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庭先の焼き餅

「それで、決めたのか」


 庭先に降りて七輪の上で焼いている餅とともに、すずりは自分の手もあぶっていた。しもやけ気味なのだろう、少し、痛痒くもある。色鮮やかだった紅葉の葉もすっかり散り失せ、季節は冬になっていた。


 というか、正月も終えて新年を迎え終えている。七輪の上でぷっくりとふくらんでいるのは、その名残の餅たちである。


「女学校へ行くことにすると思う。年が明けたら正式な返事をするようにとおじじさまに言われていたから」

「そうか」


 青墨はとくに表情も変えず、丁寧な箸使いで餅をひっくり返す。網の下の赤い炭から、弾けた粉がちらほらと舞った。


「おじじさまから女学校の話があってから、いくつのお困りごとのご相談に乗ったかしら。飼い猫がいなくなったお華の先生、部屋にこもりっきりで出てこない息子さんのいる質屋さん、実は舞のひとつも踊れなかった舞妓さん……。毎度おいしい和菓子とともに心付けをいただいて、コツコツと蓄えてはきたものの、相変わらず、英吉利語の辞書の一冊も買えやしない」


 すずりがため息を漏らすと、青墨があちこちがふくらんだ餅を皿に乗せて手渡してくれた。それなら依頼の謝礼金を釣り上げれば良いものの、それをしないのがすずりであり、大江の家である。


 その矛盾に気づかぬまま、不満にふくらませた頬をそのまま、あつあつの餅を冷ますための息を吹きかけるのに使う。


「そんなにまでして洋書を読みたいのか」


 問われるが、ちょうど餅にかぶりついたところだった。だが、青墨というのは誠に辛抱強い男なのだ。


 すずりが筆を持ったきり、その先へとなかなか進まないようなことがあっても、急かすことなく待っていてくれる。だからすずりは、かぶりついてみょーんと伸びた餅を口に含み、熱々のそれをもぐもぐと噛み締め、ごくんと飲み込んでから問いに答えた。


「これだけ文明開化が進んだら、寄せられる相談ごとも西洋の何かしらが紛れ込んでくるわ。今のわたしの頭の中にあるのは、ご維新前までに大江の家が蒐集した古めかしい和書だけ。前時代の知識で足踏みしていたら、ご近所のお困りごとすら解決できなくなって、それこそ花嫁女学校へ行かされてしまう。それが、あちらの花嫁女学校、じゃない、花夢女学校では英吉利語の授業があって、辞書も教科書もいただけるし、図書室にも洋書がたくさんあるらしいわ」


 すずりはそう言って、残りの餅にかぶりつく。香ばしく焼けた表面はパリッと小気味よい音を立てて、とろけた中身は絶妙にやわらかい。どうして青墨は、こんなにも餅を焼くのが上手なのだろうとすずりは思う。


 季節も変わり、花夢女学校へ入学することにすずりの決意はもう揺らがなくなっている。だが、そうなればしばらくの間、青墨が絶妙に焼き上げた餅を頬張ることは難しくなってしまうのだ。


「そんなにまで西洋に憧れがあるなら、女学校へ行く前にいっそおやじさんに……」


 めずらしく言いにくそうに濁した青墨の言葉に対し、すずりは遮るように勢いよく立ち上がる。ひょいと縁側に腰掛ければ、待ちかねていたようにテンが擦り寄ってくる。手についた餅の粉を払うこともしないまま、立派な筆になりそうなその尻尾を撫で上げた。


 テンの尻尾を撫でているうちに、青墨の言葉をきっかけに胸に湧き上がったもやもやがゆるゆるとほどけていく。最後の心残りを断ち切るように、エビの尻尾のごとく反り返った三つ編みの先を振ると、青墨に向かって空になった皿を差し出した。


「お正月にも帰ってこないような旅の御方のことは知らないわ」


 顔の半分以上を覆う眼鏡の奥の瞳と、真っ直ぐに視線がぶつかるが、すずりはそらさなかった。青墨はぱちんと鳴った音に視線を戻し、餅を丁寧にひっくり返して、いちばんよく焼けたやつを皿の上へとのせてくれる。


「人力車で行ける距離にあるのに、寄宿舎へ入らなければならないんだろう。その女学校は」


 青墨に言われ、すずりは餅を冷ますために息を吹きかけていたのをやめる。そうして、餅をのせた皿を膝の上へと下ろした。


 ここからだと、神田は東の方角だろうか。生まれた時からこの家で育ったすずりには、家族と離れて別のところでひとり生活するなど想像もできないのだが。


「よその家へお嫁に行くわけじゃないのだけましだわ」


 自分に言い聞かせるようにそう言うと、すずりは皿の上から餅を取り上げ、豪快にがぶりと噛みついた。

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