい」


 ユリアは一礼し、扉へ向かう。

 だが、二歩ほど進んだところで足を止めた。


「……まだ何かあるのか?」


 背後からローランが声をかける。

 ユリアは振り返った。

 両手を前で重ね、少し視線を落とす。


「……相談があります」


 ローランの眉がわずかに上がる。


「相談?」


「はい」


 ユリアはしばらく黙った。

 ローランは一度、ユリアの顔を見る。


「……王室専属配達人のことか。シリウス様から聞いている」


 ユリアの指先が、膝の前でわずかに動いた。


「それで?」


 ローランは椅子の背に体を預けて、ユリアに先を促す。


 ユリアは頬に触れる焦げ茶色の髪に手を添え、耳へ掛ける。

 それから小さく息を吐いて、続けた。


「……どうやって、決めたらいいんですか?」


 ローランはわずかに首を傾けた。


「どうって……俺に決めてほしいのか?」


 ユリアは答えない。

 右手が左手の甲に触れる。

 そのまま指先を握り込んだ。


「……分かりません」


「……なら、俺が決めることじゃない」


 ローランは顎に手を添えた。


「何か、嫌なことがあるのか?」


「嫌なこと……?」


「……騎士団を辞めるのは、嫌か?」


 ユリアは首を横に振る。


「嫌じゃないです」


「王城で働くのは?」


「それも……嫌ではないです」


「危険なのが嫌か?」


 ユリアは視線を斜め上へ向け、少し考えた。


「……それも、たぶん違います」


 窓の隙間から風が入り、机の上の紙がわずかに揺れた。

 ユリアは眉を寄せて、呟く。


「……分からないんです。私が、それをやりたいのか」


 廊下を誰かが通り過ぎた。

 靴音が遠ざかる。


「……別の聞き方をしよう」


 ローランは机の上の書類へ目を落とした。


「もし、シリウス様がその話をしなかったら?」


 ユリアの視線が止まる。


「……」


「お前は今のまま、伝令部にいるか?」


 ユリアは答えず、窓の外へ目を向けた。

 木の葉が風に揺れている。


 しばらくして、ユリアの唇がわずかに動く。


「……はい。たぶん、今のままいると思います」


「そうか」


 ローランは黙ってユリアを見た。

 ユリアは窓の外へ視線を戻した。


「今の仕事は好きか?」


 その問いに、ユリアがゆっくりと振り返る。


「……はい」


「何が好きだ?」


「……馬に乗るのは、好きです。街を走るのも」


 ローランは黙って聞いている。


「知らないところへ行くのも、好きです」


 ユリアはそこで言葉を切った。

 視線が再び窓の外へ向く。


「ほかには?」


「……騎士団にいるのも」


 ローランはわずかに目を瞬き、口元を緩ませる。

 そのまま、窓の外へ目を向けた。

 遠くで木剣の打ち合う音が響いた。


「じゃあ、王室専属配達人になったら、それは全部できなくなるのか?」


「……馬には乗れると思います」


「ああ」


「街も走れると思います」


「そうだな」


「騎士団にも……来られると思います」


 ユリアの声がそこで途切れる。

 窓の外へ視線を向けたまま、少しだけ首を傾けた。


「……もっと遠くへも、行けるんでしょうか?」


「……それは、お前とシリウス様次第だろうな」


「……」


 ユリアは黙ったまま、窓の外を見ている。

 陽射しの中を、小さな埃がいくつか舞っていた。


「……行ってみたいか?」


 ローランの声に、ユリアの指先がわずかに動く。

 舞っていた埃が、光の中をゆっくり落ちていく。

 ユリアはそれを目で追い、それから小さく頷いた。


「……行ってみたいです」


 少し間を置いて、ユリアがローランを見る。


「そう望んでくれる人がいるなら」


 ローランは短く頷いた。


「なら、シリウス様にそう言えばいい」


「……はい」


 ユリアは小さく頷いた。

 ローランが机の上の書類を整える。


「ありがとうございました」


「ああ」


 ユリアが扉へ向かう。

 取っ手に手を掛けたところで、背後から声がした。


「ユリア」


「はい?」


 振り返ると、ローランは椅子に座ったままユリアを見ていた。


「最初から答えを出せなくてもいい」


「……」


「選んでから、確かめてもいいんだ」


 ユリアは黙ってローランを見る。

 やがて、頷いた。


「……はい」


 ユリアは小さく笑って、扉を開ける。


「失礼します」


 廊下に出たユリアは、一度足を止めた。

 それから、窓の外を見る。

 王都の街並みが広がっていた。

 ユリアはしばらくそれを眺めてから、再び歩き出す。




 翌朝。

 まだ日が昇って間もない訓練場には、騎士の姿もまばらだった。

 砂の上には朝露が残り、木剣を収めた木箱の脇には、昨夜のまま置かれた水桶が並んでいる。


 ユリアが訓練場へ入ると、奥の長椅子にシリウスが座っていた。

 手には剣がある。

 鞘から抜いた刃を布で拭い、傷や曇りがないか確かめている。


「シリウス様」


「おう。今日は随分早いな」


 声をかけると、シリウスが顔を上げた。


「……この前の話、考えてきました」


 シリウスの手が止まる。

 布を持ったまま、ユリアへ顔を向けた。


 ユリアはシリウスの前まで歩き、足を止めた。

 焦茶色の髪が肩のあたりで微かに揺れる。


「私、王室専属配達人になりたいです」


 シリウスはしばらく何も言わなかった。

 手にしていた剣を鞘へ戻す。

 刃が鞘の内側を滑り、最後に小さく金属音が響いた。


「……本当にいいのか?」


「はい」


「なるのも、続けるのも、たぶん簡単じゃないぞ」


 ユリアは小さく頷いた。


「でも、決めました」


 シリウスはユリアを見る。

 朝の風が訓練場を抜け、砂の上に残っていた露を揺らした。


「……今よりもっと遠くへ行けるんでしょう?」


「ああ」


「じゃあ、行ってみたいです」


 ユリアは一度言葉を切った。

 それから、わずかに目を伏せる。


「……それに、私なら行けるって、思ってくれたんでしょ」


「……そうだな」


 シリウスの青い瞳がユリアを真っ直ぐに見る。


「お前は、もっと広い場所を駆けられる」


 ユリアは何も言わず、小さく笑った。

 シリウスは少しだけ視線を逸らし、訓練場の入り口へ目を向けた。

 数人の騎士たちが、中庭を通って訓練場へ歩いてきていた。


「……なら、俺もやってみるか」


 シリウスの口元が、わずかに上がった。

 


お読みいただき、ありがとうございます。

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次回もお楽しみに!!


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