偲のお披露目
偲が壇上に上がるまでに、教師の瓜生は壇上の左手側に移動していた。舞台の裾から木製の薙刀が手渡され、右手で垂直に立てるように持って、偲と向かい合う。
顔を見合わせ、ゆっくりとした動作で一礼を行うと、お互いに数歩歩み寄る。足を肩幅に開き、垂直に持っていた薙刀の円を描くような動作で切先を床へと倒した。そして水平よりはやや斜めに持ち上げ、刃の形に仕上げた先端を触れ合わせるようにする。
それだけの仕草の間に、三クラスの女学生が一堂に会した講堂はしんと静まりかえっていた。偲と瓜生の動きが流れるように優雅でありながら凛としていて、お年頃の令嬢たちも誰に言われるでもなく、自然とさえずるくちばしをつぐんだのである。
(まるで茶道のような静けさだわ)
どうやら今日は見学だけで良さそうであること、そしてさち子にもらった檸檬どろっぷとで爽快感を覚えていたすずりも、集団の空気に飲まれて壇上に見入っていた。
「はじめ!」
瓜生が自ら掛け声を出し、偲とふたり、見合ったまま、静かに足を運び始める。足袋もまとわぬ裸足で滑るように移動すると、時折、床がわずかに軋むが、それ以外に物音ひとつしない。固唾を飲むのも躊躇う静寂がしばらく続く中、変化は突然に訪れた。
「やー!」
「小手!」
偲が繰り出した切先を払い、瓜生が偲の手首を狙ったものの、実際には当てずに止めた。お互いに薙刀で威嚇し合うようにしながら、それぞれ後ずさり、刃を床へと向けながら距離を取る。ある位置までたどりついてぴたりと静止すると、持っていた薙刀をくるりと回して、今度は刃を天に向け、やや斜めに傾けた垂直にしてまた睨み合った。
「おふたりの技量にこの舞台は狭すぎるわ。惜しいこと」
女学生たちが固唾を飲んで見守る中、横に座っているさち子が檸檬の匂いのため息とともに漏らす。偲と瓜生の演武に釘付けだったすずりが顔をそちらに向ければ、興奮気味に頬を紅潮させたさち子が、視線は舞台に向けたまま、まるで空中で鉛筆を走らせるような手の動きをしていた。
「八相の構え、ですわ。いよいよ打って出るわけですわね」
専門用語が飛び出したさち子に、すずりは脳内の武術書の記憶を探り始める。
「面!」
「胴!」
視線を泳がせたわずかな間に何事か起きてしまったようで、すずりはあわてて意識を舞台へと戻す。すると瓜生は薙刀を頭上より高く持ち上げ、偲は膝を曲げて腰を落とし、薙刀を横へと払っていた。
「ああっ、早く寄宿舎に戻って描きたい……!」
恍惚とした表情で、忙しげに空中の手を動かすさち子。すずりは口元に手を当て、声をひそめて尋ねた。
「ずいぶんお詳しいんですね」
するとさち子は、わずかでも目を離すのが惜しいとでもいうように、視線は舞台上に向けたままうなずく。
「一時期、武術の所作のスケッチを極めたくて、道場めぐりをしましたの。流派もさまざまに剣術、柔術、槍術と拝見しましたけれど、やはり薙刀は婦女子に限りますわ。偲さんの凛々しいこと」
イノシシの次は道場めぐりですか、と風変わりなお絵描き令嬢に対して心の中で突っ込むが、もちろん言葉には出さない。そして、体操教師の瓜生にまったくひけをとらず、静かな気迫をただよわせる偲を眺め、賞賛を送るとともに、著しの儀でもって暴いてしまった入れ替わりのことを思い出す。
すずりとさち子は、知ってしまったその秘密を誰にも打ち明けずにいた。
偲がこうして薙刀の模範演武を行う女学生代表として壇上に呼ばれているのであれば、学校側は気づいていないのか、わかっていて泳がせているのか、ともあれ直ちに追及し、処罰を与えるつもりはないのだろう。
次の帝の妃候補、そしてそのお付きの女官を育てる女学校で起きていることだと言うのに大胆極まりないが、『とりかへばや物語』のように男女が入れ替わったわけではないのがまだ救いだろうと、すずりは思ったりもする。本来は麗子である舞台上の偲は、そんじょそこらのざんぎり頭の男たちよりも凛々しくはあるけれども。
麗子と偲はふたりともイ組にクラス分けされ、すずりたちと接する機会は、それこそ今回のように三クラス合同で集められる時を除いてはなくなるはずだ。
さち子もその後、この入れ替わりの秘密について何を言ってくるでもなかった。ただ、勉強机の抽斗にしまい込んだ、桜の和歌がしたためられた料紙だけ、持ち主に返すべきではないかと気になっているくらいだ。
著しの儀には手蹟が必要になるため、どうしても日記や手紙の類に目を通すことになる。それがとても私的なものだと理解しているから、すずりはいつも『はばかりながら』と口にしてから頁を開くようにしているのだった。
(返すといっても、どうしたら良いのかしら)
すずりの集中力が、舞台上の演武からすっかりそちらに向いかけた時だった。
「突き!」
「すね!」
鋭い声に、すずりはびくりと肩を震わせて舞台へ視線を戻す。すると次の瞬間、握りしめていた瓜生の手から長い薙刀がこぼれ、カラララランっと乾いた音がして床へと落ちた。
何が起きたかわからないといった表情で、呆然とする瓜生。先に気づいた偲が落ちた薙刀へと腕を伸ばしかけたところで、瓜生は首を振り、身を屈めて薙刀を拾い上げた。
そして、何事もなかったかのように元の位置に戻り、垂直に薙刀を持って姿勢を正す。すると偲も、同じ姿勢で瓜生と向かい合った。
揃って礼を交わし、それぞれが階段へと向かえば、静寂が続いていた講堂内からぽつぽつと拍手が始まり、やがて窓ガラスが割れんばかりの大音量となった。
流れに乗ってすずりも手を叩く。すると、やや昂揚から現実に戻ったさち子がすずりの耳元へと唇を寄せてきた。
「どうやら偲さん、気迫で教師を圧倒してしまったようですわね」
さち子の言葉に、すずりはなんとも言えない気持ちになる。そして、つとめてさりげなく、牡丹色のリボンが飾られた頭を探せば、立ち上がって偲を迎え、上等そうな手巾を差し出す麗子の後ろ姿があった。




