桜と雛菊
「たしか、百年に一度あらわれる、大江の才を持って生まれた令嬢だったね。女官として上がってくれたらこんなにうれしいことはないなぁ」
春斗は無邪気に言うが、細めた狐目の奥は笑っていなかった。だから冬斗は、気になった大江の才とやらをこの場では追求しないことにする。
「加賀麗子嬢が代表挨拶で読むはずだった歌を、大江の令嬢が持ち帰ったとはどういうことだい?」
春斗の問いに、楠はかしこまる。
「入学式代表挨拶をお任せした、加賀麗子さん……、ややこしいので入れ替わり、女学校内で麗子さんとして振る舞っていらっしゃる方を麗子さんとしますわね。その麗子さんにあらかじめ原稿をいただき、内容を確認させていただいておりました。いえ、もちろん、女学生の自主性に任せたいところではありますけれども、入学式というのはやはり、大事な晴れの場ですから」
「念には念をというのは大事なことだよ、楠」
春斗に励まされ、楠校長は続ける。
「式の前に確認した原稿によれば、麗子さんは挨拶の最中にこのようなお歌をお詠みになる予定でした。『袴紐 結びて踏むは 花だたみ 門の向こうに そびゆ学舎』。ちょうど桜も満開ですし、入学式に女学生の代表が詠むにはふさわしいお歌ですわ」
「その歌を、いざ入学式では詠まなかったということか。ふうむ、なぜだろう」
春斗は訝しげに整った眉根をひそめ、檜扇の房を弄ぶ。沈黙を守る楠に、冬斗はひとつ咳払いをして口を開いた。
「リボン付きの雛菊の贈り物があったから、ではないだろうか。式の最中、常に黄色い雛菊を傍にしていれば、そこにいかに満開とはいえ桜の歌を詠んでも霞んでしまう」
冬斗の言葉に、春斗は片眉を上げる。そして、前のめりになって顔を近づけてきた。
「急遽の手配をありがとう、兄さん。舶来物のリボンを女学生の数だけ、色も違えて揃えるなんてことは、政府高官でもなかなかできることじゃない。女学生たちは喜んでくれたかな、楠」
「それはもう。席に座るやいなや歓声を上げて、すぐにお髪に飾っておりましたわ。雛菊は寄宿舎のお部屋の一輪挿しに飾るなり、そうね、押し花にしてもよろしいんじゃないかしら」
「それは名案だね。黄色い雛菊──、花言葉は『自分らしく』。僕の想いが令嬢たちに伝わったら何よりだ」
はしゃぐ楠と春斗をよそに、冬斗は壁際に静かに控えている衛藤をちらと見やる。
鷹峯時計製造株式会社の社長室兼花夢女学校理事長室を、とりあえず前の持ち主の邸宅をそのまま利用する形で、突貫でこしらえている最中に、春斗から無理難題が届けられた。
入学式まであと数日しかないというところで、外遊時代のつてをたどって四十八の色違いのリボンをそろえたのは他ならぬ衛藤だった。引いたばかりの電話をひっきりなしにかけ、いつもはぴしりと整えた前髪を乱して奔走していた姿を思い浮かべ、冬斗はまぶたを閉じて哀悼の意を示した。
「桜の歌で喝采を浴びるつもりが、女学生たちはすっかり雛菊とリボンに心が奪われてしまった。そのまま桜の歌を詠むのは、準備万端に整えてきた感があって味気ない。かといって、雛菊に変えて即興で詠むまでの機転はきかせられなかった」
自らの無邪気さで賑わせた空気を断ち切るように春斗が言うと、楠校長は控えめにうなずいてみせる。
「お歌はもちろん、そもそも入学式のご挨拶の原稿をしたためられたのは、女学校内では偲さんで通していらっしゃるほうのご令嬢でしょう。幼い頃からそんな役割分担で入れ替わりを続けてこられたのだと報告を受けています」
「となると、歌を書き付けた紙を挟んだのは歌を詠んだほうの令嬢ではないね。麗子で通しているほうの令嬢が、そびゆ学舎に舞えと風に任せたのだろうか」
実際はクラス分けの貼り紙の隙間に挟んだのだが、春斗はあくまで風流に言う。
「それをたまたま見つけた大江の令嬢が持ち帰った。万一、その歌を書き付けたものを契機に、令嬢が大江の才を用いたとすれば──」
「大江すずりさんは、加賀のふたりのご令嬢の入れ替わりを知ることになります」
檜扇を挟んでひそひそ声で語り合う春斗と楠校長の会話から漏れた、すずりという名に、冬斗は大江の才とやらが何かわからぬまま、こめかみのあたりが反応するのを覚えた。




