機械技師・・・加護を受けた少年
読者の皆様、大変お待たせいたしました。 一週間ほど更新が止まってしまい、申し訳ありません。
物語は現在、**第6章「機械都市ピューター編」**の核心へと突入しています。 これまでの流れを簡単におさらいしましょう。
王国ギルドの任務として、東方の機械都市ピューターを訪れたルーシュたち。 目的は、この街で噂される「物質の再定義」を行う老技師ガゼルと、その影に潜む不穏な魔力の調査です。
道中、ルーシュは再び大精霊の加護を持つ少年テオと出会います。 かつての仲間・レオを彷彿とさせるこの街で、ルーシュは「賢者」としての知識を隠しながら、職人の意地と子供の無垢な才能、そして世界に渦巻く理不尽な絶望に直面することになります。
圧倒的な格の違いを見せつけるルーシュに対し、ガゼルが問いかける「世界の不平等」。 そして、静かに牙を剥く大精霊マテリアル――。
久しぶりの更新となる今回、物語はさらに深く、重厚に動き出します。 それでは、第57話をお楽しみください。
機械都市ピューター。
東の地平にそびえ立つその街は、無数の煙突から吐き出される重苦しい灰色の煙に覆われていた。街中に張り巡らされた蒸気管が、巨大な生物の血管のように絶えず不気味な脈動音を響かせ、石畳の路地には常に油と煤の匂いが停滞している。
「……鉄と煤の匂いか。魔導の輝きより、こういう泥臭い文明の方がレオは好きそうだな」
俺は外套の襟を立て、薄暗い路地を進む。
イリュウから得た情報と、街一番と噂される機械技師ガゼルの工房。
そこは街の最下層、陽の光も届かぬような湿った場所にひっそりと佇んでいた。
店に入ると、出迎えたのは白髪を几帳面に整えた六十前後の男だった。皺の刻まれた手で時計の歯車をピンセットで弄る姿は、どこにでもいる熟練の職人そのものだ。
だが、その瞳の奥には、職人特有の静かな情熱とは異なる、飢えたような光が宿っていた。
ガゼルはルーペ越しに俺を一瞥し、鼻で笑った。
「若造、冷やかしなら帰れ。ここは『理』を解さぬ者が来る場所ではない」
ガゼルが弄っていたのは、複雑怪奇な歯車が組み合わさった古代文明の遺物――未知の動力核だった。彼はそれを独自の理論……『物質の再定義』によって強引に起動させようとしていた。
だが、俺の目から見れば、それはあまりに遠回りな、稚拙な模索に過ぎない。現代の魔導理論という狭い鳥籠の中で、必死に外へ手を伸ばそうとしている、哀れな足掻きだ。
「その三番歯車、軸の魔導密度が足りてない。無理に回せば、あと一分でその核はただの鉄屑になるぞ」
俺の言葉に、ガゼルの手が止まった。
「……何だと? 貴様、この術式の意味が分かって――」
言いかけた言葉は、核が放った嫌な金属音にかき消された。内部で魔力が衝突し、激しい火花が散る。ガゼルが顔を青くし、爆発を覚悟して身を固くした瞬間。
俺はカウンター越しに指先を伸ばし、その核の表面を軽く弾いた。
「《事象固定・硬度変質》」
パチン、と乾いた音が響くと同時に、暴走しかけていた核が、まるで時間が止まったかのように静まり返る。
それどころか、ガゼルが何年もかけて調整できなかった噛み合わせが、吸い付くような完璧な調和を持って回転を始めた。
「ば、馬鹿な……。接触もせず、術式も描かずに物質の性質を調整しただと……!?」
「ただの基礎だ。貴方の言う『理』を知れば、直す場所なんてのは一つしかない」
愕然と立ち尽くすガゼルの足元、作業台の下からひょっこりと小さな顔が覗いた。
八歳くらいの少年――テオだ。彼は煤で汚れた顔に、宝石のような瞳を輝かせ、俺の裾を掴んで飛び跳ねた。
「お兄ちゃん、すごいや! おじいちゃんが何日も悩んでた魔法を、一瞬で直しちゃった! ねぇ、今のどうやったの!? 教えて!!」
無邪気な声。だが、彼が俺に触れた瞬間、肌を刺すような違和感が走った。
――間違いない。この子には、神の使いの加護が付いている。
それも、物質の根源を揺るがすほどの、あまりに強大で無秩序な力が。
「お兄ちゃん、奥に僕の部屋があるんだ! 僕が作ってるのも見てよ、ねえ、手伝って!」
俺はガゼルの方をちらっと見た。ガゼルは震える手で核を抱えたまま、黙って頷いた。その目は、もはや俺をただの若造とは見ていなかった。
テオの力強い引きに抗えず、俺は工房の奥へと招かれた。
そこは、表の整然とした工房とは打って変わって、ガラクタと奇妙な機械部品が山積みになった、子供の秘密基地のような空間だった。
「これ、今作ってるんだ。おじいちゃんが『これが動けば世界が変わる』って言ってた!」
テオが誇らしげに指し示したのは、まだ骨組みだけの魔道具だった。一見すれば子供の工作に見える。だが、俺はその構造を一目見て、背筋が寒くなるのを感じた。
それは神器には程遠い。しかし、そこに組み込まれた「物質の変換効率」は、現代の最高級魔導具を遥かに凌駕していた。テオは大精霊の加護を使い、無意識のうちに物質の結合エネルギーを限界まで高める術式を組んでいたのだ。
「テオ、ここを見てみろ。この術式の連結、三本を一つにまとめてるだろう? これだと、動いた瞬間に熱が逃げ場を失って、持ち主の手ごと消し飛ばすことになる」
「えっ、そうなの……? 僕は、ただ元気に動けばいいなって……」
俺は膝をつき、テオと同じ目線になった。この天才児には、自分の生み出すものがどれほど「残酷な結果」を招くのか、その認識が決定的に欠けている。
かつての俺が、魔法の楽しさに溺れて周囲が見えなくなっていた頃と同じように。
「魔法ってのはな、テオ。ただ強くするだけじゃダメなんだ。使う奴が笑って使えるように、優しさを残してやらないといけない」
俺は賢者の知識を、子供にも分かる言葉に噛み砕いて教え始めた。
テオは真剣な表情で頷き、小さな手で部品を調整していく。
隣でその光景を見ていたガゼルは、もはや言葉も出ないようだった。自分が「禁忌」として、あるいは「究極」として追い求めていた物質魔法の根源が、目の前の若造によって「子供の教育」として語られている。その圧倒的な格の違いに、老技師の自尊心は粉々に砕け散っていた。
数時間が過ぎた頃、テオの魔道具がカチリと心地よい音を立てて起動した。
「できた! できたよお兄ちゃん! 凄く静かに回ってる!」
大きな成果を上げ、一度も失敗することなく完成させたことに大満足したのだろう。
テオはその後、緊張の糸が切れたように深い眠りに落ちてしまった。
ガゼルがそっとテオに毛布を被せ、俺の方を向き直る。 周囲には、静かに駆動を続ける魔道具の微かな音だけが響いていた。
「私も一端の機械技師だ。お前さんが何をしでかしたのかくらいは理解できる。……そんな人間、今の時代には存在しないと思っておった。私が生涯をかけて追い求めた魔法の正解が、そこにある」
ガゼルは静かに、だが重く語りだした。
「お前さんが何者かは聞かない。……その代わりと言っては何だが、この世界のことをどう思う?」
「この世界、とは?」
「ここ何百年と、魔王がいない世界だった。それなのに戦争をする人間、今はだいぶと少なくなったが小さな街や辺境の地では日常茶飯事だ。……古代文明の本や賢者の書籍、ここには魔法のすべてが書かれておる。消えた文明、消えた魔法、私はこういったものが大好きじゃ。人々は快楽のために魔法を使う。それが悪いとは言わない、だが使い方を間違えれば、それは人を絶望に突き落とす代物だ」
ガゼルの視線が、眠るテオへと向けられる。
「この子はその一人じゃ。たまたま通りかかった小さな村の戦場で、一人泣いておった。まだ三歳だった。この子だけではない。なぜ平和とされている現代に、人と人が殺し合い、絶望を経験しなければならない子供がいるのだ? 自然の摂理か? 弱肉強食か? 考えるだけで反吐が出る。……そもそも、感情を持った人間というのはこの世界、いや、どの世界にも不必要な存在ではないのかとさえ思うのだよ」
「待て。話が逸脱しすぎだ。俺たちが存在している、それだけで生きる意味というのは存在するだろ。その世界に意味をもたらすのも人間だ。人間は我儘だ。だが意志のある魔族も我儘だ。すべてを良い世界に、というのは不可能に近い。それでも、生きていてよかったと思える世界を、少しずつ作り上げていくんだよ」
「作り上げる? 誰が?」
「それは……」
俺は、その言葉に詰まった。かつての俺が、あるいはレオが背負おうとした重すぎる問い。
「誰もがそこに干渉できるわけではない。戦争、自殺、飢餓に、疫病……なぜ平等な世界が生まれないのか。……いや、なぜ『弱いもの』が存在するのだ」
「それを肯定すると、人の選別が行われる世界になる。そのほうが不平等だ」
「お前さんが一番わかっているんじゃないのか? 苦しみもがき続けても、誰も助けられない。目をつぶり、犠牲を払ってきたはずだ。」
「――だから、戦っているんだ」
俺は間髪入れずに、自分でも驚くほどの熱量で声を荒らげた。
「……お兄ちゃん?」 その声に反応して、寝ぼけながら起きようとするテオ。
ガゼルはふっと表情を和らげ、少年の背中を優しくさすった。
「喋りすぎたようだ。……また来なさい。こんな年だが、お前さんの魔法には興味が出た。まだまだ学ぶことがあるようだ。……魔法も不平等だ、求めても届かない者、無邪気に真理に近づく者もいる。私は何をしてでもその先の『理』に行きたいのだ」
俺は声を発せず、深くお辞儀をして工房を後にした。
冷たい夜風が、高ぶった頭を冷やしていく。
あの老技師の絶望は、決して他人事ではない。
だが今は、やるべきことがある。 俺は一歩、闇の中に足を踏み出した。
「さて……出てこい。お楽しみはこれからだぞ、マテリアル」




