↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
47/69

ふたりの約束

「麗子さま、麗子お嬢さまー?」

「どちらにいらっしゃるのですかー?」


 女中たちが自分を呼ぶ声がする。麗子は、自分の身体をぎゅっと抱きしめ、さらに身を小さく縮こまらせる。


 そのような努力をしたところで、同じ年頃の姫たちと比べると大柄なことには変わりはないのだけれど。


「麗子さまー?」


 高鳴る胸と荒くなる呼吸をどうにか制御して、身を隠していたのが成功したらしい。女中たちの声と足音は次第に遠ざかり、人の気配が薄れていくのがわかった。


 麗子はひとり、ほっとため息を漏らす。強張っていた身体がほどけ、二の腕の辺りが痛むのに気づく。自分で自分を抱きしめていた手の力が強すぎたのだろう。腕に痕が残って、着替えの際に女中に叱られるかもしれない。


 一難去ってまた一難。気分が沈みかけた麗子だったが、きいとわずかな音を立てて戸が開き、びくりとなって振り返る。急いで身を隠すことを優先したため持ち込むことができなかったが、鍛錬を重ねている愛用の薙刀が手元にあれば、咄嗟に構えをとっていただろう。だが、鼻が嗅ぎ取ったかすかなあまい香りに、すべての警戒心が解けた。


「やはり、ここにいらっしゃいましたのね」


 姿を現したのは、分家の娘であり、麗子の遊び相手兼侍女のような役割を務めてくれている偲だった。


 麗子が姿を隠したのは、加賀侯爵邸の広大な庭の目立たない一角にたたずむ物置小屋だ。錦鯉が泳ぎ回る池の近くに、新たな藤棚をつくっている最中で、その小屋に資材が運び込まれ、作業員が出入りするようになった。事務所とまでいかないが、大人がひとり休憩したり、軽い事務作業をする小部屋もあり、麗子と偲はその戸が開く鍵の場所を知っていた。


 元大名にして、侯爵の爵位を与えられた加賀本家の邸宅の庭は、麗子と偲が毎日探検しても、その日ごとに新たな発見があるくらいに広い。庭の手入れを専門にしている使用人も複数いて、なにか新しい趣向を凝らす際には、麗子と偲にこっそり教えてくれるのだった。


 だから、自分の居場所を見つけてしまうとしたら、偲だけだと麗子は思っていた。むしろ、偲が見つけてくれなくては困る。でないと、女中たちから身を隠すことに成功したその後に、ひとりではどんな顔をして、表に戻れば良いのかわからないから。


 麗子は奥へと身を進め、偲の場所をつくる。すると優雅に身を滑らせ、偲は隣へと腰を下ろした。先ほど嗅ぎつけた、あまい香りが濃ゆくなる。


「そんなにお嫌なのですか?わたくしはきっと、麗子お嬢様にお似合いになると思いましたのに」


 偲はすぐに核心をついてくる。麗子は、先ほど覚えた胸の奥から湧き上がってくるような困惑と苦手意識を思い出し、ふるふると首を振った。


「わたくしには似合わないわ。こんなに肩幅が広くて、大柄なんですもの」


 そう言って麗子はまた、自分の肩を抱きしめる。また手の痕がついてしまうかもしれないが、もう癖のようなものなので仕方がない。その癖もよく知り尽くしている偲が、そっと上から手を添えた。


「西洋式のワンピースなのでしょう。異人に負けず背が高く、手足が長い麗子お嬢様なら、もしかしたら着物よりももっとお似合いになるかもしれませんことよ」


 偲は麗子の父のことをお殿様と呼ぶ。その娘である自分はお姫様になるわけだが、本来お姫様というのは、先ほど与えられた、袖にも裾にもレースをあしらったかわいらしいワンピースが似合うものである。


 だが、麗子の自己評価ではそれは当てはまらない。自分はお姫様などでは、決してないのだ。


「きっと似合わないわ。あれを着てフォトガラフィーを撮らなくてはいけないだなんて、絶対に嫌だわ。そんなことをしなければいけないのなら、わたくしずっとここへこもって、お食事もいただかないわ」

「困ってしまいますわね。お殿様とお近づきの印にと、お嬢様にワンピースを贈ってくださった異人の方が、どうしてもそのワンピースをお召しになったお嬢様を写したフォトガラをご覧になりたいとおっしゃっているのでしょう」


 偲の言葉に、麗子は振っていた首をぴたりと止める。加賀の家がどれだけ裕福で、地位も身分もあったとして、いや、だからこそ、その家の姫に生まれた自分は、その立場にふさわしい振る舞いをしなくてはならないことはわかっている。異国人と良い関係を結んでおくことが、父や加賀の家、さらには一等国を目指すこの国にとっても重要なのだ。


 父と母は、折々に、麗子にその自覚を促す話をした。だから、わかってはいるけれども──。麗子は、“加賀の姫”に対して求められるすべての役割が苦手だった。同じ年頃の姫君たちと、きれいな着物を着ておしゃべりをしたり、お菓子をいただいたり、お人形遊びをする場にいるのは苦手だ。大柄に生まれついた麗子は、華やかな色柄の着物も、贅沢な簪も、たまにちょこっとだけ唇にさす紅も、何もかも不似合いだと思っている。「まるで男の子のようだ」と陰口を叩かれたことがあるからだ。


 麗子が好きなのは、自分の部屋にこもって、辛抱強く適切な言葉を選んで和歌を詠んだり、愚直に何百回も薙刀を振って稽古を重ねることだ。自分には、“麗しい子”なんて名はふさわしくない。加賀の姫としてのふるまいを求められるなら、いっそいなくなってしまいたい。そんなふうにまで麗子が思い詰め、二の腕を掴んでいる手にさらに力を込めた時だった。


「わかりましたわ。僭越ながら、わたくしが麗子お嬢様の代わりにワンピースを着てフォトガラを撮っていただけないか、お殿様と奥方様にお話してみます」

「……え?」


 突拍子もない話に麗子はぽかんとするが、偲の笑みに迷いはない。


「考えてもごらんになって。異人の方は麗子お嬢様のお姿をご存じないのですから、同じ年頃の娘が、ワンピースを着て写っているフォトガラさえできればよろしいのですよ。わたくしは麗子お嬢様と違って、中身のないぱっぱらぱーではございますが、ワンピースを着てにこにこしているくらいのことはできますもの。ね、お殿様にお願いしてみましょう」

「でも、偲……。そんなことがもし、異人にバレてしまったら?」

「バレませんわ。もし、その異人の方が訪ねてくるようなことがあれば、わたくしまた、ワンピースを着て、麗子お嬢様の代わりを務めます。その間、お嬢様はお好きなだけ、薙刀のお稽古をなさっていたらよろしゅうございましょう」


 そうできたら、どれだけ気持ちが楽になるかと麗子は思う。だが、入れ替わりをして人を騙すなんて、許されるのだろうか。


「ご心配なさらないで。この先も偲が、麗子お嬢様が苦手なこと、お嫌なこと、すべて代わりにやって差し上げます。お嬢様が苦しまずに、お好きなことだけなさってお暮らしになれるよう、偲はいつもお側に仕えてお守りしますわ」

「偲……」


 華奢な身体付きに、まるで人形のように整った顔立ち。白磁の器のようにつるりとした白い肌に、桜貝のような愛らしい爪。


 お姫様などと、似合わぬ呼び名で呼ばれるたびに思っていたのだ。偲のほうがずっとお姫様で、“麗しい子”なのにと。


「やってみても、良いのかしら」

「それはお殿様にお願いしてみなければわかりません。お叱りがあるかもしれませんが、その時はすべて、思いついた偲が受けますから、お嬢様はご心配なさいませんよう」

「偲……」


 愛らしく微笑む偲には、一片の迷いも見受けられない。麗子は知っていた。薙刀などはからっきしだが、この可憐な人形のような偲の内面は、とても強いのだ。身体つきばかり立派で、思ったこともうまく伝えられない自分とは、まるで違う。父も母も偲のことはたいそうお気に入りだから、万にひとつ、入れ替わりも許されるかもしれない。


「さ、お嬢様。戻って昼餉をいただきましょう。お腹が空いては戦はできませんわよ」

「……そう、ですわね」


 こくりとうなずき、差し出された手を取れば、心底嬉しそうな偲の背後に満開の牡丹が見えた、ような気がした。


 この世は麗子にとって苦手なことばかりがあふれているように思うけれども、偲がいれば生きていける。隠れ場所の小屋を出て、広い庭を偲に手を引かれててくてくと突っ切っていけば、少し前向きになれた麗子の腹の虫が、かわいい鳴き声を立てた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。