第十二話 初めての届け物
ユリアは二人から離れると、廊下の角を曲がった。
足音が遠ざかる。
さらに数歩進んだところで、壁際へ寄った。
人の気配が途切れる。
ユリアは窓から外へ出た。
夜の庭は静かだった。
月明かりが芝生を薄く照らし、植え込みの向こうに大きな木が立っている。
ユリアは幹へ手を掛ける。
枝を二つ、三つと渡り、人目につきにくい高さまで登った。
太い枝に腰を下ろす。
葉の隙間から、城内の明かりが見えた。
ユリアは息を整え、耳を澄ませる。
廊下を行き交う人の声。
遠くで扉の閉まる音。
靴音。
少し先では、シリウスがまだ土産を配っていた。
「これは南方の菓子だ。持っていけ」
「ありがとうございます」
別の侍従へ包みを渡す。
シリウスは歩きながら、次の相手を探している。
ユリアはその姿をしばらく眺めた。
木の枝から周囲を見渡す。
庭を挟んで別の建物があり、渡り廊下がそれらを繋いでいる。
ユリアの視線が屋根へ移る。
(……あそこなら、もっと見渡せる)
今度は廊下へ目を向ける。
並んだ柱、その間にできた暗がりを一つずつ追う。
(……あの柱の陰なら、廊下からも見つかりにくい)
ユリアは目を細めた。
もう一度、城内へ視線を戻す。
視界の端で、シリウスが移動した。
ユリアは木から降りる。
音を立てずに庭を横切り、植え込みの陰から廊下を覗いた。
シリウスの姿を視界の端に捉えながら、ユリアは廊下を進んだ。
人の流れを避け、柱の陰を抜ける。
開いた扉の向こうへ一度だけ目を向け、すぐに視線を戻した。
やがて、北棟へ続く廊下に出る。
そこだけ、明かりが少なかった。
人の姿もない。
ユリアは壁際を歩いた。
しばらくして、廊下の先に小さな影が見えた。
一人の幼い女の子が歩いている。
長い寝衣の裾を引きずり、何度も目を擦っていた。
足取りも覚束ない。
ふらり、と小さな身体が左右に揺れる。
(……小さくてふわふわな、妹……)
ユリアは足を止めた。
幼女はそのまま廊下を進んでいく。
ユリアは来た道を振り返った。
遠くに、シリウスの姿が見える。
手にした包みを、また誰かへ渡している。
「……」
ユリアは少しだけ考えた。
そして、幼女の後を追う。
「姫様」
ユリアの声に、幼女が足を止めた。
ゆっくりと振り返る。
「どちらに行かれるのですか?」
幼女――ステラが顔を上げた。
銀色の髪が肩から滑り落ちる。
「……にいさまの、こえがきこえました」
眠そうな声だった。
「シリウス様ですか」
ステラはこくん、と小さく頷く。
ユリアは廊下の向こうを見る。
「では、ご案内します。一緒に行きましょう」
「はい……ありがとうございます」
ステラが小さな手を差し出した。
ユリアはその手を取る。
二人で歩き始める。
けれど、ステラの歩幅は次第に小さくなっていった。
足が止まりかけ、瞼も重そうに落ちている。
ユリアは立ち止まった。
「……姫様、失礼します」
ステラを抱き上げる。
「近道しましょう」
「……はい」
ステラの頭がユリアの肩へ乗った。
小さく瞬きをしたあと、そのまま目を閉じる。
ユリアは腕の位置を直した。
廊下ではなく、窓から庭へ出る。
月明かりの下を、静かに歩いていく。
植え込みの間を抜ける。
大きな木の脇を通り、シリウスのいる明かりの方へ向かった。
「南方の菓子ですか。これは珍しい」
貴族が包みを覗き込み、口元をわずかに緩める。
「王都じゃあまり見ないだろ。家族にも持って帰ってやってくれ」
シリウスが包みを差し出す。
「ありがとうございます、シリウス様」
貴族は両手で受け取り、深く一礼した。
「では、私はこれで」
「ああ。またな」
シリウスが片手を上げる。
貴族はもう一度頭を下げ、包みを抱えたまま廊下の向こうへ歩いていく。
シリウスはその背中を眺める。
やがて、その姿が角の向こうへ消えた。
シリウスは誰もいなくなった廊下へ目を向けた。
背後の窓から入ってきた風が、首筋を撫でた。
カーテンがわずかに膨らんで揺れる。
「シリウス様」
背後で声がして、振り向く。
窓の向こうに続くテラスに、ユリアが立っていた。
月明かりが、その瞳を照らす。
腕の中には、小さな身体を抱えていた。
「お届け物です」
ユリアが、にこりと笑った。
シリウスが目を見開く。
「ステラじゃないか」
「ご自分で起きて出歩かれていたので、お連れしました」
ユリアが腕の中を覗き込む。
「ほら、姫様。シリウス様ですよー」
「ぅん……」
ステラが眠そうに目を開けた。
小さな手が、シリウスへ伸びる。
シリウスはすぐに近づいた。
「よしよし」
ユリアからステラを受け取る。
そのまま抱き上げると、ステラの頭がシリウスの肩へ乗った。
「おかえりなさい、にいさま」
「ああ、ただいま」
シリウスが笑う。
「眠そうだなぁ」
「……ねむいです」
「そりゃそうだ」
ステラの髪を軽く撫でる。
しばらくして、シリウスが顔を上げた。
「そういえば、ユリア――」
そこに、ユリアはいなかった。
開いた窓から風が入り、カーテンが静かに揺れている。
「……ユリア?」
返事はない。
シリウスは窓の外を見る。
月明かりに照らされた庭。
植え込みの向こうにも、動く影は見えない。
不意に、腕の中のステラが、窓の外へ小さく手を振った。
「ん?」
シリウスがステラを見る。
「ステラは見つけるのが早いな。どこにいるんだ?」
「……ひみつです」
ステラは人差し指を立てて、口元に当てた。
シリウスが目を瞬く。
少し離れたところで、ローランが小さく笑った。
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