青墨からの預かりもの
「これは青墨と申します。遠縁の家の子で、早くに親を亡くしたものですから、引き取ってすずりと兄妹のように育ちました。“著しの儀”の手伝いもしておりました」
文鎮の紹介に、青墨と呼ばれた青年は廊下に座したまま、手をついて頭を下げる。着物の下にシャツを着込み、袴を身につけたいかにも書生風の青年で、きりりとした太めの眉以外は、特段何かが目立つのでもない、それぞれがあるべき場所におさまったさっぱりとした顔つきをしていた。
下野して以降はひっそりと街の片隅で生きてきた、母の惠麻と冬斗だったが、それでもたまに連れ立って外出すれば、やはりひとめを引く。異人を父に持つ惠麻と、その血を半分受け継ぐ冬斗は、瞳の色や背の高さ、彫りの深い造形など、どうしても純日本人とは言えない雰囲気をただよわせていたらしい。すれ違いざまに、これみよがしにひそひそと嫌味を囁かれたりもした。
それに対し、惠麻は何を言い返すでもなく、ただしゃんと姿勢を正して、冬斗の手をやわらかく握るだけだった。だから冬斗も屈することはなかったのだが、それでも純和風の青墨の顔のつくりには、そこはかとなくうらやましさすら覚えた。
「どうぞ入ってください。足が痛むでしょう」
「いえ、自分はこちらでけっこうです」
抑揚はないがきっぱりと遠慮した後、客間の畳にすっと紙を差し出した。青墨が頑固に廊下に居座ったままなものだから、冬斗は立ち上がり、青墨の前へと腰を下ろしてそれに目を通した。
「“著しの儀”ですずりが用いている道具類です。硯は肌身離さず持っていますし、普段使っているものは女学校へ持っていく荷物の中に紛れ込ませたようですが、念の為お知らせしておきます」
余分な自己主張がいっさいなく、原稿用紙のマス目のうちに収まるような手蹟で整然と箇条書きにされたそれを、冬斗は目で追っていく。
「巻き紙や墨はもちろんですが、筆も毛氈も何年かに一度新しいものに取り替えてきました。ですが、硯だけは違います。生まれた頃に翁に与えられたものを、ずっと使い続けているようです。試してみたことはありませんが、硯だけは変えないほうが良いかもしれません」
「すずりが愛用している硯は、あれが生まれた時にわたしが買い与えたものなのです。たまたま道具屋へ入って見つけ、その場で惚れ込んで買い求めたくらいの良い品です。あの硯を見つけたからすずりと名付けた、くらいのものですから」
懐かしげに目を細めて言われ、冬斗はその紙を丁重にたたむ。冬斗にとっては、まだ目の当たりにしたことのない、未知の儀式だ。そして、外遊が長く万年筆を愛用品にしている冬斗にとって、書道用具の良し悪しは検討がつかない。それでも、文鎮と青墨という名のふたりに、さも当たり前のように言われては、素直にうけとめるしかない気がした。
「ご助言に感謝します。心して支度を整えます」
冬斗が胸ポケットから手帳を取り出し、“著しの儀”に用いる道具類がしたためられた紙を大事に仕舞うと、今度はキーキーキーという耳慣れない音がした。
冬斗が顔を上げれば、次に青墨が差し出したのは、木製の四角い檻だった。
檻の中にいる、茶褐色の毛に顔だけは白い、つぶらな瞳の生き物と目が合う。怪訝な表情で青墨を見れば、ひと欠片の動揺も気遣いもなく、青墨がこう口にした。
「貂という生き物で、テンと呼んですずりが可愛がっていました。洋書に釣られて女学校へ行きましたが、早起きも体操も集団生活も不得手です。それでも、こいつの尻尾を撫でていれば機嫌が直ります。連れ帰ってすずりが接触できるよう、取り計らっていただけませんか」




