第30話 王家からの使者
リュシオンに離婚を申し出てから、ひと月ほどが過ぎた。
離婚についての話し合いは、まだ続いている。
リュシオンは当初こそ受け入れられない様子だったが、マリナの意思が変わらないと分かると、次第に現実的な話をするようになった。
財産をどう分けるのか。病院を運営するマリナの実家であるエヴァンス家への援助をどうするのか。そして、領地をどうするのか。
その話がまとまりきらないうちに、王都からルークが領地を訪ねてやってきた。
しかも、今回は一人ではなかった。
「王家からの使者ですか?」
「ああ。役人が二人、宮廷医師が二人だ」
屋敷の応接室でリュシオンと共にマリナが向かい合うと、ルークはそう言って、分厚い書類の束をテーブルに置いた。
王家から派遣された役人と宮廷医師は、すでに療養所へ向かっているという。
マリナは書類へ視線を落とした。
「もしかして、《鋼心病》のことでしょうか」
「察しがいいな」
「王都へ報告書を提出してくださったのでしょう?」
「あれだけのことが分かったんだ。俺のところで止めておく理由はない」
マリナたちがまとめた報告書には、《鋼心病》について現在分かっていることをすべて記していた。
発症者の多くが、虹彩ダイヤモンドを長期間身につけていたこと。
鋼属性の精霊力を吸着しやすい体質の者がいること。
裕福な若い女性だけではなく、虹彩ダイヤモンドの鉱山で働いていた男性たちにも同じ病気が確認されたこと。
そして、金属や宝石から離れ、森や水の多い土地で療養することで、症状が改善する可能性があること。
療養所へ移った四人の患者のうち、三人はすでに明らかな改善を見せている。後から入ったレベッカも快方に向かっている。
――クララは、間に合わなかったけれど。
「王宮でも、かなり大きな話になっている」
ルークの声で、マリナは顔を上げた。
「《鋼心病》は、これまで治療法のない病気だと思われていたからな。特に貴族の間では関心が高い」
――もともと、裕福な家の令嬢が罹患するとされていた病気だ。
貴族の患者が多いので、関心は高いだろう。
「それだけじゃない」
ルークが声を落とした。
それからマリナだけでなく、同席しているリュシオンを見た。
「ここから先は、まだ公にはしないでもらいたい」
マリナとリュシオンは頷いた。
ルークは一度息を吐いてから言った。
「王太子妃殿下が、《鋼心病》を患っておられる」
「……王太子妃殿下が?」
思わずマリナは聞き返した。
隣でリュシオンも目を見開いている。
「ああ。幸い、症状はまだ初期から中期と見られている。宮廷医師によれば、日常生活もある程度送れているそうだ」
「虹彩ダイヤモンドは?」
「身につけておられた。十代のころから、かなり頻繁に」
マリナは息を吐いた。
――まただ。
レベッカも、クララもそうだった。
そしてリュシオンの母も。
「既にすべて外していただいている。宮廷内の金属や宝石からも、可能な限り距離を取っていただいているそうだ」
「それなら……」
「ああ。あなたたちの説が正しければ、まだ間に合う可能性が高い」
ルークが頷いた。
「王家は、王太子妃殿下をこちらへ移すことを検討している」
「こちらへ?」
「あなたたちの療養所だ」
マリナは困ってしまった。
「ですが、あそこは……」
療養所と言っても、もとは農家だった建物を改修しただけだ。
病室を増やし、風呂や厨房を整え、患者が散歩できる道も作った。
それでも、王族を迎え入れられるような施設ではない。
「王太子妃殿下をお迎えするには、あまりにも――」
「分かっている。だから王家も、今の建物にそのまま王太子妃殿下を入れるつもりはない」
ルークは持っていた筒から、大きな紙を取り出した。
テーブルの上に広げる。
ロレンス領の地図だった。
「王家は、この一帯を買い上げたいと考えている」
ルークの指が、地図の上を滑る。
療養所、その周囲に広がる森、小川。
エヴァンス家の病院。
さらに周辺の農地と、いくつかの村。
――かなり広い範囲だ。
マリナが五年間管理してきたロレンス領の中でも、人口の多い地域の大半が含まれていた。
「……僕の領地を?」
リュシオンが呟いた。
「正確には、買い上げだ。取り上げるわけじゃない」
ルークは淡々と答えた。
「侯爵家には相応の代金が支払われる。侯爵位もそのままだ。王都の屋敷、本家の荘園、買い上げの対象にならない所領、それから侯爵家の私有財産にも手はつけない」
「……」
「お前を罰するための話じゃない」
「それは分かっています」
リュシオンは地図から目を離さなかった。
「ですが、ずいぶん広いですね」
「ああ」
ルークはあっさり認めた。
「王家は、王太子妃殿下のためだけに療養用の離宮を建てるつもりはないそうだ」
マリナは顔を上げた。
「では……」
「《鋼心病》患者を広く受け入れる療養地そのものを作る」
マリナは地図を見つめた。
森と水に恵まれ、王都ほど金属の建物も多くない。
農地があるから、長期間滞在する患者や家族の食料も確保できる。
病院もある。
確かに、《鋼心病》の療養地としては適している。
「ですが」
リュシオンが尋ねた。
「王家が買い上げるなら、ここは王領になるんですよね」
「そうなるな」
「誰が管理するんです?」
ルークは、リュシオンを見た。
「そのために、この五年前の領地運営に関する視察記録も提出した」
「視察記録?」
「ああ」
ルークは書類の束から一冊を抜き出した。
「俺が最初にここへ来た理由を忘れたか?」
マリナは覚えていた。
王都へ上がってくるロレンス領の報告書が、あまりにも良かったからだ。
税率は変わっていない。
それなのに、税収は増えている。
人口も増え、病気で亡くなる者は減っている。
だから、本当に報告書通りなのか確かめに来たのだと、ルークは言っていた。
「収穫量は五年でほぼ二倍。人口は増加。税率を上げていないにもかかわらず税収も伸びている。病死者は減少」
ルークはページをめくった。
「井戸の増設、用水路の整備、診療所の設置、農具の改良、耕作放棄地の再利用。それから、管理人を交代させたあとも大きな混乱は起きていない。ブラウン夫妻への引き継ぎも問題なし」
「それは……」
リュシオンがマリナを見た。
ルークも同じようにマリナを見る。
「この土地を五年間、実際に統治していたのは……」
マリナは息を止めた。
ルークはマリナを見つめた。
「マリナ夫人だ」




