食堂での対面
通された部屋は、長方形のテーブルに椅子が六脚ほど備えられていた。
窓から庭の景色を眺めることができ、壁の食器棚には西洋風のティーカップや絵皿が飾られている。
「こちらへどうぞ」
つい、あちこち眺めてしまっていたすずりだったが、衛藤に椅子を引かれ、そこへと腰掛ける。
正面に庭が見える位置で、朝の清らかな光が差し込んでいる。
テーブルには春の野草をいくつか摘み取ったものが小ぶりな花瓶に活けられ、すずりは寝じわの寄った着物の襟のあたりを、手で撫で付けた。
食器棚の横は引き戸になっていて、衛藤はまた音も立てずにその戸の向こうへと去っていった。
(さち子さんがいると心強いのだけれど)
きちんと整えられた邸宅の食堂の、しんと静まり返った空間で、戸の向こうへ消えたとはいえ、衛藤とふたりきりである。
初対面の人と会話をするのがそれほど得意でないすずりは、行儀が悪いと知りながら、テーブルの影で足をぶらぶらさせてしまっていた。
と、その時。キィと音を立ててドアが開き、びくりとなる。
すずりがあわてて足を整えれば、顔を覗かせた冬斗の側も驚いたような表情を浮かべていた。
「失礼。誰かいるとは思わなかったものだから」
「いえ……、おはようございます」
すずりは立ち上がり、自分が通う女学校の理事長に朝の挨拶をする。
食堂へ入った冬斗は、食器棚の横の戸へと視線を向けた後、すずりの対面の椅子を引いた。
「朝食はこれから?同席してもかまわないだろうか」
「も、もちろんですわ」
食堂や洗面所があることから、単なる理事長室ではなく、冬斗が生活する邸宅なのだろう。
表に掲げられていた看板は、たしか鷹峯時計製造株式会社だったはずだ。
どちらにしろ、その家の主人であり女学校の理事長に対して、断るいわれはない。
手のひらを見せて促され、すずりも椅子へと腰掛けた。
寝じわの寄った着物を着ているすずりとは異なり、日本人離れした長い手足を、おそらく昨日とは異なる背広に包んでいる。
ネクタイは窮屈というのではないが、きちんと襟元で締められていた。
寝癖などもちろんないが、茶味がかった髪はうねり、毛先が跳ねていて、もともとそういう髪質なのだろう。
(とにかく、洋室の空間がお似合いになる)
磨き上げられたテーブルも、飾られた繊細なティーカップも、そこにいる冬斗を引き立てる背景として計算し尽くされたかのようだった。
音も立てずに歩く、完璧主義の匂いがただよう秘書の衛藤が、一部の隙もなく整えているのだろう。
(そして、そぐわないわたし)
そういえば、理事長室の応接ソファの前の棚に並べられていた洋書を貸してくれるとの話があった。
ぜひとも読みたいものだが、どのような手続きでその貸し借りをすれば良いのだろうか。
(あれは社交辞令だ、そんなこともわからないのかという衛藤、さんの顔が浮かぶわ……)
だが、これだけは譲れない。
衛藤不在の今が、絶好の機会かもしれない。
すずりが思い切って口を開こうとしたところで、ぐきゅるるる──、しばらくおとなしくしていたすずりの腹が、存在を主張した。
きょとんとする冬斗。
さすがのすずりも、頬にカッと熱が走ったのを覚える。
誤魔化す言い訳も浮かばず、すずりが口をパクパクさせていると、咄嗟に冬斗が緩んだ口元を手のひらで隠し、顔を横に背けた。
(理事長も笑うんだわ)
すずりは恥じらいも忘れて、ぽかんと冬斗を眺めてしまう。
(昨日は、一度も笑わなかった?)
すずりは記憶をたどるが、それほど人を注視しているわけでもないから、記憶もない。
ただ、その端正な顔に浮かぶ表情がくるくると変わったという印象はない。
考えていることを顔に出さない。
いや、そもそも、ぴしりと着付けられた背広の下におさめられた胸に潜む気持ちというものが、それほど激しく波打つこともなさそうに見えた。
(……それでも、お母上の日記と手紙でもって“著しの儀”を依頼された)
洋書と辞書と洋菓子に釣られて、あまり深く考えることなく行ってしまった“著しの儀”。
書き上げた内容をまだ知らないすずりだったが、身体中に切なく深い愛情の余韻だけが残っている。
冬斗の母が日記を預けたというすずりの祖父、そして大江の家は、何かつながっているのだろうけれど──。
というところまで思考をめぐらせたところで、もう一度なりそうな腹の虫を黙らせるため、すずりは丹田に力を込め、帯の上から強めに手で押さえた。
(考えることがありすぎるし、複雑すぎる。まずは食糧の補給をしないと無理だわ)
すずりはひとりうなずくと、ようやく笑いがおさまったのか「失礼」と顔を正面に戻した冬斗と向かい合った。
ちょうどその時。
「めずらしくお早いのですね」
食器棚の戸が開き、顔をのぞかせた衛藤が意外そうな表情で冬斗を見ていた。




