不穏な静寂・・・戦士の格
――朝。
王宮の客室で目を覚ました俺を待っていたのは、耳がおかしくなったのかと思うほどの「静寂」だった。
ドワーフの国といえば、朝から晩まで槌の音が響き、職人たちの怒鳴り声が絶えない場所のはずだ。だが、今は風の音一つ聞こえない。
「……おかしいわね。誰も呼びに来ないなんて」
隣でセレスティアが、愛剣の柄に手をかけながら眉をひそめる。
約束の時間はとっくに過ぎている。エルフの鋭い鼻も、ドワーフ特有の熱気や酒の残り香を捉えていないようだった。
「裏切られた……ということでしょうか。昨夜の宴は、我々を油断させるための罠だったと?」
エルフィが弓を握りしめ、青ざめた顔で俺を見る。
昨夜のあの笑顔、あの活気。それがすべて演技だったとしたら、今の静寂は「包囲網」が完成した合図に他ならない。
「……行くぞ。王室だ」
俺は短く告げ、歩き出す。
もし本当に裏切ったのだとしたら、1500年前の恩義を仇で返すその愚かさを、骨の髄まで叩き込んでやる必要がある。
玉座の間へ続く大廊下。
そこにも、守衛の一人すらいなかった。
代わりに転がっているのは、空になった酒樽と、無造作に放り出された斧。
「……ルーシュ、これって」
セレスティアが何かに気づいたように足を止めた。
俺は無言で、王室の巨大な扉の前に立つ。
魔力探和を広げても、中に潜伏している伏兵の気配はない。ただ、微かに「何か」が動く湿った音だけが聞こえる。
「開けるぞ」
俺は右手に魔力を込め、物理的な質量を持たせた衝撃で扉を叩き割るように押し開けた。
重厚な扉が左右に跳ね、王室の全貌が露わになる。
そこには、俺たちの想像を絶する「地獄」が広がっていた。
「お、おぇぇぇ……っ……もう、飲めん……」
玉座からずり落ち、床に這いつくばっているのはドワーフの王だった。
その横では、昨日あんなに凛々しかった王子のバルカスが、白目を剥いて
「ロストハンマー……最高……」
と、うわ言を繰り返している。
そこにあるのは軍隊でも罠でもない。
ただ、1500年ぶりの『伝説』に完膚なきまでに叩きのめされた、哀れな酔っ払いたちの死屍累々だった。
「……あ、賢者様……おはよう……ございます……」
バルカスが震える手で俺の裾を掴もうとするが、その指先は力なく床を滑る。
静寂の正体は、国中のドワーフが二日酔いで全滅し、声を出すことすらできなくなっていただけだった。
「……おい」
俺は、冷徹な声を落とす。
床に転がる王の頭を、容赦なく「圧」で押さえつけた。
「約束の時間に誰も来ないとは、いい度胸だな。……昨日の酒、あれはもう一生渡さん。残りの樽も、今この場で叩き割ってやる」
「そ、それだけは!! それだけは勘弁してくれ」
王は玉座に座り直し言う。
酒がなくなるという絶望は、ドワーフにとって死よりも恐ろしい拷問だ。
「なら、条件を飲め。無条件で、だ」
俺は有無を言わさぬ口調で、用意していた書面を王の鼻先に突きつける。
「……人間との共学、王国第一学園へのドワーフの入学だ。枠は五人」
「……約束を違えたのは、我らだ」
王は吐き気を堪えながら、それでも俺を真っ直ぐに睨み返した。
「言い訳はせん。条件は飲もう」
その声は掠れていたが、王としての芯だけは崩れていない。
「……だが、その酒を失うことだけは辞めてくれ――我らドワーフにとって、誇りそのものを失うに等しい」
王は震える手で、俺の差し出した書類に判を押し、そのまま空を見上げた。
「……っ、父上……それ、俺が行きます……」
壁に手をつきながら、バルカスが無理やり体を起こす。
顔色は最悪。だがその目だけは、まだ死んでいなかった。
「今のドワーフで戦うなら……俺が最適だ……」
一歩、踏み出す。
――その足が、震えている。
それでも、倒れない。
「何カッコイイシーンみたいに言ってるのよ?ただの酔っ払いでしょ…」
セレスティアが、心底汚いものを見るような目で呟いた。
俺は深いため息をつき、エルフィを振り返る。
「……手間が省けた。すぐ準備しろよ、二日酔いははやく治せ」
こうして、1500年前の「格」を見せつけるはずだった交渉は、「無条件降伏」として幕を閉じた。




