鷹峯時計製造株式会社
校長に付き従い、入ったばかりの校舎の玄関をまた出て校門へ向かえば、そこには人力車が二台待ち構えていた。
すずりとさち子は二台目にふたりして乗り込み、一枚の膝掛けを並んでかけた。校長の車を追いかけるようにして人力車が走り出すと、前の日曜日に乗せてもらった、加賀のご令嬢がたご手配の自動車の窓から眺めたのとは、また違った印象で景色が見えてくる。
しばらくすると角を右に曲がり、当たり前だが、泰西軒とは別の方向へ向かって進む。
「あら、あんなところにお菓子屋さんが。もう水饅頭ですって、早いわね」
「今度、外出許可をいただいて行ってみましょう」
そんな無邪気な会話をかわしながらも、すずりの頭の中はこれから出会う、理事長のことで占められていた。
『春の宮のお兄様がご就任あそばされました。十年にも及ぶ外遊から帰国されたばかりの、背の高い美青年だとか』
そう、さち子が教えてくれたのは、入学式当日のことだったか。宮中の記録係を務めてきた大江の家の娘として生まれた、すずりである。その自分が、春の宮の兄の存在を知らないはずがないのだが。あまりの衝撃と混乱に、具合が悪くなったくらいだ。すぐに、ライスカレーで復活したけれども。
昼食の帰りにクラス分けの貼り紙に差し込まれた和歌を見つけたのを発端に、加賀の令嬢たちとかかわることになって二の次にはなっていたが、すずりはその衝撃と混乱を忘れていたわけではなかった。
とはいえ、具体的に何をするでもなかった。大江の家にいれば、蔵にこもって記録を探ることもできようが、女学校の寄宿舎にいる今はそれもかなわない。理事長に就任したというその青年の手蹟をなんらかの形で手に入れることができれば、“著しの儀”できっかけが見つけられるかもしれないが──。
(万一手に入ったとしても、その勇気はないかもしれない)
春の宮の兄である人物が、十年近くも外遊していたというのは異常事態だ。まるで、春の宮を継承者の地位へつけるため、厄介払いをしたかのようではないか。もしそうならば、政争のひとつふたつ起きていたに違いなく、記録として大江の家が記すべきものだ。それをすずりが知らないのであれば、何らかの形で正規の記録からは葬られた可能性が──。
そんな思いつきにすずりが身を震わせたところで、車が止められた。さち子との会話もそぞろに、考えに集中していたためか、あっという間だった。
静かな住宅街の中に、他と比べれば大きめの邸宅がある。新しくはないが、立派な門構えだった。車を降りれば、門にかけられている看板には「鷹峯時計製造株式会社」の文字が記されている。
(わたしたちは理事長のところへうかがったのでは)
すずりとさち子がその不可解な文字列を眺めていると、横の潜り戸が開き、背広に身を包んだ、背の高い青年が現れた。
「お待ちしておりました」
落ち着いた声で一礼すると、それでわずかにずれたのだろうか。眉間の下あたりを押して四角い銀縁の眼鏡の位置を正した。




