いわしの梅煮とふたりの令嬢
「今日もお魚が付いていてうれしい。いただきましょう」
「いただきます」
さち子に連れられ、夕食の時間帯にすずりははじめて食堂を訪れた。一階建てだが、天井がとても高く、シャンデリアという豪奢な装飾の灯りがぶら下がっている。
四人掛けの四角いテーブルと人数分の椅子の組み合わせで、あちこちに配置されていた。中庭に面した壁は大きな窓ガラスがはめ込まれ、外の景色を眺めながら食事ができる席はすでに先客で埋まっている。
それぞれのテーブルに手持ちのランプと、一輪挿しが置かれている。西洋料理のコースをいただく礼儀作法の授業もあるというから、その時はそれぞれの位置を動かしてひとつの大きなテーブルを作り上げるのかもしれない。
さて、女学生が食事をいただく仕組みである。先導するさち子の後ろについて、促されるまま、見よう見まねを繰り返す。
まず、入り口に盆が積み重ねられ、それをひとり一枚手に取って歩いていく。仕切りの向こうに、手拭いで髪を覆い、割烹着を着たすずりの母よりも年上の女性が三名ほどいて、主菜、副菜、ごはんと味噌汁の順にあたたかいものはあたたかいまま出してくれる。
最後にさち子は、並べられた急須を取り上げ、湯呑みを盆の上へ置いた。壁際の席へ陣取って腰を下ろすと、さち子は伏せていた湯呑みをひっくり返し、急須からあたたかいほうじ茶をふたつ注いでくれた。
「このお茶の急須は部屋へ持ち帰っても良いんですって。お願いすれば帰り際にお茶を足してもくれるそうよ」
にこにこと話す様子に、すずりはさち子といれば食いっぱぐれることはなさそうだと思った。もちろん、食事時に彼女がスケッチに没頭していなければの話ではあるだろうけれども。
持参した箸を手に、すずりはまず味噌汁を手に取った。大根を銀杏型に切ったものとわかめ、そして油揚げが浮かんだそれは、味噌も出汁も味の濃さも大江の家のそれとは異なるけれど、ほっとする味わいだった。
梨小路家の令嬢が喜んだ魚料理は、いわしの梅煮である。他にほうれん草の白和えとかぼちゃのあんかけの小鉢がついていた。ご飯は雑穀米で、米にはふすまの部分が残っているから銀シャリではない。
(三食いただけるのはありがたいけれど、それだけの何かをせよという無言の圧とも取ることができる。それはそれで不穏だわ)
すずりはもくもくと箸を口に運び、感謝して味わいながら、胃のあたりにふんわりと不穏な圧を覚えた。
と、そこで、にわかに食堂がざわつく。いわしの梅煮についた梅干しを食べるべきか悩んでいたすずりは顔を上げ、女学生たちがあからさまではないけれど、ちらちらと視線を送るテーブルを眺める。
すると、ふたり連れの令嬢が直接、食堂の真ん中の席へと向かう。藍色の矢絣の銘仙に身を包んだ大柄な女学生が椅子を引くと、まるで人形のように華奢な令嬢が、大輪の牡丹が描かれた、汚れが心配になるほど真白い友禅の袖を優雅に払って椅子に腰を下ろした。
矢絣の女学生は踵を返して盆が積まれたところへ向かい、ふたつの盆を片手で操る。主菜、副菜、そして湯呑み茶碗をそれぞれの盆に乗せ、最後にはほうじ茶の急須を手に、中央のテーブルへと戻ったのだった。
まるで女中(それも護衛を含む)とお姫さまである。すずりは考えもしなかったが、周囲を見回す限り、女中を従えて行動しているような女学生は見当たらないが──。
「加賀侯爵令嬢の麗子姫」
ほうじ茶をすすりながら、ややおさえた声でさち子が口にした。いつの間に食べ終えたのか、皿も椀もきれいさっぱり空っぽになっている。
「もうおひとりは従姉妹にあたる偲さんだとか」
すずりはつい、中央のテーブルへ不躾な視線を向けてしまう。そんなすずりの視線を遮るように、さち子は上半身を移動させて割り込んできた。
「眉目秀麗な才媛として名高い麗子嬢は、入学式で学生代表挨拶を行うそうよ。妃候補は公表しない方針と聞いているけれど、さすがに彼女が別格であることが証明されてしまうはず。学校側は何を企んでいるのかしらね」
言われてすずりは、さち子を通り越した向こうの麗子を盗み見る。真っ白い華奢な手を動かし、優雅な仕草で箸を口に運ぶ様を見て、侯爵家の令嬢もいわしを食べるのかと思いながら、迷っていた梅干しを口に運んだ。
いわしを骨までやわらかくする役割を見事やり遂げながらも、やはり梅干しは眉間にしわが寄るほどすっぱかった。




