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【完結】血のつながらない不治の病の妹を優先する旦那様。治療法は見つけましたので、私は離婚して領地で生きていきます。  作者: 夏灯みかん


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第28話 私にも時間はなかった

 クララが亡くなった翌日、レベッカは療養所へ入ることを決めた。


「お義姉様」


 療養所へ向かう朝、レベッカは淡い生成りのワンピースを着て、マリナの前に立った。

 いつもの豪華なドレスではない。

 金糸の刺繍も、宝石を使った髪飾りもない。金色の巻き毛も、飾り気なくひとつにまとめているだけだった。

 化粧を落とした顔は、マリナの目には随分と幼く見えた。

 ――首元には、もちろん虹彩(イリシア)ダイヤモンドもない。


「……これで、よろしいかしら」


「ええ。金属を使った装飾品は?」


「全部外しました」


 レベッカは少し寂しそうに、自分の胸元を見る。


「……こんな格好は子どものころ以来ですわ」


「お嫌ですか?」


「……少し」


 正直な答えに、マリナは苦笑した。


「……症状が安定すれば、できる範囲でお洒落をする方法も考えましょう」


「本当?」


「もちろんです。宝石をつけなければ、お洒落ができないわけではありませんから」


 レベッカの表情が明るくなる。


「刺繍は?」


「金属の針は避けたいので、骨針を用意しましょう」


「――使ったことがないわ」


「皆さん、すぐに慣れていますよ」


「……では、自分で服に刺繍をしてもいいかしら?」


「疲れない程度なら、問題ありません」


「……それなら、少しは我慢できそうですわ」


 以前なら、わがままだと思ったかもしれない。

 けれど今のマリナには、それが少し嬉しかった。

 これから生きるために、少しでも楽しく過ごしたいと言っている。

 それだけで、大きな違いだった。


「……よろしくお願いいたします」


 レベッカは、母親のエルシーと共に、深く頭を下げた。


 ◇◇◇


 レベッカの療養生活が始まった。

 リュシオンとエルシーも、ロレンス家の屋敷から少し離れた療養所へ移った。

 二人とも、レベッカのそばにいることを望んだからだ。


 ――マリナは止めなかった。


 むしろ、療養所の決まりさえ守ってくれるのなら、家族がそばにいることは悪いことではない。そもそも領地の管理はマリナと管理人のブラウン夫妻が担っている。二人が療養所でレベッカを支えてくれるのなら、マリナとしてもありがたかった。


 食事を変え、薬草を使った入浴を行い、定期的に水晶で体内の精霊力を測る。

 金属や宝石をできる限り遠ざけ、森と水の精霊力に囲まれて生活する。

 レベッカがそんな生活を続け数週間が過ぎたころ――


「姉さん」


 診察を終えた弟のレオンが、記録を持って医務室へ入ってきた。


「レベッカ様の数値、また下がってるよ」


「本当?」


「うん。呼吸も前より安定してる。まだ少し歩くだけで疲れるみたいだけど」


 マリナは記録を受け取った。


 鋼属性の数値は、入所したころから少しずつ下がり続けている。


「……よかった」


 思わず、声が漏れた。

 まだ治ったわけではない。

 心臓にできた結晶も消えてはいない。

 けれど、少なくとも悪化は止まっている。

 身体が回復できる余地も残されていた。


 ――間に合ったのだ。


「姉さん?」


「何でもないわ」


 マリナは記録を閉じた。


「このまま経過を見ましょう」


 ◇◇◇


 その日の午後。

 マリナが療養所の庭へ出ると、レベッカがリュシオンに支えられて歩いていた。


「もう少し歩けますわ」


「無理をしなくていい」


「さっきから、そればかり」


「疲れてからでは遅いだろう」


「お兄様は心配しすぎなのです」


 そんなやり取りをしながら、ゆっくりと花壇の周りを歩いている。

 エルシーが少し離れた長椅子から二人を見守っていた。


「マリナ!」


 リュシオンがマリナに気づいた。

 その声に、レベッカも振り返る。


「お義姉様」


「今日は歩いているのですね」


「ええ。昨日より少し遠くまで行けましたの」


「それはよかったです。でも、疲れる前に休んでくださいね」


「分かっていますわ」


 レベッカはそう言いながらも、少し得意そうだった。

 マリナは思わず笑った。

 そのとき、エルシーが立ち上がった。


「レベッカ。そろそろ薬の時間でしょう?」


「あら、もう?」


「戻りましょう」


 エルシーとレベッカが療養所へ戻っていく。

 リュシオンはその場に残った。

 しばらく、遠ざかっていく妹の背中を見ていた。


「……歩けるようになった」


「ええ」


「少し前までは、部屋から出るだけでも息を切らしていたのに」


 声が震えていた。

 マリナが隣を見ると、リュシオンは目を潤ませて笑っていた。


「ありがとう、マリナ」


 マリナは肩をすくめた。


「本当に、ありがとう」


 リュシオンは目元を押さえた。


「これでようやく安心できる」


 マリナは黙って彼を見る。

 リュシオンが本当に喜んでいることが伝わってきた。

 幼いころ、母親を同じ病気で亡くした。

 そして今度は、妹まで同じ病気になった。

 ――助けられる医者を探し、マリナの父を訪ね、資金を出し、病院を建てた。

 何年も、今度こそ助けたいと願い続けてきた。

 その願いが、ようやく叶おうとしているのだ。

 

(あなたと同じ温度で、喜びを分かち合いたかった)


 マリナは複雑な思いで夫を見つめた。


「今まで、苦労をかけた」


 リュシオンが言った。


「君にも、ずいぶん無理をさせたと思う」


「……ええ、本当に」


 マリナは否定しなかった。

 リュシオンが少し驚いたようにこちらを見る。

 以前のマリナなら、きっと「そんなことはありません」と答えていた。


「――領地のことも、レベッカの治療のことも。全部、君に任せきりだった」


「そうですね」


「すまなかった」


 リュシオンは素直に頭を下げた。

 マリナは、その姿を静かに見つめた。

 謝ってほしかったはずだった。


 ――ずっと。

 一度くらい、自分がどれだけのことを背負っているのか気づいてほしいと思っていた。


 ――けれど。


 実際に謝罪を聞いても、胸の中には何も湧いてこなかった。

 怒りさえ、もうなかった。


「レベッカがもう少し落ち着いたら、僕も屋敷へ戻るよ」


 リュシオンが顔を上げて、髪を掻いた。


「ブラウン夫妻にも任せきりにはできないし、僕も領地の仕事を覚え直さないとな」


 マリナは真顔になり、夫を見つめた。

 その表情にリュシオンは気づかない。


「それから」


 リュシオンは少し照れたように笑った。


「僕たちも、ちゃんと夫婦としてやっていこう」


 マリナは彼を見た。


「結婚式も、結局できないままだっただろう?」


「……ええ」


「レベッカが元気になったら、今度こそ式を挙げよう」


 リュシオンの表情は明るかった。


「五年前にはできなかったことを、これから一つずつやればいい。僕も今度はちゃんと領地にいる。君に任せきりにもしない」


 マリナは思わず、苦笑した。


「これから?」


「ああ」


 リュシオンはマリナの表情に気づかない。


「まだ遅くないだろう?」


 ――ああ。

 やっぱり、この人には分かっていなかったのだ。


 リュシオンにとって、この五年間は、レベッカが治るまでの、長い非常事態だった。

 妹には時間がない。

 だから今だけは、そちらを優先する。

 マリナには時間がある。

 健康なのだから、待っていてくれる。

 そして非常事態が終わったのだから、今から夫婦になればいい。

 五年前に止めたものを、今日から再び動かせばいい。


 ――そう考えているのだ。


 マリナは微笑んだ。


「リュシオン様」


 ――表情と相反して、口から出た声は、冷たく響いた。

 リュシオンは、はっと顔を上げた。


「……何だ?」


 何を言われるのかと身構えるその様子を見て、マリナは口元を歪めた。


「……私の二十歳から二十五歳までだって、一度しかありませんでした」


 リュシオンの笑顔が消えた。


「……マリナ?」


「レベッカ様の二十歳が一度しかないように、私の二十歳も一度しかなかったのです」


「それは……」


「二十一歳も、二十二歳も、二十三歳も、二十四歳も、二十五歳も」


 マリナは淡々と言葉を重ねた。


「全部、一度しかありません」


 風が吹いて、花壇の花が小さく揺れた。

 マリナは乱れた髪を押さえて、穏やかに微笑んだ。

 リュシオンの唇が震えた。


「でも、君にはまだ時間が――」


「ありません」


 マリナは遮った。


 ――五年前。

 結婚式を中止すると告げられた日。


『君にはまだいくらでも時間があるだろう。あの子にはないんだよ』


 あの日と、同じ言葉だった。


「過ぎてしまった時間は、戻ってきません」


 マリナは自分でも驚くほど、穏やかだった。


「あなたがレベッカ様を大切にしたかったことは、分かっています」


 母親を亡くしたことも。

 同じ病気になった妹を、今度こそ救いたかったことも。

 そのために奔走する彼を、好ましく思っていたのは確かだ。

 ――最初は。


「それを間違っていたとは言いません」


「だったら――」


「でも」


 マリナは続けた。


「あなたは、私ではなく、レベッカ様を選び続けましたよね。――五年間、ずっと」


 リュシオンはごくり、と唾を飲んだ。


「私はずっと、仕方がないと思っていました。レベッカ様には時間がないのだから。私が我慢すればいい。私が領地を守ればいい。私が治療法を探せばいい」


 マリナは自分の手を見る。


 この五年間のことを思い出す。


 帳簿をめくり、畑を歩き、領地の各地に診療所を作った。

 薬を調合し、病人を診て、領民の話を聞いた。


 それらを後悔してはいない。

 領地のために働いたことも。

 病気の原因を探し続けたことも。

 レベッカを助けたことも。


 けれど、だからといって、これから先まで同じように生きたいわけではなかった。

 

 リュシオンは変わるつもりなのだろう。

 今度こそ領地に残り、マリナを大切にするつもりなのかもしれない。

 ――けれど、もう遅かった。

 マリナは、もうリュシオンとやり直したいとは思わなかった。


「マリナ」


 リュシオンが一歩近づいた。


「これから取り戻せばいい」


「取り戻せません」


「僕が取り戻す。今までできなかったことなら、これから――」


「ですから」


 マリナは静かに首を振った。


「私は今までの五年間をあなたに捧げました」


 言葉を強める。


「……これからの時間まで、あなたに差し上げるつもりはありません」


 リュシオンが動きを止めた。


「……どういう意味だ?」


 マリナは彼をまっすぐ見た。


 五年前、この人の妻になることを決めた。


 豪華な結婚式がしたかったわけではない。

 毎日愛を囁いてほしかったわけでもない。


 ただ、同じ場所で暮らして。

 領地のことを話して。

 ときには一緒に食事をして。

 ――困ったときには、互いに助け合う。

 そんな夫婦になれるのだと思っていた。


 けれど、その五年間はもう戻らない。

 その五年間を取り戻すつもりももうない。

 

「リュシオン様」


 マリナは告げた。


「私と離婚してください」


 リュシオンの顔から、表情が消えた。


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