絶望の証・・・王の再臨(2)
凍りついた静寂の中、パチ、パチ、と乾いた拍手の音が響いた。
それは蒸気の音でも、機械の軋みでもない。この場の「空間」そのものを踏みつけるような、尊大で傲岸不遜な足音。
闇を割り、一人の男が姿を現した。
豪奢な外套を纏い、瞳には万象を見通すような冷徹な知性を宿した男。
《魔導の王冠》アルカナ・クラウンのボス、マティアス・レガリア。
「マティアス……! なぜここに」
俺が警戒を強めるより先に、マティアスは膝をつくガゼルを冷たく見下ろした。
「面白い魔力を感じて来てみたが、なるほど、まだまだおもちゃの域を出ないな。だが老技師よ、その澱んだ絶望の魔力……それこそが私の求めているものだ。お前の渇きは、この偽神器よりも遥かに価値がある」
「誰だ?なぜお前もここに来れる・・・」
誰も寄せ付けないための迷宮
そのはずが目に前に現れる男をガゼルが虚ろな目で見上げる。
マティアスは俺に視線を移すと、薄く笑った。
「だが、相手が悪かったな。老技師の術式は緻密だったが、これを攻略できるのは、世界広しといえどそこの『賢者』か、私ぐらいのものだ。……場所と時代が違えば、お前の絶望は成就していただろう。言っている意味がわかるか、ルーシュ?」
「『賢者』……」
ガゼルがポツリと、その禁忌の称号を呟く。
「……俺は関係ない」
俺はテオを背に隠し、指先に魔力を集中させる。マティアスが指を一振りした。
それだけで、俺が固定した「絶対零度」の空間の一部が、熱力学を無視して強制的に再起動させられる。
「こうも立て続けに大精霊がちょっかいを出している。お前がこの時代に転生してから、世界の記述は綻びだらけだ。何度も言っているだろう? お前の存在そのものが、この世界を狂わせているのだと」
「俺が狂わせているんじゃない。歪んだ世界を、俺が『修正』しているだけだ」
「修正だと? 笑わせる。お前が『正しい』と思う形に書き換えることが、世界にとっての正義だとでも思っているのか?」
マティアスが虚空に指先で幾何学模様を描く。
瞬間、俺の足元の石畳が「水」へと定義変更され、同時に頭上の酸素が「猛毒」へと書き換えられた。
「《事象復元》」
俺は即座に周囲の記述を巻き戻す。だが、マティアスの攻撃は止まらない。
彼は俺の修正速度を上回る速さで、街の「存在定義」を次々と改ざんしていく。
さらにマティアスは、ピューターに蔓延る『偽神器』のネットワークを介し、新たな書き換えを上書きし始めた。
「どこまで対応できる? 世界はずっと進化してきたのだぞ」
俺とは違い常に転生を繰り返してきた男。生きている時間で言えば倍以上。
ガゼルの精密さを遥かに凌駕する速度と規模。俺が一箇所を直せば、十箇所の理が崩される。
「……何だ……コイツらは一体何者なんだ……!」
目の前で起きる、偽神器すら媒介にしない魔力の奔流。その次元の違う応酬に、ガゼルは言葉を失う。
「何百年と俺がいなかったとしても、俺が導いた魔法や知識は根本的には変わらない。俺はこの魔法を、皆が幸せに使える世の中を目指したいんだ!」
俺もまた、マティアスの侵食に真っ向から抗う。俺が編んだ魔導の根幹は、そう簡単に折れるものではない。
「ほう……まだ私の知らない領域があるか」
マティアスの眉が僅かに動く。
ピューターの地形が、俺の魔力によって徐々に「正常」へと押し戻されていく。
「当たり前だ。俺ですら魔法の1パーセントも理解していない。何千年俺がいなかろうが、お前が俺を超えるなんてことは不可能だ!」
パチンッ。
指を強く鳴らすと同時に、街の形状がもとに戻り、偽神器の核が一斉に砕け散った。ピューターに、ようやく「日常」が戻る。
「……ふん。この程度で調子に乗るなよ。世界は着々と闇が深くなっている」
マティアスは興味を失ったように背を向けると、再びガゼルへと視線を落とした。
「ガゼルと言ったか。お前の人生を『バグ』と切り捨てたこの世界を、私の手元で再定義してみないか? お前が求めた『理』の続き、私ならば見せてやれるぞ」
自らの全てを否定した俺への憎しみ。そして、自分を「価値ある絶望」と認めたマティアスへの心服。
「私が求めたのは、平等ではない……圧倒的な魔力。他者を抑えつけ、支配できるほどの魔力だ……!」
マティアスの言葉に当てられ、ガゼルの瞳に暗い情熱が宿る。
「……行くか、ガゼル。ここはもう、我々のような『選ばれた人間|』の居場所ではない。お前の求めた物質魔法を私に見せてくれ」
マティアスの体が空間の裂目へと吸い込まれていく。去り際、彼は俺を振り返り、呪いのような言葉を残した。
「せいぜい、足掻くがいい。……お前に影響される者たちがいつか、お前の築き上げた『正しい世界』を、最も無邪気に、最も残酷に壊すその日までな」
闇が閉じ、二人の気配は完全に消えた。
後に残されたのは、平穏を取り戻した蒸気塔と、呆然とするテオ、そして震えるマテリアル。
「ねぇ、ルーシュ……あいつ、ルーシュより強いんじゃないの……?」
マテリアルが、絞り出すような声で聞いた。
「なんでだよ! 最後はお兄ちゃんが勝って、おもちゃが壊れて街が元に戻ったじゃん!」
テオが俺に駆け寄ってくる。だが、マテリアルは首を横に振った。
「……違うんだ。マティアスは偽神器の魔力を奪いつつ、街を破壊しようとしていた。それをルーシュが反転して食い止めていたけど……。街は取り返せたけど、偽神器に溜まっていた膨大な魔力は、全部あいつに持っていかれた」
「なら、引き分けってこと?」
「……いや。あの偽神器の魔力構成のほうが複雑だった。それを少しも奪わせずに防ぐことができなかった以上、ルーシュの負けだよ」
マテリアルの言葉に、テオが不安そうに俺を見上げる。
俺は、何も言い返せなかった。
街は救った。だが、ガゼルの心も、偽神器に蓄えられた膨大なエネルギーも、すべてマティアスの手に落ちた。
俺はただ、己の無力さを噛み締めながら、遠く消えた闇を見つめて立ち尽くすしかなかった。




