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第六章 いつもと同じ風景なのに



外はからっとしたいい天気が広がっていた。思わず小走りで正門へ向かう。汗をかいてでも長岡さんを待たせたくない。今日スニーカーを履いてきた自分を褒めたい。


大学の入り口は東西南北に一つずつある。中でも正門がお気に入りで、毎日の通学ルートにしていた。正門の前には数メートル四方でできた花壇があって、季節によって咲く花が変わる。今は一面ネモフィラが植えられていて、特に最近は通るたびに心が潤う。空の色を反射させたような青色は、ちょうど満開を迎える時期と重なってみずみずしい。


そしてその印象は長岡さんと強く被る。比較的小さなサイズの花びらと、存在感のある強い青色。小柄だけどオーラのある彼女にぴったりだ。


そのくらいオーラを放っているから、長岡さんはやっぱりすぐ見つかった。


花壇の段差でできたベンチに、丁寧に膝を揃えて座って足元をぷらぷらと遊ばせている。


純白のブラウスに、シンプルな黒デニム。彼女のために特注されたのかと思うほど似合う。


そして男だからこそ、その特有の視線に気付いた。ちらちらとすれちがう男子が長岡さんを見ている。心に湧きあがるモヤモヤを振り払うように、わざと大きく腕を振って声をかけた。


「長岡さん、久しぶり!」

「あ、幹人君久しぶり。といっても三日ぶりだけど」

「いや、もう充分待ちくたびれたよ」

「わはは。ごめんね、少し立て込んでて」


一度彼女の隣に腰を下ろす。コンクリートがあたたかい。


長岡さんは口ずさむように言葉を続けた。


「今日ね、ずっと前から気になってたカフェに付き合ってほしいの。幹人君もうお昼食べちゃった?」

「食べてないし、なんならちょうど腹減ってたとこ」


長岡さんがミュージカルみたいに力強く立ち上がって、目の前に回り込んでくる。


「ちょうどよかった! サンドウィッチが有名なとこなの。卵が溢れるくらい詰まってるんだって。もう、行きたくて行きたくて」

「そんなんよだれ止まらんって。俺、実はサンドウィッチ大好物なんだ」

「やったあ。ほら立って立って」


促されるまま腰を上げる。ほんとのところサンドウィッチはそこまで好んで食べるわけじゃないけれど、彼女が楽しそうだから黙っておくことにする。


長岡さんは軽やかな足どりでアスファルトを踏みしめた。足の向かう方向的に大体駅の方にありそう。彼女の小さな歩幅に(そろ)えて一歩分のペースを落とす。俺の三歩は大体彼女の五歩分。


「急に電話しちゃって大丈夫だった?」


そう自分で聞いておきながら、あまり気にしていない風な長岡さんの口調だった。


「大丈夫だよ。講義一つ飛んだけど」

「え、サボるの?」

「サボってるんだよ。絶賛、今ね」

「……私のために?」

「うん、そう。もし単位落としたら長岡さんのせいだからね」

「責任重大じゃん……」


長岡さんの顔は曇る、と思いきやすぐに霧が晴れた。


「まあ、講義受けるよりも私といた方がずっと楽しいもんね!」

「やかましっ! 自分で言うなし!」

「わはは」


長岡さんは悪魔みたいに笑う。この美しい時間と引き換えに俺は単位をはじめ何もかもを奪われるのかも。それはそれで悪い気がまったくしない。


もう散ってしまった桜並木がアスファルトに影を作っていた。その影の上を好んで歩く。


大学へ向かう学生たちとすれちがって、ほんの少し背徳感がある。


「正直、もう長岡さんから連絡来ないと思ってた。三日間なんの連絡もなかったから」

「わはは。もしかして待ってくれてたの?」

「待ってはないけどさー。なんかあったのか心配にはなったよ」


長岡さんの声色は驚くほど変わらない。


「先言っとくね。私、多くても三日に一度とかしか連絡できないと思う」

「マジ? なんで?」

「前言ったじゃん。私の家厳しいから」

「どんなだよ……って言いたいとこだけど、俺んちも厳しかったから何も言えん」

「ほーんと、厳しい仲間だねえ」


長岡さんに近付こうとすると、距離を詰めようとすると、ひらりと距離を取られる。そんな感覚がある。まるで蝶のよう。三日に一度。織姫と彦星よりはマシだ。三日に一度電話が届くと分かっていればいい。いつ来るか分からないよりいい。


長岡さんは相変わらずスキップを踏むように歩く。存在しない水たまりを避けるみたいに。それを隣で見守るのが楽しい。


色違いのレンガでできた道に、鈍色のガードレール。長岡さんの隣にいると、視界に映るものが全て愛おしいものとして映る。


桜並木が途切れて景観が街らしくなってきた。道も狭くなってきて、学生の集団とすれちがうとき斜め後ろに立ち位置をややずらす。手入れされたうなじに)惚れていたら長岡さんの足が脇道に逸れて、ずんずんと進んでいく背中を追うと急にそれは現れた。



〈喫茶 すずらん〉。



玄関を飾りつけるレトロな緑色のガラス細工が陽の光を浴びてぴかぴかと光っている。窓から中を軽く覗き込むと、少し埃を被ったガラス越しに店の中の様子が見えた。


「……ここで合ってる? おじいさん一人しかいないけど」

「合ってるはず。たぶんこのお店のマスターだよ」言われてみたら長い髭がそれっぽい気もしてくる。


長岡さんは木製のドアを遠慮なく押した。応えるように、カランコロンと鈴の音が鳴る。


「いらっしゃい。好きなとこどうぞ」


長く伸びた白い髭に、丸縁の眼鏡。奥からは鋭い目つきが飛んでくる。窓ガラスを通さないと余計に迫力がある。それも気にせず長岡さんはすたすたと入っていく。


中にはカウンター席が三つとテーブル席が四つあった。お客さんは見当たらなくて、入り口に一番近い席に向かい合って座る。


最初に違和感を覚えた。と同時に気付く。今まで横顔ばかり見ていたけど、目の前に顔があると照れる。相変わらず綺麗な目元。窓から差し込む後光のせいで神聖にすら感じる。


俺の感動を長岡さんは服に付いた猫の毛ほども気にしていなかった。


「一応これね」


長岡さんが見せてくれたメニューはかなり簡易的だった。フードが数品と、ドリンクも数えられるくらいしかなく、チョコミント味で迷っていたときみたいに長岡さんは唸る。


「うーん。卵のサンドウィッチは確定として、お手製カレーライスも気になってきた」

「おっと、それはいきなり意思がブレてない?」

「あのマスターが作るお手製カレーだよ? 気になりすぎない?」

「たしかにこだわりすごそう。でも卵がこぼれるんだよね? 一人でどっちも食べるのは相当きついんじゃない」

「じゃあ、私がサンドウィッチで幹人君がカレーライス。少し分けてね」

「ねえ待って、俺の意思はどこへ行った?」

「じゃあ呼ぶね。すみませーん!」

「俺の意思はどこへ?」


マスターがカウンターから出てくる。


「卵のサンドウィッチと、お手製カレーライスでお願いします」

お手製、まで丁寧に口にする長岡さん。マスターは伝票に慣れた手つきでボールペンを走らせてから眼鏡を外す。目つきがきもち緩んでいる。


「うちのカレーライスは絶品だよ。楽しみにしておいてね」カウンターの奥に潜っていく曲がった背中を見送る。


「マスター、ギャップあるなあ」

「うん、かわいい」


ふっと空気が緩まり、自然と店内のBGMに耳を傾ける。その中に聞き馴染みのあるイントロが流れた。


「あ、これミスチルじゃん」

「好きなの?」

「あんまハマってるわけじゃないけど、昔お父さんが聴いてたなあ」


よくよく考えればマスターと同じ世代だ。


「幹人君って普段、音楽何聴くの?」

「音楽疎いんだよね。流行りの曲は分かるけど、一つのバンドにハマる感覚っていうのが正直ピンとこなくて。長岡さんは何聴くの?」


音楽のカルチャーに疎いことがバレたくないので話を振る。音楽知らないってなんかダサいし、バレたくない。


「最近だとトンボコープとか」

「……あートンボコープね。最近キテるよね」

「幹人君、知らないでしょ」


咎めるように顔を覗き込んでこられて、俺はしぶしぶ頷く。


思いついたように長岡さんはテーブルの上に身体を乗り出した。


「いいこと教えてあげる。これね、私のルーティーンなんだけど。朝起きたら目覚ましも兼ねてアップルミュージックでランダムに曲をかけるの。最初に知らないバンドの音楽ばかり流れてくるんだけど、とりあえず毎日続けてみる。そしたらね、突然ビビってくる曲が流れてきたりするの。そしたら飛び起きて、バンドの名前調べて、他の曲も聴いてみる。これが私の音楽との出会い方」

「ちょっと……良すぎるな。なんていうかドラマチックというか」

「でしょ? 待ってるだけじゃ何事も好きになれないからね」

「でもさあ、そんな都合よく好きな曲だけ流れてくる?」

「もちろんほとんどの曲はハマれないし、聴き流しちゃう方が多いよ。でもさ、もし一生知らなかったかもしれないバンドに出会えたら、どう?」

「……最高に運命的かもしれない」


長岡さんの世界との向き合い方が素敵でいつも感心してしまう。自ら世界にぶつかっていく感じ。


──なんか、俺ももっと素直に生きられたら。まるで長岡さんのまっすぐな生き方に当てられたみたいだった。


「長岡さんのこと、下の名前で呼んでもいい? 今のままだと、なんか距離あるし」

「わはは、もちろん」


駆け引きを必要としない返事にぐっと感極まる。


「じゃあ、ちな」

「うん。幹人」


ちな。名前は呼べたけど、心臓が馬鹿みたいにうるさくて窓の外ばかり見ていた。



次回、デートの続き

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