相棒のぬくもり
楠校長のとがめるような視線に耐えきれなくなってすずりが視線を泳がせれば、さち子が手を取り、きゅっと握りしめてくれた。思わずさち子を見れば、励ますようにうなずき、口を開きかけた。だが、それを阻んだのは意外にも鷹峯だった。
「責めているわけではない。わたしは大江の翁と面識があり、その人柄を知っているつもりです。その孫娘であるあなたが、面白半分にその才を用いるはずがない。わたしたちはただ、理由が知りたくて尋ねているだけです」
思ってもみなかった言葉に、すずりは目を見開く。翁と言われ、あの部屋に染み込んだ煙草の匂いと、目を細めて笑うあたたかい祖父・文鎮のことを思い出した。
そして、はたとなる。すずりが“著しの儀”を自分のために用いたのは、ある程度ものがわかるようになってからははじめてかもしれない。百年に一度ほどの割合で一族に現れるこの才が備わっていることが明らかになるまで、すずりは青墨に手伝わせ、子どもの遊びのひとつとして、中途半端なそれを行っていた。
(理由といえば、それはそちらさまのせいとも言えるのですけれども)
すずりは助け舟を出してくれたはずの鷹峯に対し、眼鏡の奥から軽く恨みがましい視線を送る。
落ちぶれたとはいえ、宮中の記録係である大江の家のひとりの娘として育てられた。そのすずりが、今は降下したとはいえ、春の宮の上にもうひとりの皇子が存在した記録に目を通した記憶がないというのは、本来ならありえないことだった。
老いてもなお、向上心と知識欲に満ちた文鎮が、西洋の学問に限っては学ぼうという姿勢を見せない。改めて考え直してみれば、それもおかしなことだ。
それでも、当時のすずりは、大好きな祖父・文鎮の意に添わないことをして、大江の家の団欒を乱したくないと思っていた。たまにふらりと帰ってきては、すずりに見つからないよう勝手口の戸を叩く、どこぞの“旅の御方”について追求しないのと同様に。
気づかないふりで鍵をかけた隠し事の箱が、鷹峯に出会ったことで、中から何かが溢れ出ようとギシギシと音を立て始めている。それを解き放つなら、すずりが持つ唯一の鍵は“著しの儀”だった。
だが、花夢女学校には、慣れた大江の客間もなければ勝手知ったる青墨もいない。それでもこれまでどおり謎解きが行えるのか、試してみたくて和歌の料紙をもとに行ってみたのだった。秘密を暴かれた麗子と偲には迷惑だったかもしれないが、それなら不用意に、したためた和歌をクラス分けの貼り紙の隙間に挟んだりしてはいけないのだ、などと手前勝手な理屈をこねてみる。
(さて、どこまで正直に説明したものかしら)
すずりは、握っていてくれるさち子の手のあたたかさに励まされる。一方で、鷹峯の言葉とは裏腹に、楠校長と秘書の衛藤は返答を待つようにすずりを見つめていた。その視線を気づかぬふりでやり過ごせるほど、すずりは図太くなかった。
相変わらず、優雅な管弦楽が蓄音機から流れている。ひと呼吸おきたくて、さち子のあたたかい手から丁寧にすり抜け、ティーカップをソーサーごと取り上げ紅茶を口に含む。思ったより喉が渇いていて、冷めたそれをごくごくと飲み干してしまった。
すると、先ほどまで烏の嘴のような視線を向けていた衛藤が、音も立てずに動いてティーポットを取り上げ、湯気の立つ紅茶を注いでくれる。すずりはどちらでも良かったが、味を変えてみようかとミルクを注いだ。
そうして今度は恨みがましさを引っ込めて、鷹峯のほうを眼鏡の奥からちらりとうかがうように眺めれば。それまで閉じられていた鷹峯の端正な唇から、軽いため息がこぼれた。
「では、話を変えましょう。あなたに仕事を依頼します。これで“著しの儀”を行っていただきたいのです」
鷹峯がそう言って片手を上げると、また音も立てずに衛藤が動き、すずりの前に青灰色の風呂敷包みを置いた。




