王の危惧・・・聖域への導き
**夏前――。**
湿った風が、夜の空気をまとわりつくような重さへと変えていた。
窓の外は静まり返っている。
だが、その静寂は嵐の前の静けさのように、不自然なほどに重い。
眠りに落ちかけていたルーシュの意識を強引に引き戻したのは、肌を刺すような魔力の違和感。
その源――。
それは、同じ宿舎にいるヴィニーのはずだった。
無視するという選択肢は、最初から存在しない。
俺は音もなくベッドを抜け出し、夜の廊下を進む。
冷たい床の感触と、やけに響く自分の足音。それが、これから始まる異変の前奏曲のように思えた。
やがて、魔力の震源地に辿り着く。
そこに立っていたのは、やはりヴィニーだった。
だが、俺は一目でその異質さに気づく。
空間が、歪んでいる。彼の周囲だけ、空気の密度が数倍にも跳ね上がっていた。
「……王様ですか?」
この威圧感、この身に覚えのある重圧。
「――王だ」
低く、地底から響くような落ち着いた声。
ヴィニーの幼い体から放たれるにはあまりに不釣り合いな、王族の覇気。
間違いなく、今俺の前にいるのはヴィニーの中に眠る「王の意識」そのものだった。
王は夜の闇を見つめたまま、静かに口を開く。
「**『ここ』**は……本来、安定していたはずの場所だ」
言葉の一つ一つが、物理的な質量を持って鼓膜を叩く。
「だが最近――何かが違う。何かが、決定的に狂い始めている」
わずかな沈黙。
「僅かだが**『ここ』**に、ある程度干渉できるようになった……だが不安が、消えんのだ」
その言葉と同時に、俺の肌がざらついた。目に見えない「世界の歪み」が、そこにある。
「見つけられるか。**『ここ』**を」
王の掌から、淡い魔力が溢れ出す。
「このままでは――わた……」
言葉は、そこで断ち切られた。
ふっ、と風が止む。
ヴィニーの体が力なく揺れ、糸が切れた人形のように倒れ込む。
俺は咄嗟にヴィニーの体を受け止め、静かに息を吐き出しながら、さっきの魔力の残滓を反芻した。
――ただ事じゃない。
「今の魔力は……大精霊アジールか?」
一瞬だけ、王の掌から零れたあの光。
王族特有の光魔法などという生易しいものではない。超級魔法【聖域】。
それと…あの領域は――知っている。
アジールかぁあいつも、呼んでおいそれと出てくるようなタマじゃない。
「……まったく。行くしかないようだな、【聖域】に」
唯一残された、光の残滓という名の手がかり。
向かうべき場所は、もう決まった。




