第9話 領地管理人の交代
マリナが領地へ戻ってから三日後、リュシオンとルークがやってきた。
領地管理人のジャンを解任するためだ。
約束どおり、リュシオンはその日のうちにジャンを屋敷へ呼び出した。
「今日付で、領地管理人の職を解く」
執務室の机を挟んで、リュシオンが告げる。
ジャンはしばらく何を言われたのか分からないような顔をしていた。
「お待ちください、旦那様。私の仕事に何か問題がございましたでしょうか」
「仕事の話をしているのではない」
リュシオンの声は低かった。
「お前は先日、マリナに何を言った?」
ジャンはマリナへ視線を送ると、気まずそうに俯いた。
「……あれは、ほんの冗談でございます。奥様も、それほど気になさっていないと思ったのですが」
「マリナがどう感じたかを、お前が決めることではない」
リュシオンが即座に遮った。
「それに、レベッカと僕が”いい仲”だなどと言ったそうだな。彼女は僕の妹だ。――二度とそんな下劣なことを言うな」
「……申し訳ございません」
ジャンが頭を下げる。
それからマリナにも向き直って、深く頭を垂れた。
「――奥様にも、大変失礼なことをいたしました」
「……ええ、本当に」
マリナはそれだけ答えた。
謝罪を受けたからといって、何もなかったことにできるわけではない。
しかしリュシオンが不在の間、管理人のジャンと協力して長年働いてきたことは事実だったので、怒りとともに気まずさが強く、もうこれ以上話したくない気持ちだった。
その気持ちを見透かしたように、壁際に立っていたルークが口を開いた。
「ジャン。管理人としての君の働きについては、マリナ夫人からも聞いている。俺も帳簿を見た。仕事はできるようだな」
「……ありがとうございます」
「だから、一つ提案がある」
ジャンが顔を上げる。
「自分が何をしたのか理解して、今後二度と同じことをしないと約束できるなら、王都で仕事を紹介してやってもいい」
「王都で、ですか?」
「ああ。ちょうど人を探している部署がある。数字を扱える人間が欲しいそうだ」
ジャンの顔が明るくなりかける。
しかしルークは、そこで念を押した。
「勘違いするな。マリナ夫人がお前の家族や周囲への影響まで気にかけているからこその提案だ。お前もこの領地で一生、鼻つまみ者として生きていきたくはないだろう」
その一言で、ジャンの表情が引き締まった。
「王宮では絶対に同じ真似をするな。首が飛ぶぞ。――もしまた同じことをすれば、私たちはお前を庇うことなどしないからな」
「……はい」
「それでも行くか?」
「行かせてください」
ジャンは深く頭を下げた。
こうして、長年ロレンス領で働いてきた管理人は領地を去ることになった。
ジャンの父親にも、リュシオンがジャンのやったことを含め直接事情を説明した。
ジャンの父親は、平謝りをしながら、王都で別の仕事を紹介する沙汰にしたことを泣いて感謝した。
領地で一番広い土地を請け持つ小作人のジャンの一家と大きな禍根を残さずに状況が収まったことに、マリナは安堵した。
しかし――問題は、次の管理人だった。
ルークは次の管理人が決まるまでの手伝いとしてジャンを解任した翌日に、王都から人を呼び寄せた。
有難い話ではあるのだが、マリナは同時に不安にも思った。
ジャンの態度には問題があったが、領地のことをよく知る有能な管理人だったのは事実だ。
王都から代わりの者を連れてくるとルークは言っていたが、中央のやり方を押しつけるような人間では困る。
小作人たちが反発すれば、農作業にも影響が出る。
新しい管理人に一から領地の事情を説明するのも、結局はマリナの仕事になるだろう。
そんなことを考えながら屋敷の前で待っていたマリナは、馬車から降りてきた二人を見て、目を瞬いた。
「……まあ」
ルークの紹介でやってきたのは六十歳ほどの男性と、それより少し若い女性だった。
どちらも王都の役人というより、田舎町の裕福な商家の夫婦といった雰囲気である。
男性がにこやかに頭を下げた。
「初めまして、奥様。ブラウンと申します。こちらは家内です」
夫妻は屋敷を見回して、目を合わせて微笑んだ。
「王都に比べて、ここは昔と変わらず落ち着くわ」
夫人の言葉に、マリナは目を瞬いた。
「この屋敷をご存じなのですか?」
「ええ。二十年ほど前までは。わたしはこちらの近くで農地管理の仕事をしておりました」
ブラウン氏が懐かしそうに周囲を見回した。
「ジャンの父親とも、昔からの知り合いですよ。あいつもまだ元気に畑に出ているそうで」
マリナはルークを見る。
「ロレンス領のご出身の方を探してくださったのですか?」
「ああ」
ルークは何でもないことのように答えた。
「今は王都近郊に住んでいるがな。ブラウンは農地管理の経験があるし、夫人は帳簿と物資管理に慣れている。当面、二人でジャンの仕事を引き継いでもらう」
それから数日もしないうちに、マリナの心配はほとんどなくなった。
「いやあ、懐かしいな。ここの水路はまだ残ってたのか」
ブラウン氏は農地へ出ると、昔から住む小作人たちに自分から声をかけた。
ジャンの父親とも畑の脇で長々と話し込み、いつの間にか二人で今年の小麦の出来を見ている。
一方、ブラウン夫人は農家の女性たちの輪へ自然に入り込んでいた。
「今年は井戸の水がずいぶん楽になったんですって?」
「そうなんですよ。奥様が新しい井戸を掘ってくださって」
「あら、それはいいわねえ。昔は向こうの井戸まで汲みに行ったものよ」
気づけば、野菜を抱えて屋敷へ帰ってきている。
「いただいてしまいました」
そう言って笑うブラウン夫人を見て、マリナは肩の力が抜けるのを感じた。




