第10話 お詫びのプレゼント
「安心したか?」
隣から声をかけられた。
振り返ると、ルークが軽く笑って立っていた。
「……はい。正直に申し上げますと、少し心配していました」
「何を?」
「王都からいらした方ですから。領地の事情をご存じない方でしたら、最初からすべて説明しなければならないかと」
「だから、知っている人間を選んだ」
ルークは畑の向こうを見る。
「知らない人間を送り込んだら、領民が構えるだろう。まして、前任者を急に解任した直後だ」
「ジャンの父親とお知り合いなのも、最初から?」
「調べた。ブラウンが昔ここにいたことも、ジャンの父親と付き合いがあったこともな」
マリナは思わずルークの横顔を見る。
「……そこまで考えてくださったのですね」
「人を置くなら、その人間だけじゃなく、置かれる場所も見ないとな」
さらりと言って、ルークは歩いていく。
マリナはその背中をしばらく見ていた。
ルークは仕事ができる。
それは以前から分かっていた。
けれど、自分で何でも処理できることだけが、仕事のできる人間というわけではないらしい。
誰に、何を任せるか。
その人がどこなら一番力を発揮できるか。
そこまで考えることもまた、人の上に立つ者の仕事なのだ。
『できるからといって、全部あなたがやる必要はない』
王都で言われた言葉を思い出して、胸を押さえた。
ジャンの解任のため、リュシオンとルークが領地に戻ってきてからもう半月になる。
マリナは、リュシオンが二年ぶりに屋敷にいることよりも、ルークがこれほど長く領地にいてくれることの方を頼もしく感じていた。
(ルーク様がブラウン様たちを連れてきてくださって、本当に助かるわ)
実際、ブラウン夫妻が来てから、マリナの机の上の書類は目に見えて減っていた。
これなら、病院での研究にも時間を割ける。
――そんなことを考えていた日の夜だった。
夕食を終え、自室へ戻ろうとしたマリナを、リュシオンが呼び止めた。
「マリナ。少しいいか?」
「はい」
「渡したいものがある」
リュシオンが差し出したのは、手のひらに載るほどの小箱だった。
「私に、ですか?」
「ああ」
促されて蓋を開ける。
中には、銀の細い鎖――その中央に銀の花の装飾がある。
花の真ん中には虹色の光を放つ石がはまっていた。
「虹彩ダイヤモンド……」
小粒ではあるが、質のよいものだ。
光の角度によって赤や青、緑へと色を変える。
このロレンス領に隣接する辺境伯領の鉱山で産出される宝石で、王都の貴族女性たちの間で人気がある。
「ずっと領地を任せきりだったから」
リュシオンが少し言いにくそうに視線を逸らした。
「詫びと言ってはなんだが」
「……」
マリナはもう一度、箱の中を見る。
王都でレベッカが身につけていたものを思い出した。
リュシオンの母親の形見だという、大粒の虹彩ダイヤモンドをいくつも連ねた豪華なネックレス。
もちろん、それと比べればずっと小さい。
けれど、形見と新しく買った品なのだから、比べるようなものでもない。
「亡くなった僕の母上も好きだった宝石なんだ」
リュシオンは言った。
「レベッカも母上の形見を大切にしてくれている。君にも似合うと思って」
「ありがとうございます」
マリナは箱を閉じた。
リュシオンなりに考えて、贈り物を買ってくれたのだろう。
――けれど、自分でも驚くほど嬉しくなかった。
婚約のときに、指輪をもらったときは、心臓が跳ねるように感じたのに。
今は、何も感じない。
(――五年間の詫びが、この宝石のネックレス?)
少し前までの自分なら、こうして夫が自分のために何かを選んでくれただけで嬉しかったはずだ。
けれど今は、不思議なくらい心が動かなかった。
「気に入らなかったか?」
マリナは首を振った。
「いいえ。――とても綺麗ですわ」
それは本当だった。光の加減で七色に光る宝石はずっと眺めていられるほど美しかった。
「今度、つけてみますね」
「ああ。きっと似合う」
リュシオンはほっとしたように笑うと、マリナの頬に手を伸ばした。
「マリナ、今晩は、僕らの寝室で寝ないか?」
マリナは顔を強張らせた。
結婚したときに作った夫婦の寝室をマリナは今使っていない。
リュシオンが帰ってこなくなってから、自分の書斎にしている部屋に簡易的なベッドを置き、そこで寝るようになっていた。
リュシオンが今回帰ってきてからも、リュシオンに寝室を使ってもらい、自分は書斎で同じように寝起きしていた。
「……調べものがありますから」
マリナはそう言って、リュシオンから距離をとった。
リュシオンは「そうか」とだけ呟いて、マリナを見つめた。
「僕は、明日、叔父上と王都に戻るよ。レベッカから手紙が届いてね。体調が悪いと……」
「……そうですか」
マリナは頷いた。
もうジャンの解任の要件は済んだので、早く帰ってもらって構わないと思った。
「――お薬を多めに持っていってくださいね」
そう付け加えると、リュシオンは「ああ」と頷いて、マリナに背を向けた。
翌朝、リュシオンとルークは王都へ戻った。
マリナは二人を見送ったあと、自室の机に置いたリュシオンからもらった小箱を開けた。
朝の光を受けた虹彩ダイヤモンドが、七色にきらめいた。
――綺麗な石だった。
何とはなしに手に取り、指先で転がす。
そのとき、机の端に置かれた小さな水晶が目に入った。
《鋼心病》の患者を調べるため、王都へ持っていった――あの魔女の水晶だった。
マリナは少し考えてから、水晶を手に取った。
宝石にも精霊力は宿る。
それ自体は珍しいことではない。
だから、ほんの好奇心だった。
水晶を虹彩ダイヤモンドへ近づける。
「……え?」
透明だった水晶の中心に、色が浮かんだ。
赤でも青でもない。
鈍く、重い――鋼の色。
マリナは眉を寄せた。
水晶をネックレスからもう一度離すと、色が薄くなった。
近づけると、また、鋼色が濃くなる。
「鋼の精霊反応……?」
呟いて、虹彩ダイヤモンドを見つめた。
けれど、鉱石に鋼属性の精霊力が宿っていること自体は、それほど不思議ではない。
マリナは少し考えてから、虹彩ダイヤモンドのネックレスを小箱に戻した。




