葉桜の下のおめかし
日曜日。すずりとさち子は、加賀麗子からいったん借りたていになっているワンピースを身につけ、待ち合わせ場所として指定された校舎の前の花壇までやってきた。校門の前には黒塗りの自動車が止められている。
麗子と偲は色違いのそろいのワンピースを身につけ、車の前で待ち構えていた。麗子は深蘇芳、偲は天鵞絨のモスリンで、肩のあたりがふんわり膨らんでいる。シンプルな真っ白い袖と丸襟がついており、胸のあたりにはカメオのブローチを飾っていた。裾は足首のあたりまであり、揃って白い靴下によく磨かれた黒いストラップシューズを履いている。斜めに髪に飾るようにかぶった帽子のリボンも、ワンピースと同色で合わせていた。
すずりは先日貸し与えられた、白地に黒い水玉のワンピースだ。さすがに洋装の胸元に忍ばせるのは難しく、硯は部屋に置いてきた。一方のさち子は、黄土色に格子柄の模様が入った、襟のあたりに同じ生地でできた大きなリボンが飾られたのを身につけている。
あの日、麗子たちがハ組まで押しかけてきた際に広げて見せはしなかったが、しっかりさち子の分まで用意されていたのだ。すずりとさち子は洋装の支度など持ち合わせていなかったから、普段制服に合わせている編み上げブーツを履いていた。
「ごきげんよう。とてもよくお似合いだわ」
着物とはまた異なる可憐さで圧倒する麗子に、心の底からそう思っていることが疑いもない笑みを浮かべて言われ、すずりは愛想笑いを浮かべるしかできない。
例によって例のごとく、夜更かしをして寝不足なうえ、世界の大半がぼやけてしまうので顔の半分以上を覆う大きな眼鏡を外すわけには行かなかった。
残念ながら麗子の体型に合わせて仕立てられたそのワンピースは、すずりにとっては袖が少々長く、胸のあたりが余裕がありすぎたのだが、器用なさち子の工夫によりなんとか誤魔化して着ていた。
「さ、参りましょう」
麗子が声をかければ、運転手が自動車のドアを開ける。すずりとさち子は促されるまま、進行方向を正面にして後部座席へと腰掛ける。ふたりと向き合う形で麗子と偲が乗り込めば、丁重にドアが閉められた。
「発車いたします」
運転席から声が掛けられ、すずりが視線を上げれば、鏡越しに品の良い運転手と目があった。言葉のとおりに黒塗りの自動車は走り出し、花夢女学校を囲うレンガ壁の横を通り過ぎていく。
入学式に満開だった桜は、今や緑の葉のほうが多くなっている。少し前まで想像もつかなかった全寮制の女学校生活は、日に日にそれが当たり前のものとなって、すずりは自分の身体が適応しているのを実感していた。
「せっかくの日曜日にお時間いただいて、ご迷惑ではなかったかしら。わたくしたちはお礼を言いたかったものだから、応じていただけてたいへんありがたいのだけれど」
少し困ったように首を傾げる麗子に、誰が迷惑だなどと言えるだろう。もちろん、自由な休みの日を与えられれば、すずりは前の晩にいくらでも夜更かしをして書物を読むし、さち子は朝食を終えて早々、鉛筆とスケッチブックを手に、萌えを求めて散策に行くはずだが。
一方で食いしん坊を自認するすずりは、まだ味わったことのない洋食に興味があったし、さち子にとっては洋食はもちろんのこと、麗子と偲というふたり組が今もっとも旬な題材であることは間違いなかった。何より、麗子と偲は大胆にもお互いの立場を入れ替わって女学校生活を送っている、興味深い人物である。
たかだか昼食を部屋まで運んだだけで、ワンピースを貸し付けられ、洋食をご馳走になるというのははばかられる類の申し出だったけれども、食い意地と麗子と偲への興味のほうが遠慮を上回ったのだった。
「わたしどもが家族でよくお世話になっている洋食屋さんに向かっておりますの。大江さん、梨小路さん、何かお嫌いなものはある?」
すずりがふるふると首を振ってみせれば、麗子と偲が微笑んで頷き合った。それに、さち子の鉛筆を握ったような格好の右手が反応する。
「良かった。素敵な日曜日になりそうね」
窓の外へ向かった麗子の視線を追いかければ、すでに女学校を囲う壁を通り過ぎ、見たことのない景色が広がっていた。入学式に青墨が送ってくれた校門までの道のりの、さらに向こうへと車は進んでいるのである。
(何かが動き出しているわ)
すずりは、花夢女学校に入る前のことを思い起こす。まだお嫁になど行きたくはないし、花嫁修行をさせられる女学校に通うのもごめんだった。一方で、古めかしい和書の記録ばかりが詰まった頭を使って、唯一の特技である“著しの儀”を披露してみても、雀の涙の小遣い稼ぎ程度にしかならない。
大江の家には一冊もない、洋書の類が読めるかもしれない。古めかしい和書の記録ばかりが詰め込まれた頭の中に、新たに洋書を放り込めば、ぼやけた記憶に光がさすかもしれない。
そんな賭けともいえるあわい期待に、苦手な集団生活に飛び込んだ(体操の授業は後悔している)すずりだったが。着慣れないワンピースに身を包んで乗り込んだ自動車の窓の外には、あきらかに見知らぬ景色が広がり始めていた。




