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腕時計の帰港

 横浜港へと寄せた船のタラップをフロックコートをはためかせて降り、革靴に包んだ足を着地させる。それは十年ぶりに踏みしめる、日本の大地だった。


「帰ってきた、のか」


 日本を離れたのは十二歳の時だ。二十二の歳を数えるから、おおよそ同じくらいの年月を異国で過ごしたことになる。


 そうなると、生まれた地ではあるけれども、十年ぶりに日本という国を訪れたのが『帰ってきた』と言えるのか、やや理屈っぽいきらいのあるこの男、鷹峯冬斗たかみねふゆとには疑問であった。


 船に守られ波に揺られながら、その土地の時間にあわせて何度か時刻を調整した腕時計へと視線をやる。すると、通りすがりの身なりの良い紳士が、ちらと覗き込んだのがわかった。


 懐中時計はそれほどめずらしくもなくなったようだが、腕時計を所持する者は、この国ではまだそう多くないと聞く。西洋の地で出会った、ゼンマイを巻き上げることでチクタクと自然に針が時を刻むこの時計というものに、冬斗はひどく心惹かれた。


 異国の地へと赴き、静まり返った部屋の中で針の動きを眺め、その音を聞いているとなぜか心が和むのだ。いつまでも針の音に耳を澄ませ、針の動きを眺めているうちに、次へ進める気力が湧いてくるのだった。


(生まれ故郷であるこの日本で、時計を製造するカンパニーを作る)


 旅立ったばかりの少年にとって、あらかじめ決められた十年という約束は、永遠にも思える遠い未来だった。だが、覚悟を決めて目の前のことに邁進すれば、勝手に年月は経つものである。


 英吉利で高等学校を終え、仏蘭西を経て、独逸の大学を卒業する頃には、知識も蓄え人脈もできていたから、そのまま西洋の地にとどまるという選択もあった。各国でさまざまな体験をさせてもらい、生計を立てる道としてたどり着いたのは、少年の頃から常に寄り添ってくれた時計にかかわるものだった。


 技術の進んだ西洋でなら、最新のビジネスにかかわることができるだろう。意外にも器用な指先を持っていることに気づいていた冬斗は、職人としてもあるところまでは到達できるとの自負もあった。


 だが、考え抜いた末に冬斗が選んだのは、当初の約束どおり帰国することだった。すでに完成した世界よりも、時計そのものがめずらしい日本の土地で、時計を製造・販売する会社を設立したほうがおもしろいことになるかもしれないとの期待もあった。


 旅の荷物を解いたら、候補地のいくつかに実際に足を運び、検分する予定を組んでいたのだが。


「冬斗さま」


 十年の留学に付き従い、異国の地にあっても冷静沈着を貫いてきた従者・衛藤えとうの声がこわばった。船を降りて家族との再会を喜ぶ者、期待を胸にこれから船に乗り込む者、荷物を運ぶ者、別離に涙する者などで雑多に賑わう船着場に、異様な空間が出来上がっていた。


 気づけば冬斗と衛藤は、西洋背広を身にまとった男十人ほどにぐるりと周囲を囲まれたのである。背広に隠れた肉体は鍛え上げられていることがうかがえ、只者ではないことがわかる。


 おそらく衛藤は銃を懐に忍ばせているはずだが──、男たちには威圧感はあっても殺気はない。冬斗は視線で、衛藤にこちらから仕掛けることのないよう指示した。


「お迎えに上がりました」


 冬斗の正面に位置する男が、踵を鳴らして右腕を持ち上げ、額に指を添えて敬礼する。すると他の九人もそれに倣い、よく訓練された軍の者であることが察せられる。


 そして、声を発した軍人が筋肉質な腕を伸ばして示した先に視線を向ければ、鈍く光る、黒塗りの自動車が一台、目立たぬように停められていた。

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