うわさの理事長
「それではこれにて、花夢女学校第一期入学式を終了します。明日からはいよいよ授業開始です。皆様がお入りになるお教室については、食堂の前の看板に貼り出しましたのでそちらをご覧ください。ごきげんよう」
「ごきげんよう」
教頭の閉会の挨拶に女学生たちがリボンを揺らしてそれを返すと、講堂内に張り詰めていた緊張の糸が解けた。開け放たれた扉から早々に退散する者、その場にとどまり前後の席の女学生と会話をする者、校長はじめ教員に挨拶に行く者など、同じ女学生でも行動はさまざまだった。
すずりがふわあと欠伸をし、ぐんと伸びをすると、さち子がクスッと笑いをこぼした。
「もう、すずりさんたら、いつ船を漕ぎ出すか気が気じゃなかったわ」
「さち子さんこそ、いつの間に落雁なんか忍ばせていたの?」
すずりも言い返せば、さち子はひとさし指を頬にあてる。
「干菓子や豆菓子の類は、いつも懐に忍ばせていてよ。だっていつ、イノシシのようなものを描きたくなって山に籠ることになるか、わからないじゃない」
無邪気な微笑みを浮かべ、さも当たり前のように言ってのけるさち子。一緒にいると食いっぱぐれないかもしれないが、そのためには自分もイノシシを探しに山を登らなくてはならないのかもしれないと、引きこもり体質のすずりはやや憂鬱になった。
時を告げる鐘が鳴り響く。教員たちは窓のカーテンを順に閉じ始めており、講堂に残る女学生の数はもう少ない。
すずりが帯の上から腹の虫に話しかければ、ちょうどひもじさに鳴き始めようとしていたところだった。クラス分けも貼り出されているという。女学生たちが一斉に食堂に向かえば、混み合うことは必至であろう。
「とりあえず食堂に向かいましょう。あんまり混んでいたら、寮に戻って半刻ばかり時間をつぶしましょうよ」
同じことを考えていたらしいさち子の提案に、すずりはうなずき、雛菊の花を手に立ち上がった。どうせ寮までの通り道なのだ。
講堂を出て食堂へ向かう道すがら、連れ立って歩く女学生たちの頭で揺れる色とりどりのリボンを眺めながら、ふとすずりは先ほど中途になった会話を思い出した。
「さち子さん、入学式が始まる前にお話しになっていた、うわさの理事長というのはどなたかしら。今日はお出ましにならなかったようだけど」
窓から差し込むうららかな春の光に、ついうとうととしていた教員紹介だが、それでも理事長といえば挨拶をした校長よりも上の立場にあるはず。丸眼鏡の奥のつぶらな瞳に情熱の炎を宿していた楠校長を超える圧を、受けた覚えはないのだが。
「花夢女学校は男子禁制。それはたとえ理事長であっても、栄えある入学式であっても例外は許されないということでしょう」
さち子の言葉に、すずりは聞き返す。
「理事長は男性なの?」
すずりの反応にさち子が目を見開き、まあと手のひらを頬にあてた。
「本当に何も知らずにこの女学校にいらしたの?」
言葉どおり何も知らされていないらしいことを不可解に思いながらうなずくと、仕方ないといったふうにため息をつき、さち子が顔を寄せてきた。そして、外へ声が漏れるのをはばかるように口元に手を添え、こう囁いた。
「この女学校の理事長には、畏れ多くも春の宮の兄君様がご就任あそばされました。十年にも及ぶ外遊から帰国されたばかりの、背の高い美青年だとか」
そう言って嫣然と微笑むさち子の吐息からは、入学式の最中に舌の上で溶かした、落雁の和三盆がほのかに香った。




