救いの女神
机に突っ伏し、乱れた髪や眼鏡の位置もそのままにすずりはその挨拶を発した主を見る。
すっかり血色が良くなった頬も、まつげの長いぱっちりとした瞳も、鈴のような声を奏でる唇も、なにもかもがぴかぴかと輝いていた。至近距離で接する加賀麗子は、まず息を呑んで目を見張り、その後は不躾ではあるけれど見入った視線が外せなくなるほどに美しかった。どうやら、完全復活なさったらしい。
「大江さんですわね。そして、梨小路さん」
すずりは眼鏡の位置を直してうなずき、さち子は「ごきげんよう」と返す。ようやく麗子以外が視界に入ってくるようになり見回せば、まだ見惚れたままの者とさりげなくではあるがこちらをうかがっている者、表現はさまざまではあるものの、皆が麗子と自分たちに注目していた。
「先日は昼食をお届けいただき、本当にありがとうございました。心より御礼申し上げます」
縦に巻いた髪をはらりとこぼし、礼儀作法の見本のようでありながら愛くるしい所作でもって頭を下げる。すずりもつい姿勢を正し、礼を返してしまった。
「お礼を申し上げるのが遅れてしまって」
言いながら眉をひそめて悲しい顔をするものだから、すずりも胸が締め付けられ、勢いよくぶんぶんと首を振る。
「お加減が良くなったようで何よりですわ」
「ありがとう。おやさしいのね」
今度は今日から春が来たかのように微笑むものだから、すずりもうれしい気持ちになってしまい、頬がじわじわと熱を帯びていくのがわかる。ちらとさち子をうかがえば、微笑んで行儀良くしながらも、小さく空中でスケッチを始めているのがわかった。
「せっかくの休憩時間にお邪魔してしまって申し訳ございません。でも、どうしても気が急いてしまって、ね、偲」
「はい、お嬢様」
麗子が少しずれて道を譲れば、偲が手に抱えていた風呂敷包みをすずりの机の上へと置く。
「せめてものお礼にお収めくださいな」
「お礼、ですか?」
すずりが問えば、偲が風呂敷包みの結び目に指をかけ、きっちりと蝶結びにされた結び目を解く。すると、白く艶めいた絹地に黒い水玉模様が散らされた布が出てきた。はて何かしらと首を傾げているすずりを差し置いて、偲がその布を広げて見せると、着物のそれとは異なる仕立てで、丸い襟がついており、広がる長い裾がふわりと舞った。
「仏蘭西で仕立てたワンピースですの。こちらのクラスでも、お裁縫の授業でワンピースを仕立てる課題は出たのでしょう?なかなかに厳しい罰則ですから、もしよろしければお役立てになって」
麗子の言葉に、同じ教室内の令嬢たちから羨望の眼差しが向けられ、洒落たワンピースへの賛美が上がる。すずりは背中に刺さる痛いほどの視線に、ようやく気づき、椅子から立ち上がった。
「ふ、仏蘭西仕立てのワンピースなんて、そんな高価なもの、いただけません!」
すずりが風呂敷包みを押し返して言えば、麗子は大きな瞳を見開いて、不思議そうに首を傾げる。
「わたくし、このようなワンピースは何着か持っておりますので不自由しませんのよ。それに、大江さんを食堂でお見かけするたびに、満ち足りた気持ちになっておりましたの。いつも本当においしそうに、ありがたそうにお食事を召し上がるものですから。そんな大江さんが、ワンピースの仕立てが間に合わずにディナーをいただけないとなったら、さぞ悲しまれると思いましたのよ」
「それは……、そうかもしれませんけれど」
見られていたのか、とすずりは思う。そして、麗子の目に留まるほど幸福そうに食事をしていたのを恥ずかしく思った。だが、仕方ないだろう、花夢女学校の食堂で提供される食事は、たとえおむすびにたくあんを添えたものであってもたいへんけっこうなお味なのだから。
「それならまずは一度、そのワンピースをお召しになって、わたくしたちのお招きに応じてくださらない?それでお気に召したのなら、……そう、この学校にいる間中、お貸しするというのではいかがでしょう」
「お招き」
すずりが鸚鵡返しにすれば、麗子が微笑む。
「今度の日曜日、おふたりの分も外出許可をいただきました。街へ出て、洋食をご一緒にいかがかしら」
麗子の誘いをすずりの頭が咀嚼する前に、名門の令嬢揃いである花夢女学校の女学生たちから、あからさまに羨むため息がこぼれた。




