理事長の記録係
「すずりが入学してからそれほど日が経っていないようですが、もう何かやらかしましたか。それとも、当家のことを改めて詳しくお調べになったのか。女学校への推薦の際に、家やら身元やらは綿密に調査が行われているはずですからな」
淡々と口にした文鎮の様子に、冬斗は我に返る。うぐいす餅の食感から赤ん坊のことを思い出したからだろうか、それとも身体に染み込んだこの家と翁の慈しみの記憶に気が緩んだのか。あまりに前段をすっ飛ばし、自分の要求だけを突きつけてしまったかもしれない。
冬斗は正座の足を整え直し、ひとつ咳払いをした。
「翁の孫娘であるすずりさんが、特殊な能力をお持ちであることは聞きました。わたしが大江の家にお邪魔していた頃には、そのような話は知りませんでしたが」
「大江の家の直系に生まれたとて、“著しの儀”を行える能力があるか否かは、手習いを終えて自分の頭にある考えを、文字として書き著せる年にならねばわかりません。その才は百年に一人くらいの頻度で現れますが、女子がその能力を持っていたという記録は残っていませんでした。実際には持っていたとしても、記録に残さなかっただけかもしれませんが。時を遡るほど、女子を表に出す時代ではなくなっていきますから」
そこで文鎮は、ひと呼吸おく。
「女子であるすずりにその能力があるとわかった頃には、あなたさまは外遊されていた。ご存じなくて当然です。今も、別に隠しているわけではない。御一新で宮中の記録係という役も廃れ、我が家は落ちぶれました。古い知識は求められなくなり、忘れ去られていこうとしています。すずりはその才を、ご近所のお困りごと解決に用いて、小遣い稼ぎをしていたくらいですから」
さぞ、孫娘がかわいいのだろう。落ちぶれたと語りながら、口元は緩んでいた。だが、その目がすうっと細められ、空気にわずかな緊張がただよう。
「つまり、“著しの儀”など、花夢女学校のご令嬢がたには一生縁のないものです。それを今さらあなた様が口にされるとは……。まさかすずりは、入学してからまだ幾日も経たないうちに、ひとめにつくところで“著しの儀”を披露したのですか?」
文鎮の問いに、冬斗は首を振る。
「正確にはわかりません。密かにその能力を用いたのではないかとの疑いを、わたしと校長、そして春……、の宮さまという限られた者のみが抱いています」
「春の宮さま?」
驚きの声が上がるが、それも当然だと冬斗は思う。間違っても、女学校の理事長室に気軽に遊びに来たりする立場にはないのだ、あの弟は。
「開校したのだから、一度顔を出すことにしたのでしょう。女学校の目的はご存じですよね」
「春の宮さまのお妃候補と女官候補の育成でしょう。二年間生活をともにすることで親睦を深める、もありましたな」
「自らの発案で設立した女学校だと聞いています。とはいえ、足をお運びになったのは別の敷地にある理事長室までですが」
言いながら冬斗は、これ以降も頻繁に顔を出しそうな予感を覚えてはいるのだが。文鎮はとりあえず納得したように、うなずいた。
「春の宮さまが、当家とすずりのことをご存じとは……。畏れ多いことでございます」
「あの女学校が、将来の女官選びの目的を兼ねているのであれば、それほどおかしなことでもないでしょう。代々、宮中の記録係を務めてきた大江のご令嬢で、かつ百年に一人の特殊な才を持っているとあれば、女官候補にあがってもおかしくありません」
冬斗は今、時計製造会社の組織図を描いているところだ。会社を大きくする夢を見るなら、何かの才能に特化した人材に来てほしいと思うものである。冬斗がつい、自ら経営する時計会社へと意識を飛ばしていると、ふうむと唸りながら文鎮があごの髭を撫でた。
「すずりの才を評価していただけるのは、ありがたい限りです。宮仕えに出すとなると至らぬところばかり目立つ娘ではありますが……、いつかお役に立つ日も来るでしょう。しかしながら、先ほどあなたさまは“貸してほしい”とおっしゃった。花夢女学校への入学を承諾し、本人も納得して通っている以上、もはや大江の家では、すずりは宮中へ差し出したようなものですが」
理路整然とした文鎮の言葉に、冬斗はうっと言葉に詰まる。
そうなのだ。冬斗が今日、文鎮に頼みに来たのは、冬斗の個人的な依頼だった。個人的とはいっても、あくまで花夢女学校の理事長としてのものであって、すずりが冬斗の役に立つことは、結果的には仕事を冬斗に押し付けた、春斗のためになることでもあって……などと、思考の中で言い訳をしながら、幼い頃の自分に学問を教え導いてくれた、博識な老人へ語りかける言葉を慎重に選ぶ。
「わたしはすずりさんに、いわば花夢女学校の記録係を依頼したいと考えています。記録の提出先は理事長であるわたし、鷹峯です。記録係を務めていることについて、いたずらに外へ漏れることがないよう万全を期すことを固くお約束します」
冬斗が必死に、熱っぽくそう語るのが、意外だったのだろうか。文鎮が年のせいか、ややしょぼついているつぶらな瞳をぱちくりとさせた。




