書けない返事と秒針の音
冬斗は風防を閉じ、本体のあちこちの箇所を確かめて、まだベルトをつけていないそれを耳に当てた。
チッチッチッチと秒針が時を刻む音がする。冬斗はこの規則的な音が好きだった。いつまでも聞いていられるし、聞いていると波立った心が穏やかな凪の状態に戻っていく気がする。
幼い頃の思い出に、自分には知らされていないことが加えられ、めずらしく人前──、衛藤と楠校長の前でも、動揺を隠せなかった今日の冬斗にとっても、時計の針の音は同じ癒しの効果をもたらしてくれた。
船に乗り、まずは英吉利へと到着した十二歳の冬斗のもとに、母からの手紙は月に一通必ず届けられた。
土足のまま生活するアパートメントに、石畳が敷き詰められた街並み、人々の服装も市場で売られている食べ物も、そして交わす言葉がまるで違う。未知の世界へ放り込まれ、そこでの生活に溶け込もうとしつつもどこかで拒絶反応の残る冬斗に、母から届いた手紙に染み込んだ墨と、かすかに残った香の匂いは、懐かしさと明日からもまた頑張ろうという勇気をくれた。
だが、何通かの手紙をもらううちに冬斗も気づいていた。冬斗が返信にしたためた、母や大江の家の者たちに関する問いへの回答が、ひとつもないのだ。
次の手紙を書く頃には、冬斗の問いを忘れてしまったのかもしれない。はじめの頃の冬斗は、自分にそう言い聞かせて次の月の手紙を楽しみにしていたものだが、手元に届く手紙が増え、冬斗自身も年を重ねていくうちに、その違和感は決定的なものとなった。
あらかじめ書きためたものを、順に送っているに違いない。そう気づいた時に少年だった心は傷つき、また、床に伏せることの多かった母の身体の状態を想像して焦燥に駆られたが、そのことについて問い糺す内容を手紙に記すことはなかった。
『成し遂げるまで、決して帰ってきてはなりません。たとえ何があっても』
留学のことを告げられてから、母である惠麻に言い聞かされたことを冬斗は覚えている。その真に迫った様子に毎度素直にうなずけば、微笑み、やさしく抱きしめてくれるものだから、言いつけに従うことが母を喜ばせることなのだと受け止めていた。
そうして、英吉利で三年の時を過ごし、母から届く手紙が四十通へ迫ろうかという秋の頃に、その訃報は残りの八十通の手紙とともに文鎮から届けられた。亡くなったのは半年前のことで、時を経てから知らされたのは惠麻の意志であり、心ない仕打ちを許してほしいとの文鎮からの謝罪文が添えられていた。
(翁……、短冊殿もだが、大江の男は母にはかなわなかった)
秒針が奏でる規則的な音にまぶたを閉じて聴き入りながら、冬斗は微かに口元を緩ませる。
お雇い外国人の医者の娘である惠麻が宮中の女官として参内することになったのは、大江文鎮が動いてのことだったと言う。当時の宮中でも、仏蘭西語と西洋の生活文化や礼儀作法を学ぶ必要性に迫られ、西洋の知識を持つ女官のひとつとして、惠麻も加えられたのだ。
そして生まれたのが冬斗であり、意図せず皇位継承をめぐる政争に巻き込まれることとなった。一時は時代の波に乗り熱狂的な盛り上がりを見せた冬斗派だったが、国の方針を決める重鎮たちは冷静だった。政争の結果、敗者となった冬斗は降下し、惠麻とともに下野することになったのだった。
(あまりに悲壮な決意ではあったけれども、結果的に、あの頃のわたしと、成人してからのわたしを守ってくださったのだ)
百二十通の手紙と日記帳。それを冬斗は、ためらうことなく、文鎮の孫娘であるすずりに手渡した。そのすべてにわずかな時間で目を通し、畳いっぱいに転がした巻紙へと延々と文字を書き連ね、いつしか惠麻の手蹟へと変化した後につむぎ出された言葉は──。
『おかえりなさい。ご立派になられましたね』
あまりに簡素で、拍子抜けするほどのものだった。時間をかけて墨を擦り、畳の上へ毛氈と巻紙を転がす、仰々しい“著しの儀”とやらをさせる必要があったのかと、頭で考えれば思う。事実、衛藤はそんな表情をしていた。
だが、それでも──。冬斗は時計を当てていたほうの耳の、頬にひと筋、あたたかいものが流れるのを覚えた。
それは、まだ幼い頃にたったひとりの母と離れて異国の地を踏み、言葉も文化も異なる中で葛藤した冬斗が、それでも一度も流さなかった、涙というものだった。




