みなぎる洋菓子
半分開いたドアがノックされるやいなや、衛藤が来訪者を確かめる。隙間から顔をのぞかせたのは、楠校長だった。
「大江の……」
「すずりさんはお目覚めになりまして?」
冬斗にかぶせるようにして、さち子が問いかける。衛藤の眉間にしわが寄るが、冬斗は何のためらいもなく役割を譲った。だが、ドアを閉め、深々と頭を下げた後に楠校長の視線が向かった先は、デスクの向こうの冬斗だった。
「まだ上半身を起こすのでやっとのようですが、お腹がすいたと切実に申しております。ベッドのシーツとカバーは取り替えさせますので、医務室で食事をさせてやってもよろしいでしょうか」
冬斗の生活空間を磨き上げることについては妥協を惜しまない衛藤の眉間にふたたびしわが寄るが、冬斗はうなずいた。
「問題ありません。衛藤、手配を」
「あまいものがよろしいようですわよ。まずはそちらの、ザッハトルテ。いただいたら何やらみなぎりましたわ。バターたっぷりのフィナンシェは栄養が取れるでしょうし、ババロアは口当たりよくつるんといけます。これだけあれば、ひとまず足りるでしょう。そのまま寝てしまうと、虫歯が気になるところですけれども」
さち子が言い終わらぬうちに、衛藤が選ばれた洋菓子をワゴンの上に乗せる。先ほどまで敵対関係にあったはずだが、おそらく選択としては間違っていなかったのだろう。さらには紅茶のポットとカップ、ミルクまで添えて、衛藤がドアのほうへと向かう。
さち子は応接用のソファから立ち上がり、その後を追うが、ドアのところでくるりと振り返った。
「わたくしたちは、加賀のおふたりのご令嬢について、これ以上詮索する気も、まして言いふらす気もございません。すずりさんとはそうしようと話したわけではありませんが、同じようにお考えだということはわかっていますわ」
唐突な言葉に、冬斗は目を見開いた。さち子の表情に嘘はなく、瞳はまっすぐにこちらを見据えている。
「なんですか、理事長に向かってその口の聞き方は。失礼ですよ、梨小路さん」
「申し訳ありません、校長先生。しかしながら、あらぬ疑いをかけられて、外出許可を申請するたびに変装した密偵がついてくるようでは困りますもの」
衛藤の片眉がぴくりと持ち上がるが、見て見ぬふりをする。
「そのことを知って、君はどう思ったのですか」
冬斗は言葉を選んで、そう問いかけた。
加賀の令嬢たちが何をし、すずりとさち子がどこまで知っているのか、そして学校側の思惑はどうなのか、誰も明確には口にしていない。
そして普段から無駄な話はせず、外遊帰りでこの国の事情に混乱することも多々ある冬斗は、余計なことを言わずにいるのは得意だった。
「おふたりのしたいようになさればと思っています。学校側も黙認しているのでしょう?卒業まで他のご令嬢方に知られることなく貫き通し、その結果として自分たちが望むものを得ることができたなら、それはそれで立派なことだと思います」
抽象的な表現だが、なるほどと冬斗は思う。いち女学生が堂々と自分の考えを理事長に向かって述べるのに、楠校長と衛藤の不満げな様子が目の端に入ってくるが、それはいったん背景として見て見ぬふりをした。
「花夢女学校は、お妃候補とそれに付き従う女官を育てる学校。女学生は皆、その前提を知った上で推薦をお受けしています。それでも──」
さち子は言葉を切り、ワゴンで手がふさがっている衛藤に代わって、ドアを開けてやり、振り向きざまにこう言った。
「すべての女学生が、それを名誉として受け止め、親の言いつけに従って素直に入学してきたのではないのではないかしら。言い方は良くないかもしれませんけれども、利用してやろうくらいの気持ちの令嬢のほうが多いかもしれませんわよ。そんなふうに思って女学生の皆さんを眺めていると、毎日がとても楽しく過ごせますの」
最後まで言い切ってひとえの垂れ目でにっこりと微笑むと、くるりと顔を正面に戻して、衛藤に先立って廊下を歩いて行った。半結びの後頭部に飾られた山吹色のリボンが、鮮やかに記憶に残った。
「なんと、まあ。梨小路のご令嬢ともあろう方が、はしたないこと」
楠校長は憤ってそう言うが、冬斗はむしろ頼もしいと思った。
花夢女学校への推薦は、春斗から出された、名門の令嬢方への挑戦状とも解釈できる。だが、その推薦をありがたく受け止め、女官なり、妃なりになろうと健気に励むような令嬢は、あの一癖も二癖もある弟のお眼鏡には、到底かなわないだろうから。




