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【シリウス・ユリア編】星風の国物語~呼び笛の向こうへ~  作者: 月森みのり


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第十四話 迷い


 王都の西通り。

 通りの両側に並ぶ店々に、傾いた陽射しが差し込んでいた。

 露店を片付ける音や、荷車の車輪が石畳を擦る音が聞こえる。


 ユリアは一軒のパン屋の前で足を止めた。

 扉を開けると、店の中には数人の客がいた。

 焼き上がったパンの香りが漂っている。


 ユリアは入口の脇からトレーとトングを取って、棚の前へ進む。


 丸いパン。

 細長いパン。

 焼き色のついた小さなパン。


 トングで一つずつ取って、トレーへ乗せる。

 少し迷って、もう一つずつ取った。

 

 前の客が会計を終えてレジから離れるのを待ってから、ユリアもレジの前へ進む。


「これで」


 ユリアが台にトレーを置いて、店主がパンを一つずつ確認する。


「……七百二十ルクだ」


 店主は値段を告げながら、パンを紙袋へ詰めていく。

 ユリアは腰の小袋を開いた。

 中から硬貨を数枚取り出し、指先で確かめながらレジへ置く。

 店主が硬貨を数える。


「丁度だ。毎度あり」


「どうも」


 ユリアは紙袋を受け取って、扉へ向かう。

 その背中に、店主の声が飛ぶ。


「……もう野良じゃないんだな」


 ユリアの足が止まった。

 振り返ると、店主は仏頂面でユリアを見ていた。

 ユリアは少しだけ目を伏せる。


「……うん」


「そうか」


 店主はそれ以上何も言わず、視線を棚へ戻した。

 ユリアは扉を開け、外へ出る。


 陽が建物の向こうへ傾いている。

 石畳に長い影が伸びていた。


 西通りには、まだ人の姿が多かった。

 店先を歩く人々の間を抜け、ユリアは紙袋を片手に持ったまま歩く。 

 ユリアは通りを曲がり、騎士団の宿舎へ向かう。



    ◇



 昼を少し過ぎた頃。

 西通りには、人の姿が多かった。

 店先には果物や野菜が並び、荷車が通るたびに道の端へ人が寄る。


 小さな少女が建物の陰に立っていた。

 焦茶色の髪が風に揺れる。


 店先を見ると、籠の中に赤い林檎がいくつか入っていた。

 店主が客に背を向け、少女が歩き出す。


 店の前を通り過ぎる瞬間、籠から林檎を一つ取った。

 そのまま走る。


 路地へ入り、角を二つ曲がって、壁際にしゃがみ込んだ。

 近くに人の足音はない。


 林檎を服の裾で拭く。

 かじると、硬い音がした。


 しばらく食べ続け、芯だけになると、路地の隅へ置いた。

 少女は立ち上がり、また通りへ戻る。


 別の日には、別の店へ入った。

 店員が目を離した隙に、棚に置かれた焼き菓子や露店の端に積まれた果物を、一つ取る。

 

 それから、走る。

 隠れる。

 食べる。


 同じことを何度も繰り返した。


 西通りのパン屋にも、何度か足を運んだ。

 店の中から、焼きたてのパンの匂いがする。

 少女は店先を通り過ぎながら、棚を見る。


 丸いパン。

 細長いパン。

 焼き色のついた小さなパン。


 客が一人、店主に声をかけた。

 少女は扉の脇を通る。

 そのまま手を伸ばし、小さなパンを一つ取って、走る。


 数日後。

 西通りのパン屋の裏手から表へ回ろうとした時に、少女は気が付いた。

 建物の壁際に、小さな籠が置かれている。


 少女は足を止め、籠の中を見た。

 パンがいくつか入っている。

 周囲を見回すと、通りには誰もいない。


 少女は籠からパンを一つ取った。

 抱えるように持ち、歩き出す。

 少し離れたところで振り返ってみたが、誰も追ってこない。

 少女はそのまま脇の路地へ入った。


 それからも、数日置きに何度か同じ場所へ行った。

 裏口の前に置かれた籠の中からパンを取って、帰る。


 季節が巡り、冷たく乾いた風が吹くようになったある日。

 少女はいつもの裏口へ向かった。

 しゃがんで籠の中を覗き、少女は伸ばしかけた手を止めた。


 籠の中にはいつものパンと、見慣れぬ小さなカップが入っていた。

 薄い茶色のスープが注がれており、野菜を煮たような香りが漂っていた。

 

 一度だけ周りを見渡してから、ゆっくりとカップに手を伸ばす。

 両手で包むように持つと、指先に微かな熱が伝わった。

 

 しばらくスープをじっと見つめてから、少女はカップの端に口をつけた。

 塩気のあるスープが喉を通る。

 少女の睫毛がわずかに震え、カップを包んだ指先に力がこもる。


 スープを飲み干して、カップを籠へ戻す。

 残ったパンを取り、周囲を見回してから素早く通りへ出る。

 少女はパンを抱えたまま、細い路地を抜けていく。


 不意に、通りの向こうから、子供の声が聞こえた。


「大きくなったら、パン屋になる!」


「俺は騎士がいい!」


「私はお嫁さん!」


 幼い笑い声が重なる。

 少女は足を止め、建物の陰から声のする方を見る。

 数人の子供たちが道端に集まっていた。

 

 少女はしばらく立っていた。

 やがて腕の中のパンを抱え直して、子供たちに背を向ける。

 路地の奥へ歩いていく。


 夕方になると、少女は娼館へ戻った。

 扉を開けると、酒と香水の匂いが混じった空気が流れてくる。

 笑い声やグラスの触れ合う音が聞こえ、奥からは楽器の音が響いていた。


 少女は壁際を歩く。


 その先の広間では、女が何人かの男に囲まれて踊っていた。

 笑みを浮かべ、音楽に合わせて長い裾を翻す。

 緩く結われた焦茶色の髪が揺れる。

 男たちは酒を手に、その姿を眺めている。


 少女は広間の入口の影に立ったまま、しばらく女を見ていた。

 女は少女に気づかない。

 少女はわずかに視線を落とす。

 そして、何も言わずに踵を返した。


 外へ出ると、冷たい風が頬を撫でた。

 少女はそのまま街を離れ、館の裏手にある細い道を抜ける。

 斜面を上り、草を踏み、木々の間を進む。

 やがて、一本の木に辿り着く。


 少女は幹に手足をかけ、枝へ上る。

 もう一段、上へ。

 葉の隙間から、娼館が見えた。

 窓から明かりが漏れている。

 

 少女は太い枝に腰を下ろした。

 持ってきたパンを取り出す。

 両手で割り、一口かじる。

 

 下の街では、人々が行き交っている。

 館の明かりは、少しずつ暗くなっていく空の中で目立っていた。

 少女はパンを食べながら、その明かりの先を見ていた。



  ◇



 陽が落ちた頃、ユリアは宿舎の自分の部屋へ戻った。

 手にしていた紙袋をテーブルの上へ置く。

 袋を開け、中から丸いパンを取り出す。


 椅子には座らず、そのままかじった。

 固めの皮が、ぱり、と音を立てる。

 何度か噛んで、飲み込む。


 ふと、数日前の夕暮れに聞いた、シリウスの言葉が浮かんだ。


 ——考えておいてくれ。


 ユリアは手を止め、パンを見下ろす。


 「……考えるって、どうやるんだろ……」


 小さく呟いた。


 しばらくして、残ったパンを食べ終える。

 胸元に落ちた屑を手で払い、それから寝台へ腰掛けた。

 ゆっくりと体を倒し、枕へ身を預ける。

 寝台が微かに軋む。


 枕元に置かれたものが視界に入った。

 以前シリウスに買ってもらった万華鏡だった。

 ユリアは手を伸ばし、細い筒の中を覗く。


 小さな穴から、微かな光が差し込んでいた。

 赤や青、黄色の硝子が重なっている。

 細かな欠片が幾つも組み合わさり、左右対称の模様を作っていた。


 筒を回すと模様が崩れ、別の形へ変わる。

 もう一度回す。

 硝子が滑り、花のような模様になった。


 ユリアはしばらく、ゆっくりと筒を回し続ける。

 次々に模様が変わっていく。

 

「……分かんない……」


 そう呟いて、きゅっと口を結んだ。




お読みいただき、ありがとうございます。

この話を少しでも気に入っていただけたら、

感想やレビュー、リアクションなどをぜひお願いします!


次回もお楽しみに!!


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