ノアとの訓練・・・新たなギルドマスター
王立学園の訓練場。
砂埃が舞う中、ノアの荒い息遣いとルーシュの淡々とした声が交差する。
「ノア、もっと力加減を覚えろ。それじゃ『ここにいます』って旗を振ってるようなもんだ。無闇に突っ込んで味方を巻き込んだらどうする」
「うるせぇ! 同い年のくせに指図すんな! 俺一人のほうが早いし戦いやすいんだよ!」
ノアが苛立ちをぶつけるように地面を蹴る。
勇者として覚醒したその一撃は重いが、あまりに単調だった。
ルーシュは溜息混じりに、相手の重心を軽く払って転がす。
「言いたいことは分かるがな……。人質に取られて、縄にかかってた奴が偉そうに言うなよ」
「それは……っ、不意をつかれただけだ!」
「お前の実力は認めてる。ただ、使い方と経験が絶望的に足りない。それじゃただの暴れ馬だ」
「もう一回だ! 次は絶対、その澄ました顔を地面に叩きつけてやる!」
「何度やっても同じだろ。お前が突っ込む、俺が捌く、お前がコケて俺が後ろを取る。嫌というほど繰り返しただろ」
ノアの「勇者」としての出力は十分だ。だが、今の彼はまだ、鋭すぎるだけで研がれていない「生鉄」に過ぎない。
「……お前の説明は嫌いだ。いちいち『そうじゃない、やり直し』。気が散るんだよ!」
「だって全然駄目だろ。俺に指摘されながらでも負けるんだから、自覚持てよな」
そんな軽口を叩きながら訓練を続けていた時、背筋を撫でるような視線に気づいた。殺気ではないが、針で刺すような鋭い凝視。視線の主は、休憩に入った俺たちの前に、カツカツとヒールの音を響かせて現れた。
「――あなた達、なかなかやるようだけど。そんなその場しのぎの戦い方じゃ、いざという時に死ぬわよ。これだから前衛は『脳まで筋肉の囮』だって言われるのよ」
「……はぁ」
目の前には、隙のない事務服を完璧に着こなし、銀縁の眼鏡の奥で氷のような瞳を光らせる女性が立っていた。まさに「真面目を絵に描いた」ような立ち姿。
「『はぁ』? せっかく指導してあげてるんだから、もう少し真剣に聞きなさい。学生でしょ、あなた達」
「え……?」
(何だ、この人。怒ってる?)
「ちょっとそこに直りなさい。姿勢がなっていないわ」
「待った、なんですか急に」
理由も分からず、その剣幕に思わず後退りする。
「あなたもよ!」
矛先はノアに向けられた。
「あぁ? 俺は何も言ってねぇだろ」
「『ねぇだろ』? 言葉遣いも分からないの最近の若者は! 規律、礼儀、そして論理! 全てが欠如しているわ!」
(マジで何なんだこの人……)
俺たちがその理不尽な圧に圧倒されていると、救いの手が差し伸べられた。
「イリノイさん。ここは放っておいてくださいって言ったでしょ」
苦笑いしながら現れたのは、学園の管理責任者のアリゾナだった。
「……助かった」
俺がボソッと漏らした一言。それを、この女性――イリノイは逃さなかった。
「あなた……! 後で私の部屋に来なさい!!」
「ちょ、イリノイさん! 行きますよ!」
アリゾナに引きずられるようにして、彼女は最後までグチグチと文句を垂れ流しながら去っていった。
「やべぇな、あれ……」
ノアが心底嫌そうに呟く。
「ああ……。ああいう女性は気をつけよう」
面倒なことになったと思いつつも、俺は「学生」という立場を演じ切らなければならない。
後でこっそりアリゾナを捕まえ、彼女の正体を聞いた。
「ああ、彼女ですか? 今度紹介する予定でしたが、先に目をつけられてしまいましたか……」
「紹介? ギルドの事務員か何かか?」
「もっと上です。あなたがおっしゃっていたでしょう、『ギルドマスターの穴埋めをしろ』と。彼女がその候補、イリノイです」
「……なんだ。ちゃんと動ける人材が残ってたんじゃないか」
俺の言葉に、アリゾナの表情が少し陰った。
「副ギルドマスターとして、アラバマの右腕を務めていた女性です。ですが、真面目すぎるがゆえに、アラバマを失ったダメージは尋常ではなくてね。……やっと、事務仕事に戻れるまで回復したんですよ。自分では平静を装っていますが、痛々しいほどです」
「そうか。……実力は、頼れると考えていいんだな?」
「ええ。ですが――」
アリゾナが、少し意地悪くニヤリと笑う。
「あなたとの相性は、最悪でしょうね」
「……初対面であれだもんな。想像つくよ」
「どうします? 同席しましょうか?」
「いや。試すようで悪いが、まずは『一学生』として、会ってくるよ」
そう言って俺は居場所を聞き、彼女の執務室へと向かった。
コンコンッ。
「だれ?」
中から、弾丸のような鋭い声が飛んでくる。
「今日、訓練所で呼び出されたルーシュというものです」
「あら。真面目に来たのね、珍しい学生さんだこと」
ドアを開けると、そこは書類の山だった。イリノイはその山に埋もれるようにして、こちらを見向きもせずにペンを走らせている。
「まず、勇者という不確定要素に王国の貴重な訓練場を使わせているのが、そもそもおかしい話よね。それを、たまたま居合わせただけの学生のあなたが指導しているなんて」
「……それは、当時近くにいたのが私で、ノアの力を引き出せるかやってみろと指示を受けたもので」
「こんな学生を信じているアリゾナも意味不明だわ。それに、そもそも訓練場の使用許可が出ていないじゃない」
「え? 使っていいと言われまして……」
「何を言っているの? 『使っていい』のと『申請をしない』のは別物でしょう。あそこを、好き勝手に使える空き地とでも思っているの? 亡くなったアラバマさんだって、ギルドの訓練には必ず申請書を出していたのよ」
(……知らない情報に、一瞬言葉が詰まる)
「すいません。書類に関しては、出してもらっているものかと……」
「誰に?」
「ええと……アリゾナマスターが」
「なんで学生の相手をアリゾナがするのよ。そんな見え透いた嘘、通ると思っているの?」
(……あのアリゾナ、空いてれば勝手に使えとか言いやがって)
「……すいません。空いていたもので、つい」
「全く。今後は必ず申請書を記入すること。もちろん学園側にもよ。あなたはそういう手続きを全部すっ飛ばしてそうな顔をしているわ」
一度も目を合わせず、喋りながら次々と書類を捌いていく。その手際の良さは、間違いなく仕事のできる女のそれだった。
「以後、気をつけます」
「私はギルドの管轄で、最近まで休養を取っていたから、あなたに色々言う筋合いはないかもしれない。けど、アラバマさんや私がいなかっただけで、こうも規律が緩んだ国になってもらっては困るの。アリゾナにも後で説教が必要ね」
タァンッ!
最後の一枚に、親の仇のように力のこもった判子の音が響いた。
「――で、本題だけど。あなた、何者?」
急にペンが止まった。イリノイは眼鏡を指先で上げ、ようやくこちらを向いた。
「あなた、あのレイモンド作戦の時、ガル様と天幕で話していたわよね?」
(……!?)
心臓が跳ねる。あの夜、俺は誰にも見られずに天幕へ向かったはずだ。
「とぼけないで。作戦の朝、アラバマさんが言ったのよ。『この先、何が起きようと一つだけ覚えておいてほしい。この作戦に参加している紫の髪の学生だ。私たちの代わりに、彼の味方になってほしい』って。急に何を言っているのか理解不能だった。ガル様も、昨夜は彼にだけ作戦の相談をしていたと聞いたわ。……一体、何者なの?」
さっきまでの事務的な態度が嘘のように、彼女の視線が突き刺さる。それは疑念と、拭いきれない喪失感、そして縋るような微かな期待が混じった、心の奥を覗き込むような目だった。
俺はその視線を逸らさず、一歩踏み出して彼女の目を見据えた。
「――君には、この国のすべてを背負う覚悟はあるか? ガルやアラバマがしたように、すべてを捨ててでも国を守れる人間になれるのか?」
「…………っ」
俺の声に、部屋の空気が凍りつく。一学生の放つ威圧感ではない。彼女がかつて仕えた「王国の核」たちと同等、あるいはそれ以上の重圧に、イリノイは息を呑んで絶句した。
数秒の沈黙の後、俺はふっと肩の力を抜いた。
「……何よ急に、偉そうに……。っていうか今、ガル様たちを呼び捨てにしたわね!?」
「いずれ分かるさ。君には、彼らが託そうとしただけの力がある。……私は、君を気に入ったよ」
それだけ言い残し、俺は彼女の返事を待たずに部屋を出た。
「ちょっと! 何なのよ、戻りなさい!」
背後で彼女の叫ぶ声が聞こえる。
怒り混じりの声だったが、ルーシュの異様な雰囲気に彼女は何かを察したようだった。




