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ビフテキはお作法どおりに

「このようにフォークで押さえて、ナイフをこうして切るのですわ」


 提供された一枚のビフテキを、ナイフとフォークを使ってどう口に入る状態にするのか、麗子が実践してくれるのを、すずりは食い入るように見つめた。


 泰西軒での食事は和やかに滞りなく進み、メインのビフテキが登場する段階になっている。麗子は当たり障りはないが、かといってまったく中身がないわけでもない話題をその時々適切に繰り出して、テーブルに沈黙を訪れさせなかった。


 偲は静かに微笑んでいるだけだが、ここぞという時に適切な相槌を打つ。そして麗子が出した話題を、さらに盛り上げるようにさち子が応じるから、すずりは聞かれたことに対し、自分の考えをそのまま、言葉少なに述べるだけで場が成り立っていた。


 ナイフとフォークを用いて洋食をいただくのがはじめてなのは、すずりだけだったようである。さち子の前のビフテキは、右端が二切れ分ほど小さくなっており、当の本人は別皿で出されたロールパンをちぎっていた。


 麗子がして見せてくれたのとは似ても似つかない、おっかなびっくり不器用な具合で、すずりはビフテキにナイフを入れる。添えられた野菜のソテーをなんとか皿の外へ飛ばすことなく切り終えると、ようやく手に入れたビフテキのひと切れをフォークに刺して運び、口の中へと入れると、奥歯で噛み締めた。


(んん〜!!)


 濃厚なバターの香りと溢れ出る肉汁が、すずりの口の中へ広がる。店特製だという濃厚で複雑な味わいのデミグラスソースは、甘じょっぱい牛鍋とはまた違った具合で、すずりのビフテキ初体験を奥深いものにしてくれた。


「お味はいかが?」

「とてもおいしいです」


 まだ口の中にビフテキの欠片が残ったまま言葉を発してしまったが、迅速に感想を伝えたのを誠意として受け取ってくれたのだろう。麗子は牡丹が花開くように微笑み、偲は安堵の表情を浮かべて、自らの皿に意識を向けた。


「それにしても、こんな素敵なお店でご馳走していただけるなんて。わたしたちはただ、昼食をお部屋へ届けただけですわよ」


 パンをちぎった手を膝の上のナプキンで拭きながら、さち子が言う。偲が手を上げると、はじめに椅子を引いてくれたのとはまた違う、四角い眼鏡をかけた給仕がグラスに水を順に注いで回る。


「その節はありがとうございました」


 麗子がワンピースの胸元に垂らした巻き髪を揺らし、頭を下げる。偲もカトラリーを置き、麗子に倣った。すずりとさち子も畏まってそれを受ける。


 給仕が全員分の水を注ぎ終えたところで、麗子が垂れた巻き髪を肩の向こうへと払い、にっこりと微笑みを浮かべた。


「あの時の五目いなり寿司はたいへん結構なお味でしたわね。それに都合が良かったこと。おうどんやライスカレーでしたら、目覚めた時にはすっかり冷めてしまっていたはずだもの」


 麗子の言葉に、偲が控えめにうなずく。なぜだろう、先ほどまでの延長線上の流れるような会話にもかかわらず、すずりはナイフとフォークをとり、ビフテキの切断作業に取り掛かる気になれなかった。


 膝の上に広げた、ナプキンの端をいじりながら、笑みを絶やさぬ麗子の言葉を待つと──。


「それで、どうお思いになって?」

「どう、と言いますと?」


 こちらも食事を中断し、さち子が応酬する。にこやかに微笑んだひとえまぶたの下の瞳が笑っていない、例の表情だった。すると、麗子がちらりと偲のほうを見て、その大柄な肩に手を添えた。


「五目いなり寿司のお皿に挟んでくださった、和歌についてですわ。お読みになったのでしょう」


 きたきたと、すずりは思った。びびびっと、背中に垂らした一本の三つ編みの結んだ先が、海老の天ぷらのように元気よく跳ねたような気がした。

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