檜扇のあちらから
「女学校の理事長?」
冬斗が思わず聞き返すと、春斗はゆったりとした動きでうなずいた。
「神田に新しいのを建てさせました。校舎はあらかた出来上がっていて、今は調度品や何かを手配しているのではないかな。男子禁制の寄宿学校ですから、理事長室をどこへ置くかは思案のしどころですが」
「い、いや……、ちょっと待ってくれ」
めったに取り乱すことのない冬斗だが、さすがに話を遮ってしまった。それをどう解釈したのか、春斗は一度まぶたを大きく開いた後、ふっと緩める。
「兄さんはあくまで理事長。教壇に立って女学生たちの前で教鞭をとっていただく必要はありませんよ。あくまで、学校全体の運営を統括していただくお立場です。女学生は推薦を受けた者のみの入学で、月謝も寮費もとりませんから、資金面などのやりくりも不要です」
「い、いや、論点はそこではなくて」
滑らかに話し続ける春斗の腕を思わずつかめば、春斗はおやといったように視線を向けた。そして、冬斗の袖からのぞいたものに目を見張る。
「やはり使い勝手が良いものですか、腕時計は」
「そ、そうだ。腕時計なんだ」
さすがに礼を失していたと、冬斗はつかんだ腕を離し、袖を捲り上げて腕時計を見せた。
「これを製造・販売するカンパニーを設立しようと考えていた。まだ日本では誰もやっていないはずだが、これから確実に需要が出てくる。工場を設立する土地の候補もいくつか見繕ってあるんだ。わたしはこのビジネスに賭けるつもりでいる」
冬斗が熱を込めて言えば、春斗は目を見開いてそれを聞いていたが、パッと空気を入れ替えるように檜扇を開いた。
「それは結構なビジネスだと思いますが、兄さんがやらなくても良いことでしょう。産業を学びに国費で留学している者も多いと聞いていますし、日本の職人たちは腕が良い。日本製の腕時計が世に出回るのもそう遠くない未来だと思いますよ」
「どう身を立てるかを考え抜いて、たどり着いたのが腕時計のカンパニーなんだ。製造はもちろん、サプライチェーンも学んで準備してきた。それが、女学校の理事長とは。いくらおまえの頼みでも、わたしにはあまりに畑違いの仕事じゃないか」
そこまで一気に語ると、春斗はしばらく腕時計を眺めた後に、冬斗の腕を取り、膝の上へと戻させた。そしてゆらりと檜扇をあおぎ、視線を窓の外へと向ける。
「兄さんが外遊されている間に、この国はものすごい勢いで変化を遂げました。やれ文明開化だ、殖産興業だ、西洋に並ぶ一等国になるのだと騒ぎ立てています。聖域とも言える宮中も例外ではありません。僕だってこうして背広に革靴、断髪して帽子をかぶり、英吉利語や仏蘭西語を叩き込まれ、週に一度は西洋料理のフルコースを嗜んでいます。そして極め付けは」
春斗が視線を戻し、顔をこちらに近づけ、冬斗の耳元へと顔を寄せた。鋭い瞳とただよう香が、どくんと冬斗の心臓に不穏な鼓動を立てさせた。
自動車の後部座席の密室にあるというのに、檜扇で口元を隠し、ひそめた声でささやかれたのは──。
「基督教に由来する一夫一婦制です。僕の妃になる女性は、その両肩に、何がなんでも皇子を産まなくてはならないとの重責を背負わされることになりました。兄さんに理事長をお願いした女学校は、その無茶苦茶な条件下のもと、少しでも明るい道を切り拓くための布石なのです」
ちらりと視線を向ければ、春斗の表情から笑みや余裕は失われていた。女学校という言葉の持つ可憐さとはかけ離れた、国家の一大計画ともいえるものを打ち明けられたのかもしれない。
ようやく冬斗は、ことの深刻さを理解したのだった。




