白梅の出迎え
恭しい仕草でもって軍人が開けたドアから、冬斗は身を滑らせ、車に乗り込む。途端に鼻腔を、なつかしい香りがくすぐった。
澄んだ薄青い空に向かって黒い枝々があちこちへと伸び、その先に小さな白い花弁が無数に散りばめられている。桜にはまだ早い時期に咲くこの花は確か──。
「白梅は、西洋ではあまり見る機会のない花だと聞きました。ご所望でしたら、紀州のはちみつ漬けも用意がありますよ」
「……ま、さか」
自動車の奥の席に腰掛け、白梅の枝を持つ青年の目元に見覚えがあった。冬斗が留学して十年、この青年とはさらに数年の空白があるはずだった。おまけに上等な仕立てのスーツに身を包みながら、檜扇を広げて口元を隠している。それでも、幼い頃の面影というのは消えないものなのだ。
「お久しぶりです、兄さん。長旅お疲れ様でした」
「春、斗?」
かすれた声でその名を呼べば、その青年は母親ゆずりの細い狐目を、心底うれしそうに細めた。
「はい。覚えていてくださいましたか」
「なぜ……あなた、さまが」
腰掛けた座席から足置きへ降りようとするが、いかんせん、西洋人に引けを取らない背丈のある冬斗にとって、そこは狭すぎた。
「おやめください。あなたは僕の兄上、僕はあなたの弟なのですよ」
「すでに民に降っています。あなたさまは次の、ええとemperor──」
冬斗が久しぶりの母国語で該当する単語を探すうちに、ぱちんと檜扇が閉じられる。
「精鋭を連れてきたとはいえ、ここでする話でもありますまい」
そう言うとまた目を細めるが、有無を言わせぬ圧があった。差し出された白梅の枝を、冬斗は断ることもできずに受け取る。すると春斗は風呂敷包みを取り出し、結び目に手をかけた。
「紀州の梅は?」
「いや、今は結構です。それにしてもこのようなところまで御自らお運びとは。わたしになにか御用でも……」
「あなたは僕の兄上、僕はあなたの弟なのですよ」
もう一度同じことを繰り返され、冬斗は白梅の枝を持っていないほうの手で口元を覆う。そして視線を泳がせた後、はあ、とため息をついてふたたび口を開いた。
「何か、用事でも?」
「外遊帰りの兄さんを迎えに来たに決まっているじゃないですか!」
ぱあっと梅どころか、春の草木がすべて満開になったような笑顔で春斗は言う。
居心地が悪いことこの上ないが、あくまで兄弟、しかもこちらが兄として接すれば満足してもらえるらしい。
「わざわざ、あな……、おまえが出向くこともないだろうに。車を寄越してもらえるだけでも過分な待遇だ」
「なにせお願いごとですから直に兄さんに会って、お話ししたかったのですよ。やっかいな身分なので大掛かりになってしまいましたが」
無邪気な言葉に、冬斗はちらりと窓の外へ視線を向ける。直立不動の背広の軍人たちと、もちろん同乗は許されなかった冬斗の従者・衛藤がいた。
いかつい男たちに周りを囲まれた黒塗りの自動車は、船着き場にあって異様な目立ち方をしているに違いない。春斗の身の安全を考えれば、本当の意味で護衛になっているのかと思わなくもないが。
「わたしに、何をしろと」
やや落ち着いて視線を向ければ、運転席に運転手はいない。
自動車に乗せられはしたものの、どこかへ向かいながら会話をするというわけでもないらしい。ならばその話とやらをさっさと済ませることが、冬斗が居心地の悪さから抜け出し、春斗の貴い身柄を守る最適な手段のようだった。
「お戻りになって早々申し訳ありませんが、兄さんにお願いしたい仕事があるのです」
春斗はそこで言葉を切ると、また檜扇を広げる。梅の香とは別の、だが花の匂いを邪魔しない、上品な香がほのかにただよった。
「女学校をひとつ、新しいのを建てました。兄さんには、その女学校の理事長に就任していただきたいのです」
あまりに想定外の言葉に、冬斗は自分の耳を疑った。




