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第九章 君に救われてしまった



夕方のサイゼリヤは学校帰りの制服姿が多い。ちなはテーブルの脇を行き交う学生服を懐かしそうに眺める。


「いいなあ。制服着てるってだけできらきらしてる」

「服装だけでまったく別の生き物に見えるの、不思議すぎるな」

「高校生かあ。できるならやり直したいなあ」


黒い髪がはかなげに揺れる。制服姿はたしかによく似合うだろう。


ちなは意を決したように手のひらをテーブルに置いた。


「あのさ、本屋でのこと聞いちゃってもいい?」

「いいけど、マジで何もないって」

「そんな何度も会ったわけじゃないけど、幹人のあんなに苦しそうな顔見たことない」

「そんなひどい顔してたかなー? 今日寝不足だから、いつもより変な顔なのかも」

「少しの間だけど、幹人のことちゃんと見てきたつもりだよ。ちゃんと聞かせて」


茶化してもちなはいつもみたいに乗ってくれない。こうなるとちなは頑固だ。


「別に面白い話じゃないよ。──俺さ、こう見えて小学校の頃サッカーやってて。クラブチームでの練習もそれ以外も、ずっと公園でボール蹴ってるくらい好きで。自分で言うのもあれだけど、トレセンに選ばれたりするくらいには上手かった」

「トレセンって何?」

「クラブチームの中でも上手いやつが選ばれる地域の集まりみたいな。まあ単純に、サッカーが好きで好きで仕方なかった」

「そうだったんだ。ちょっと意外かも」

「でも母さんはそれをよく思ってなくて。中学に入ってから無理やり辞めさせられて。仕方なく文化部に入ったけど、サッカーを続けてる友達が羨ましくて、憎くて仕方なかった」

「なんでお母さんはそんなこと──」

「まあ母さんなりの考えがあったんだと思うよ。『将来のために好きなことこそ我慢しなさい。それがあなたのためになるから』が口癖だったから」


ちなは自分のことみたいに悲しい顔をする。


「でさ、いつの間にか勉強の合間に図書室に通うのが日課になって、休憩の合間に何気なく本を読んでみたんだ。──最初はビビったよ。こんな面白い世界があるのかって。もう怖いくらいのめり込んだ。授業の合間も、放課後も、どこでも本を読むようになった。母さんは何も言ってこなかった。本ってすごいんだよな。テレビみたいに映像があるわけじゃないし、ゲームみたいに音が出るわけでもない。内容は文字で伝えるしかない。なのに、頭に情景が浮かんでくる。自分のことみたいに嬉しくなったり、苦しくなったりする。だからもう俺感動しちゃって、いつの間にか小説家になりたいって夢ができた」

「素敵。じゃあさっき見てたのは……」

「うん、そう。〈小説家になるために〉。俺も、今まで全てを我慢して勉強してきた意味が分かった気がした。レベルの高い文学部に行って、もっと文章を学べたら最高だって。でも──」


思い返すだけで喉が渇く。


「母さんに言われたんだ。『馬鹿言わないで。そのために今まで育ててきたわけじゃない』って」


一つ詰まってしまったらもう声が出てこなくなりそうで、紡ぐ。



「それから、なんか世界がずっと暗くなって、何をしていても楽しくなくて、やりたいこととか意識しないで生きようって決めた。だってさ、俺がやりたいって思ったことって、言葉にした瞬間に叶わなくなるんだよ。地獄だろ? でもさ、期待して裏切られるよりいいんだよ。だからもう母さんの言ったレールをなぞってればいいと思った。──でもさ、東京に来て、ちなと出会った。やりたいことにまっすぐなちながかっこよくて、ちなみたいになりたいって本気で思った。本当に、世界が変わった。俺だって、見方一つ変えれば、勇気を出せば、やりたいことやれるはずだって」目頭が熱い。

「なのに、さっき本屋で母さんの言ってたこと思い出したら喰らっちゃって。たぶん俺、まだしたいこと口に出すのが怖いんだ。ちなの〈死ぬやり〉を叶えるってかっこつけながら、まだ変われてない自分が情けなくて、たぶんひどい顔してた。空気悪くして、ごめん」



一気に吐き出す。ウーロン茶を飲む。深呼吸すると指先が痺れた。


ちなは俺の手をまた取って包み込んだ。温かくて、自分の手が冷えていたことに気が付く。


「大丈夫だよ。辛いことなのに、話してくれてありがとう」

「いや俺こそ、語っちゃってごめん」

「私も、語るね」


ちなはふうと息を吐いた。



「無責任なこと言うね、ごめん。私は幹人に、どんなに怖くても夢を口に出せる日が来てほしいって思う。幹人が小説家になりたいならそう宣言してほしいし、私は必ず叶うって隣で伝え続ける。だって、〈死ぬやり〉を一緒に叶えてくれるって言ってくれたときから幹人は私にとってヒーローだから。……前言ってくれたよね? 私たちは〈何かを一緒に叶える仲間〉なんだって。私感動したもん。なんでそこまでしてくれるんだろうって。なんでワガママ聞いてくれるんだろうって。だから今度は私の番。幹人がお母さんの言葉に縛られるなら、その呪いは私が解く。自信がないなら、私が大丈夫だって言い続ける」




「……口にしても、いいのかな」

「大丈夫。いつか幹人が叶えたいものを言葉にできたら、一番に聞かせて」


ちなの笑顔に思わず顔を伏せてしまう。


そうか。君の言葉はいつも俺を救い上げてくれる。どこにいてもそのはつらつとした声で居場所を教えてくれる。


叶えたいもの。思えばそんなもの、前から決まり切っている。



これからも君の隣にいたい。





「間違い何個見つかった?」

「九個。一個だけ見つかんない。見つかる気配すらない」


メニューの表紙も兼ねた間違い探しが不敵に笑う。最初こそ勢いよく挑むけど、終盤はどれだけ見比べても間違いが見つからない。


ピントが合わなくなって目頭を押さえる。


「もう限界なんだけど。友達と来たことあるけど、全部見つけられたこと一度もない」

「じゃあ今日を記念すべき一日目にするしかないね」

「夜まで出られない可能性秘めてんじゃん」


絶望しているところにきのこのピザが届いて、ちなが嬉しそうに両手を上げた。


「一切れちょうだい!」

「まあ待ちな」


ピザの耳から丁寧に刃を入れる。六分割がなかなか難しい。間違い探しと見比べながらやったせいで軽く刃先が逸れてしまった。


「俺の手元見てないで間違い探してよ」

「難しいんだもん。もしかしたら十個目の間違いがないっていうのが最後の間違いだったりして?」

「仮にそうだったら俺公式にクレーム入れるから」


それでも、十個目の間違いが見つからないおかげで店を出ない口実にもなっている。


切り終わって皿を向けるとちなは躊躇なくピザを手に取った。


「ちなって何型?」

「最強のA型」

「マジかあ。なんか謎多いし、A型だけはないと思ってた」

「え、そんなに私ミステリアスかな?」

「よく言えばミステリアス。悪く言えば、何考えてるか分からないときがある」

「悪く言わなくていいのに!」


むくれるちなの顔はピザの一切れよりも小さい。


「いつも非通知なのってさ、なんか事情あったりすんの?」

「もちろん。ほら、私長いこと病気してるから、家族がかなりの心配性で。スマホに新しい連絡先とか履歴が残ってたりすると、『これ誰!?』って過剰に聞かれるの。非通知だと消すの楽じゃん?」

「うーん、なるほどなあ」


理屈は分かるけど納得はしたくない。俺とのやりとりが彼女にとって不都合なことだと言われてる気がする。間違い探しに目を凝らして不満を分散させる。


ピザの耳をかじりながらそれとなく言ってみる。

「送った後消してもいいからさあ、メールとかしたらダメなの?」

「私消し忘れたりするおっちょこちょいなA型なの。バレるのが怖いんだ、ごめんね」


ちなは申し訳なさそうに手を合わせてから、思い出したように言った。


「でも、この前お姉ちゃんに幹人のこと話したよ」

「えっマジで? なんて言ったの?」

「私の〈死ぬやり〉を一緒に叶えてくれる、もの好きな友達」


もの好きな友達。すげえ悪くない響きに声がうわずる。


俺は家族に自分の人間関係を共有したいって思ったことはない。母になんか特に。でもされる側になると、こんなに飛び跳ねたくなるのか。


「すごいかっこよくて良いやつなんだって付け足しておいてよ」

「それはやだ。あ、間違い探しが上手って言っとく」

「もっと他にいいとこあるだろ!」


なんだか流されてしまった感じがするけど、胸がいっぱいになってしまった。これだけで俺はまた彼女から届く三日おきの連絡を待ててしまう。


「……そういうの、最高だな」

「そういうの?」


ちなが口を動かしながら頭のてっぺんにクエスチョンマークを付ける。


「今まで生きてきて、『この人のこと誰かに話したい』って強烈に思ったことなかったから。自分が誰かにとってそういう存在になれたことも。だから、すげえ嬉しい」

「わはは。少し大袈裟じゃない?」


ちなの目の下に皺が寄る。触れたい。なぞりたい。


「やばい、ちなといるとなんかずっと楽しいや」

「なにそれ。幹人、テンションさっきからおかしいよ」


こんなに面白いのにちなに友達が少ないなんて信じられない。でも皆ちなの良さに気付いたら俺と一緒にいてくれる理由がなくなる。それだけは避けなきゃいけないからこのままでいい。彼女の良さを永遠に誰も気付かなければいい。間違い探しの十個目みたいに。なのに。



「あっ──ここ」



見つけてしまった。メニューの上で笑っている女の子のイラストがわずかに違う。

「これは意地悪すぎる。幹人よく気付いたね」

「間違いというか、印刷ミスって言われても納得するレベル」

「でも、これで帰れるね」


しまった。間違いなんか見つけなきゃよかった。口に出さなきゃもっと一緒にいられたのに。


こういうとき、俺は自分の不器用さがほんのり嫌いになる。





外に出るといつもと変わらない単純な暗闇が広がっていた。いつもと同じ空気。なのに憑き物が取れたみたいに息がしやすかった。


東口前の交差点でちなに向き直る。


「さっきの話、誰にも言ったことなかったんだけど、話せて楽になった。ありがとう」

「わは。私こそ幹人には助けられてるから気にしないで」


信号が青になって人が入り乱れ、その群集に俺たちも紛れる。


「また会えるかな」

「……もちろん。また電話するから待っててほしいな」


見上げると月がある。ちなと初めて会った夜からよく空を見上げるようになった。今日の月はあの日よりも欠けている部分が多い。


夏目漱石は月を見て「月が綺麗ですね」と言った。俺はそんな洒落たこと言えないけど。


「ちなの良さは、俺だけが知っていればいい」

「なに、急にどした」

「ふと思ったから、口にしてみた」

「わは。今日の幹人はとことん変だねえ」



ああそうか。それが、俺にとっての好きなんだ。



ちなは綺麗な笑みを残して東口に吸い込まれる。



その小さな背中を見送るたび、理由は分からないけど何故だかいつも泣きそうになる。



〈ちな〉への気持ちを自覚した〈幹人〉。

ここから、一気に物語が動き始めます——


ブクマ嬉しいです。これからも毎日更新します

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