寝入りばなの確認
すずりは猛烈に食べ、食べ尽くした。
ドアをノックしてやってきたのは、目覚めた時に傍らにいてくれた楠校長ではなく、さち子と、ワゴンを押した衛藤だった。
ベッドに上半身を起こし、枕を背もたれにし、ベッドカバーの上から膝掛けのような大きな布を一枚かけた上に、銀のお盆が置かれた。
その上には、きらきらと輝く三種類の洋菓子が並んでいた。
さち子がそれらを説明し始める前に、右手で盆の上に置かれていたフォークを取り上げて照り返るザッハトルテにさし、左手でそのままバターたっぷりのフィナンシェをつかんでいた。
「歯磨き……」
ほぼスプーンを使うことなく、ババロアの器をぺろりと空にしたすずりが、膝掛けの上から少しだけ膨らんだ腹のあたりを撫でていると、紅茶のカップが差し出された。
「紅茶には虫歯予防効果があるそうです。緑茶やほうじ茶も同様だと言われております」
それだけ言うと音も立てずに壁際に下がった衛藤を見送りながら、すずりは重く垂れ下がったまぶたと戦いつつ、紅茶をすする。
歯磨きに行きたいところだが、床を歩いているうちに崩れ落ち、その場で眠ってしまいそうだった。
かなり希望的観測も混じるけれど、ここは音も立てずに歩く、眼鏡の秘書の言うことを信じることにしよう。ミルクの入っていない赤いお茶が、すずりの歯に膜のようなものを貼ってくれることを期待して、ごくごくと飲み干した。
その間に銀の盆が下げられ、帯のあたりに物足りなさも覚えるが、眠気のほうが勝る。
“著しの儀”を行った後はこのように眠ってしまうのが常だったが、途中で目覚めて食べ物をいただきながらも、それでも引き続き泥のように眠いという経験をしたのははじめてだった。
「あれだけの数の手紙と日記を受け止めたのだから、当たり前ですわ」
ベッド傍の椅子に腰掛け、いつにも増して世話を焼いてくれるさち子のやさしさが沁みた。
衛藤がポットを手に目で問いかけてくるが、お代わりはいらないと首を振った。
そのやさしさに甘えて、このまままたベッドに横になってしまおう。そんなふうに考え、眼鏡に手をかけた時だった。
コツコツとドアがノックされ、さち子が代わりに返事をする。
「鷹峯です」
視線で問いかけられ、一瞬迷ったがそれでもうなずけば、いつも以上に機敏な動きで衛藤がドアを開けた。
「長居はしません。ひとこと感謝を伝えたくて来ました」
さち子は立ち上がって椅子を譲るが、鷹峯は軽く手を上げてそれを断った。
上等な背広に包まれた長い脚を折って片膝をついて跪いたのに、すずりの重いまぶたが少しだけ開いた。
「大江君、負担をかけたことを申し訳なく思います。だが、感謝している。心から」
「い、いえ、お気遣いなく。わたしはご依頼に従っただけですわ」
学校の最高権力者が頭を垂れるのに、すずりは焦りを覚えてしどろもどろになる。
すると少し眠気が覚め、すずりの胸に“著しの儀”の名残であろう、静かだが深い、そしてどこかせつない感情が湧き上がってきた。
眼鏡を外してから目を通した日記の中身も、筆を手に取って書き上げた内容も、まったく覚えていないし、知らなくても良いと思っていた。
ただ、最中にすずりの身体に湧き上がり、手足の指先にまで流れ込んだ情は底知れぬほど深いもので、抵抗せずにいると、それに飲み込まれてしまいそうになるほどだ。
今回、すずりに手蹟を見せるために持ち込まれたのは、鷹峯の亡くなった母親の日記と手紙だと言う。
外遊中でさいごに立ち会うことがかなわなかったと聞かされ、それは気の毒なことだと思った。
だが、今の鷹峯のすっきりとした表情を見る限り、すずりは自分がなすべきことができたのではないかと思えた。
「菓子は他にも用意させましょう。衛藤」
「承知しております」
もっとお菓子が食べられる!すずりの胸がときめくが、そろそろ限界がきたのだろうか。まぶたの重みが、制御不能なものになっていく。
そらでも、これだけは言わなくてはと、すずりは最後の力を振り絞る。
「もし眠り続けて明日の授業に間に合わない場合は……、理由あっての、欠席……、に……」
言い終わらないうちに、すずりは睡魔との戦いに負けを認め、意識を手放した。
背中に毛布をかけながら、やさしく「大丈夫よ」と語り掛けるさち子の言葉が、まるで大江の家にいる母の声のように聞こえた。




