相棒のふたつ返事
「袴紐に、そびゆ学舎。いかにも優等生という感じですわね」
さち子の感想に、すずりもうなずいた。人の手蹟をまじまじと眺めると、これまでの習性で、すずりの胸にはうずくものがある。
失せ物の行方、気になる本心、故人の気持ち──。大江の家にいた頃に依頼があり、祖父・文鎮が受けても良いと判断すると、青墨が対象となる日記や手紙の類の持参を依頼する。それらに目を通すことが、すずりの頭に詰め込まれた知識を結びつける鍵になるからだ。
「先ほどこのあたりに座っていらしたのは、加賀麗子さんでしたわね」
さち子の言葉に、和歌の書体に引き込まれかけていたすずりはハッとなる。顔を上げれば、半月型に口角を上げながらも、細めたひとえの目の奥が笑ってはいなかった。
「入学式でのご挨拶を一言一句覚えているわけではありませんけれども、和歌の類はお読みになってはいなかった、ですわね?」
「はい。わたしも覚えていません」
さち子にもらった落雁の効果も薄れ、船を漕ぎかけていた最中ではあったが、すずりも同意を示す。
「加賀麗子さんがうっかり落としたものを見つけた誰かが、持ち主を探すのは面倒だけれども捨ててしまうのはしのびなくて、ここへ差し込んでおいたのか」
「藍の矢絣の──」
「偲さん」
さち子の助太刀に、すずりはうなずいて続ける。
「偲さんが傍に控えているのなら、うっかり落とし物をするというのは考えづらくありませんか?囲まれていた取り巻きから逃げたくて、あわてたというのはあるかもしれませんけれど」
取り巻きに囲まれたことなどないすずりが言えば、さち子があごに手を添えうつむく。そして、先ほどまで和歌の料紙が差し込まれていた、クラス分けの貼り紙の隙間へ、ひょいと指だけ差し込んでみせた。
「麗子さん、もしくは偲さんが、誰かに見つけてほしくてここへ挟んでおいた、とか?」
「誰か、とは?貼り紙を剥がしにくる先生たちでしょうか」
すずりが首を傾げながら問えば、さち子がにんまりと笑う。
「わたしたちかもしれなくてよ」
「……なぜかしら。わたしたちがここへこの時間帯に来ることになったのは、まったくの偶然でしょう」
「そこまではわかりませんわ。でも、実際にはわたしたちが見つけたのですから、わたしたちに見つけられるべきものではなかったのかしら」
「そう、でしょうか」
和歌の内容は、入学式の女学生代表挨拶で読むのに適したそれで、人に知られてはいけない、たとえば秘めた恋心が綴られているわけではない。先ほど座っていた場所の近くに落ちていたので、あなたの落とし物では?と麗子に手渡してみることもできるのだが。
(見つけてほしかった?)
すずりは、和歌が綴られた料紙とその手蹟を改めて眺める。
そして今度は、引き続き思案を続けているふうのさち子の横顔に視線を移した。同じ部屋で寝起きをともにしているとはいえ、まだ数日に過ぎない。面倒見が良く、同じクラス分けになって喜ぶくらいにはすずりに好意を寄せてくれてはいるようだが、ひとえの垂れ目は時々眼光鋭く、どこまでが本音かはわからなかった。
それでも、すずりよりよほど、目の前で繰り広げられる実社会では情報通である。夜更かしで常にぼんやりしているすずりは、女学生たちのうわさ話の類は、小鳥のさえずりと変わらない。だが、さち子はそこからちゃっかり、情報を仕入れてくるのだ。
(……そうだわ。うわさの理事長のことも)
ライスカレーと冷たい氷水ですっかり復活していたが、すずりは先ほど、大江の家に生まれた自分に欠けていることはあり得ない記憶の欠如に、大きな動揺を覚えたのだった。少し冷静になって考えてみれば、その欠如に関連しそうなことが思い浮かばなくもなかった。それはあまり、思い出したくないことでもあるのだけれど。
すずりはまぶたを閉じ、深呼吸をする。そして気分を落ち着かせると、顔の半分以上を覆う眼鏡の奥の瞳で、まっすぐにさち子を見据えた。
「さち子さん、手伝っていただきたいことがあるのですけれど」
すずりが言えば、さち子は一瞬きょとんとしたが、ひとえの垂れ目をにっこりとさせて微笑み、うなずいた。
「かしこまりました」
「いえ、まだ、何をとは申し上げていませんけれども」
すずりが戸惑いながら言えば、さち子は首を振る。
「どんなことであれ、すずりさんから真剣に頼まれたことは引き受けますわ」
「……それは、なぜ?」
すずりが問えば、さち子は先ほど、クラス分けが同じだとわかった時のように両手のひらを突き出してきた。
「だってわたしたち、同室の相棒ではないですか」
そう言うとさち子は、そのままの姿勢で、笑顔のまま、ひたすらに待っている。それが何を意味するのか、すずりはもう学んでいた。和歌が書かれた料紙を半分に折りたたみ、懐に差し込むと、すずりはもう一度さち子と両手のひらをぱちんと合わせた。




