不協和音・・・神器『魂喰らい』
ヴォイドの街は、すでに地獄へと変わりつつあった。
空は神器『魂喰らい』が放つ黒い魔力に覆われ、街の至るところで「糸」に操られた死体や、魔力を吸い取られた人々が倒れ伏している。
その元凶である旧聖堂の扉を、俺とイリュウは蹴破った。
「……遅かったじゃないか。下書きはもう終わって、今は背景の色塗りをしているところだよ」
聖堂の中央。血の海と化した玉座の上で、メイは神器を片手に、踊るように指を動かしていた。その周囲には、かつての仲間であった『死の進撃隊』の団員たちが、無残な姿の「動く彫刻」となって配置されている。
「リカルナはどこだ……!」
俺が剣を抜き放つと、メイは崩れた壁の隅を指差した。
そこには、黒い糸に幾重にも縛られ、意識を失ったリカルナがいた。彼女の足元からも、絶え間なく魔力が神器へと吸い上げられている。
「彼女なら、僕の舞台の『華』として特等席を用意したよ。……さあ、君たちも早く混ざってよ。裏切り者のお姫様と邪魔な王子様、感動と絶望のおり混ざるシーン……これこそが、僕が求めていた最高のフィナーレだ!」
メイが指を弾くと、神器から溢れ出した黒い魔力が巨大な「死の糸」となり、聖堂の空間そのものを切り裂きながら俺たちへと襲いかかる。
「イリュウ、行くぞ! 奴の指を止める!」
「ああ、あの野郎のデタラメな趣味を、根こそぎ叩き斬ってやる!」
ヴィニーの加護はない。だが、共に幾多の死線を潜り抜けてきた二人の呼吸は、言葉を交わさずとも完璧に同調していた。
黒い魔力を帯びた糸が、鋭い音を立てて空気を切り裂く。
一筋でも掠れば魔力を吸い尽くされ、肉を断たれる死の線。だが、俺とイリュウは一歩も引かなかった。
「黒斬・乱舞!」
イリュウが叫ぶ。彼の合体剣がバラバラに分離し、それらを繋ぐ黒いスライムが意志を持つ触手のようにメイの糸へと絡みついた。物理的な切断ではなく、粘着と魔力干渉で「糸」の軌道を強引に逸らしていく。
「あはは! 面白い、面白いね! 僕の糸を絡め取ろうなんて、独創的な発想だ!」
メイが指を激しく振る。糸に操られた『死の進撃隊』の団員たちの遺体が、不自然な角度で跳ね起き、俺たちの側面を突こうと肉薄する。
「……よそ見してる暇はないぞ」
俺は魔力を足裏に爆発させ、最短距離でメイの懐へと踏み込んだ。 立ちはだかる死体の傀儡。その関節を最小限の動きで斬り捨て、目の前の「芸術家」の喉元へ剣先を突き出す。
「おっと、危ない!」
メイが背後に飛び退きながら、神器『魂喰らい』を高く掲げた。
瞬間、周囲の死体や空気中の魔力が一点に集中し、宝珠が脈動を速める。
ヴォイド中の魂を吸い尽くさんとする、その絶頂の瞬間――。
パキィィィィィッ!!
静寂を切り裂くような、乾いた音が聖堂に響いた。 メイの掲げた宝珠の表面に、無数のみっともない亀裂が走る。そこから漏れ出したのは、禍々しい魔力ではなく、使い古された魔法薬のような、安っぽい濁った光だった。
「……は?」
メイの動きが止まる。
神器はヴォイドの魂を吸い切る前に、その負荷に耐えきれず崩壊を始めたのだ。
溢れ出した魔力が霧散し、中から現れたのは、劣化した魔力結晶を寄せ集めて作られた、精巧なだけの「模造品」だった。
「嘘だ……嘘だろ……。僕の最高の舞台が……こんな、こんなガラクタ一つで……台無しになるのか……?」
メイの声から色が消え、顔面が蒼白に染まる。
だが、次の瞬間。彼の絶望は、すべてを道連れにしようとする純粋な悪意へと反転した。
「あはは! あはははは! 偽物!? 傑作だ、これこそが最高の喜劇じゃないか! ……いいよ、もう何でもいい。神器が偽物なら、僕が本物の地獄を見せてあげるよ!」
メイは砕け散った模造品の欠片を自らの肉体に直接突き立てた。
暴走した魔力が彼の腕を黒く変色させ、指先から放たれる「糸」が、もはや視認できないほどの質量と密度で聖堂中を埋め尽くす。
「死ねよ、全員! この街ごと、僕の最高に醜い芸術にしてあげる!」
メイが咆哮すると同時に、聖堂内の空気そのものが「刃」と化した。
無数に張り巡らされた『魂喰らい』の糸が、黒い魔力を帯びて一斉に膨張し、全方位から網を絞るように襲いかかる。
「イリュウ、後ろだ!」
「分かってるッ!」
背中合わせになったイリュウが、スライムで連結した合体剣を独楽のように回転させる。
「黒斬――『旋風・大蛇』!」
黒いスライムの遠心力が剣速を極限まで引き上げ、迫り来る糸を次々と弾き飛ばすが、メイの攻撃は止まらない。
左腕の**《ベンテンディア》**が火花を散らし、俺の死角から迫る鋭い糸をミリ単位の精度で弾き続ける。だが、メイは自らの血管を糸で繋ぎ止め、無理やり魔力を底上げして笑った。
「あははは! 弾け、もっと弾け! 君たちの魔力が尽きるのが先か、僕の糸が街を飲み込むのが先か、競争しようじゃないか!」
メイが指先を踊らせると、床に転がっていた『死の進撃隊』の団員たちの死体が、糸に操られてゾンビのように跳ね起きた。それも一人や二人ではない。数十人の死体が、生前以上の俊敏さで俺たちの包囲網を形成していく。
「チッ、死体まで作品扱いか。反吐が出る!」
イリュウが正面の死体を一刀両断にするが、斬られた断面からさらに糸が噴き出し、彼の剣に絡みついた。
「イリュウ、そのまま固定しろ!」
「はいよっ!」
イリュウが強引に剣を地面に突き立て、絡みついた糸ごと数人の死体をその場に縫い留める。その背中を足場にして、俺は高く跳躍した。
空中で舞う俺を狙い、メイが十本の指すべてから極太の槍と化した糸を放つ。
「捕まえたよ、王子様!」
だが、俺の**《ベンテンディア》**は防御だけじゃない。
左腕から伸びたダニマイト石のベルトが、ムチのようにしなって天井の梁に巻き付いた。振り子のような機動で糸の槍を紙一重で回避し、俺はメイの頭上から急降下する。
「なっ……!?」
着地と同時に、俺は腰にある「刀身のない刀」の柄を逆手に握った。 メイは咄嗟に周囲の死体を集め、自分を囲うような肉の防壁を作る。
「無駄だ! どんな名刀でも、この肉の盾は抜かせない!」
メイの叫びに対し、俺は静かに魔力を練り上げる。
指先に黄金の魔法陣が、まるで精密時計の歯車のように幾重にも重なり合いながら、幾何学的な紋様を描き出した。
周囲の酸素が魔力に焼かれ、嫌な匂いが聖堂に立ち込める。
「……イリュウ、伏せてろ。……最大出力を出す」
「おいおい……今の魔力量、冗談だろ……!?」
イリュウが戦慄し、スライムを盾にして石畳に伏せる。
俺は深く腰を落とし、抜刀の「フリ」をしながら、指先に集中したすべての魔力を英語の詠唱と共に解き放った。
「――『Through the void, I weave the path of stars.』」
空気が震える。黄金の魔法陣がまばゆい光を放ち、俺の指先が虚空をなぞった。
「――『Break the fate, Divine Slash of the Sage... Grand Cross: Ray of Judgement』!!」
「カキンッ」と、鞘と鍔が当たる乾いた音。
それと同時に、視界のすべてが白銀の十字に染まった。
放たれたのは斬撃という【概念】を超えた、純粋な魔力の断層。
メイが自信満々に積み上げた「肉の防壁」も、神器が放つ「死の糸」も、そして空間そのものさえも。俺の指先から放たれた光の十字は、あらゆる抵抗を無に帰しながら突き進んだ。
「が、あああああああああああああああッ!!?」
悲鳴は一瞬だった。
メイの右腕を、神器の模造品ごと光が飲み込み、塵一つ残さず消滅させた。
衝撃波は聖堂の巨大な祭壇を粉砕し、背後の厚い壁に、街の裏側まで見通せるほどの巨大な十字の穴を穿った。
静寂が訪れる。
メイはもはや悲鳴を上げる力もなく、崩れた瓦礫の山へと沈んでいった。
神器の模造品は粉々に砕け散り、ただの石ころとして床に転がっている。
俺は、何事もなかったかのように、中身のない鞘へ「柄」を収めた。
「…はは…あ、ありえない……。今の、本当に抜刀術かよ……。剣筋どころか、世界が割れたように見えたよ……」
イリュウが震える膝を叩きながら立ち上がる。その瞳には、恐怖を通り越した畏怖が宿っていた。 俺は答えず、ベンテンディアを左腕に巻き直すと、ようやく黒い呪縛から解き放たれ、瓦礫の陰で横たわっているリカルナの元へ歩み寄った。
「……リカルナ。遅くなって、悪かったな」
彼女を縛っていた術式が消え、彼女は俺の腕の中に力なく倒れ込む。
「……ルーシュ……。ごめんなさい……止められなかった…」
「気にするな。……それより、お前が生きてて良かった」
ヴォイドの夜明けは近い。だが、神器が偽物だった事実は、本物の所在という新たな火種を意味していた。




