第7話 領地管理人の処分について
薬が効いたのか、レベッカはその後、大きな発作を起こすことなく眠りについた。
レベッカの母親のエルシーは眠る娘の額にキスをすると、潤んだ瞳でマリナの手を握った。
「マリナさん、遠いところを本当にありがとう。あなたにも、ご両親にも、何とお礼を言えばいいか……」
「いえ……」
マリナは言葉を濁した。
今までであれば「当然のことをしたまでです」と言っていたはずだ。
けれど、道中、ルークの知り合いの貴族の館に泊めてもらい、いつもの街道沿いの宿を使って来るときよりも、考える頭の余裕があるからか、素直にそう言うことができなかった。
(……病人なのだから、もっと楽な服装で……、そもそも、やっぱり、入院してもらえれば……)
疲労感を感じて、ため息をつくと、エルシーは焦ったような顔をした。
「――そうよね。遠くから来て、お疲れですわよね。今、お茶の準備をさせますね」
それから、壁際に距離を置いて立つルークのことを見た。
「ルーク様もお久しぶりです。どうぞ、お茶を召し上がっていってください」
マリナたちは場所を移し、一階の応接間でお茶を囲んだ。
「叔父上。改めて、領地に不在で申し訳ありませんでした」
リュシオンがルークに頭を下げる。
「もういい。視察については必要なものを確認できた。落ち着いたようだから、茶をいただいたら、俺も自分の家へ戻るよ」
王宮で役人をしているルークの家は、この屋敷からそう遠くないところにあるはずだ。
「そうですか……」
時間は遅いが、エルシーもリュシオンも『泊まっては』とは提案しなかった。
(――ルーク様はリュシオン様のお父さまの異母弟で、エルシー様はそのお父さまの後妻……)
マリナはロレンス家の複雑な家族構成に頭を抱えた。
(――まあ、いろいろと複雑な親族の距離感があるのでしょうね……)
「しかし――帰る前に、お前に一つ話がある」
ルークはソファに腰掛けたまま、リュシオンを見た。
「お前のところの領地管理人を解任しろ」
突然の言葉に、リュシオンが目を瞬いた。
「ジャンをですか?」
「ジャンというのか、あの男は」
眉間に皺を寄せたルークを見つめ、リュシオンは困惑したように頷いた。
ルークは険しい表情のまま、語気を強めた。
「そいつを、解任するべきだ」
「なぜでしょうか。ジャンは父の代から領地管理に携わっている男です。仕事もできる。管理人としての能力に問題はないはずですが」
マリナは膝の上で手を組んだ。
ルークは確かに、リュシオンに領地管理人の解任の話をすると言っていてくれた。
そして、話をしてくれた。
けれど、マリナは自分から何があったかをリュシオンに説明する気にはなれなかった。
ルークがちらりとマリナを見る。
一瞬だけ目が合ったあと、彼は言葉を選ぶように間を置いた。
「ジャンは――君の奥方に、下品な言葉を吐いた。不適切だ」
「……どういう意味です?」
リュシオンの表情が変わった。
「マリナ?」
問われても、マリナはすぐには答えられなかった。
自分の口から説明するには、あまり気持ちのいい話ではない。
それを察したらしく、ルークが代わりに口を開いた。
「俺が領地へ着いたとき、ジャンがマリナ夫人に言い寄っていた。お前とレベッカ嬢が王都でいい仲だから、奥方も少しくらい遊んでも構わないだろう、と。そのうえ、彼女に触れようとしていた。――俺だけではなく、俺を案内したメイドも見たはずだ」
「何だ、それは」
リュシオンの声が低くなった。
「レベッカは妹だ。“いい仲”なんて表現は――下劣だ」
「血がつながっていないから、という話だったな」
「ふざけるな」
リュシオンが吐き捨てる。
「父上が再婚してから、ずっと一緒に暮らしてきたんだ。俺にとっては妹以外の何者でもない」
「俺に怒るな。そう言ったのはジャンだ」
「分かっています」
リュシオンは苛立った様子で髪をかき上げ、それからマリナを見た。
「……本当にそんなことを言われたのか?」
「……はい」
「君に触れようとしただと?」
「手を伸ばされましたが、払いのけました」
リュシオンの眉間に深い皺が寄った。
「分かった。解任しよう。今夜中に手紙を書いて領地へ送る」
「――待て」
ルークが止めた。
「手紙一枚で終わらせるつもりか?」
「解任するなら、早い方がいいでしょう」
「そういう意味じゃない」
ルークは呆れたように息を吐いた。
「ジャンはお前の父親の代から仕えているんだろう。領地ではそれなりに影響力のある家の人間なのでは?」
「ええ。ジャンの父親は、領内で一番大きな農地を任されている小作人です」
マリナが答えた。
だからこそ、マリナも迷っていた。
ジャン個人のことだけで済む話ではない。
突然解任すれば、ジャンの親族や周囲の農民との関係にも影響するかもしれない。
何より厄介なのは、ジャン自身の領地管理能力には問題がなかったことだ。
「だったらなおさら、お前が領地へ行って直接話をするべきだ」
ルークはリュシオンを見た。
「そもそも、お前が二年も領地へ戻らず、奥方を領地で放って、妹の面倒ばかり見ているからくだらない噂を立てられる余地ができたんだ」
「それは……」
「もちろん、悪いのはジャンだ。――ただ、お前にも責任はある。領主はお前なのだからな。その後始末までマリナ夫人にやらせるな」
リュシオンが黙る。
「自分にあんなことをした相手に解任を言い渡して、その家族や周囲にも説明して、後任まで探せというのか?」
「……そこまでは言っていません」
「言わなくても、誰もやらなければ彼女がやるだろう」
ルークが淡々と返した。
マリナは思わず彼を見た。
――その通りだった。
リュシオンが手紙だけを送るというのなら、その後のことは自分が引き受けるつもりだった。
「分かりました」
リュシオンが観念したように息を吐く。
「レベッカの状態が落ち着いたら、すぐに一度領地へ戻ります。僕からジャンに解任を伝えます」
「そうしろ」
「ですが――」
マリナは思わず口を挟んだ。
二人がこちらを見る。
「ジャンは領地管理の仕事については、きちんとやっております。急に職を失えば、本人だけでなく、ご家族にも影響が出ますし……」




