第2話 王都への呼び出し
「リュシオンは、いないのか……」
ルークは困惑したように呟いた。
「私は今、地方を何カ所まわっているところなんだ。二カ月前に王都を出たときにリュシオンに聞いたら、私の訪問に合わせて戻ると言っていたのに――」
「そうでしたか。夫からは、何の話も聞いておりません……」
マリナはため息をついた。
ルークの眉間に皺が寄った。
何か言いたそうだったが、結局リュシオンについては何も言わず、視線を机の上へ移した。
マリナは息を吐くと、ルークを連れて来たメイドにお茶の準備をするように伝えた。
(――なんにせよ、いいタイミングでルーク様が入ってきてくれて良かったわ)
小さくため息をつく。
管理人が自分にあんな態度をとってくるとは思わなかった。
確かに思い返せばここ数度、報告を聞くたびに口調が馴れ馴れしかった気はするが、自分も愛想よくしすぎてしまったかもしれないと内心頭を抱えた。
「まあいい」
とルークは首を振った。
「――先ほどの様子だと、あなたに聞いた方がわかるかもしれない――」
「何をお聞きにいらしたのですか?」
ソファに腰かけ、ルークと対面したマリナは背筋を伸ばした。
――ロレンス侯爵領に、何か問題があって見にきたということだろうか。
「――王都に上がってくるロレンス領の報告書が、ここ数年おかしい。その理由を確認しにきた」
マリナの背筋が伸びた。
「不備がありましたでしょうか」
「逆だ」
ルークは首を振った。
「数字が良すぎる」
ルークは先ほどマリナが管理人と見ていた卓上の帳簿を手に取った。
「失礼。ちょうど、記録があるので見せていただいても?」
「もちろんです」と頷くと、ルークは帳簿を開いた。
「――五年前と比べて、主要作物の生産量がほぼ二倍。税収も増えている。それなのに税率を無理に上げた形跡はない。人口も減るどころか増えている。病や怪我で亡くなる者も減っている」
そしてマリナを見た。
「帳簿をいじっているのか、本当にこれだけ伸びているのか。確認するために来た」
「まあ」
マリナはほっとして表情を緩めた。
何か大きな問題でも起きたのかと思ったが、そんな疑いならよかった。
全て事実なのだから、見てもらえれば解決する。
「どうぞ、お調べください。必要な資料はご用意いたします」
「随分あっさりしているな」
「間違った報告はしておりませんから」
「そうか」
ルークは少しだけ笑った。
「それなら遠慮なく調べさせてもらう」
それから、もう一度扉を見る。
「その前に、さっきの管理人は解任したほうがいい」
「え?」
「あなたにあんな失礼な真似をした人間を置いておく必要はないだろう」
マリナは少し困った。
「ですが、領地管理についてはよくやってくださっています」
「――管理能力の話をしているんじゃない」
マリナは首を振った。
「それに、管理人の任免権を持っているのはリュシオン様です。私の一存で解任するわけにはまいりません」
ルークはしばらく黙った。
それから、妙なことを尋ねてきた。
「この領地を実際に管理しているのは誰だ?」
「……私ですけれど」
「診療所を作ったのは?」
「それも、私が提案しました。――私の実家は病院をやっておりますから」
「予算を組んでいるのも?」
「私ですわ」
ルークは腕を組んだ。
「なら、実際に領主の仕事をしているのはあなただ」
「いいえ」
マリナはすぐに否定した。
「領主はリュシオン様です。私は侯爵夫人ですから」
それだけは明確だった。
自分はロレンス家へ嫁いできた人間にすぎない。
任されているから、仕事をしている。
必要とされているから、できることをしている。
この土地が自分のものだなどと思ったことは一度もなかった。
ルークはしばらくマリナを見ていたが、やがて小さく肩をすくめた。
「分かった」
彼はあっさり引き下がった。
「なら、『領主様』には俺から話しておく」
「リュシオン様に?」
「自分の妻に言い寄るような管理人を置いておくな。不適切だから解任しろ、とな」
「ですが――」
「あなたが我慢すれば済む、とは言わないでくれよ」
先回りされて、マリナは口を閉じた。
ちょうどそのとき、廊下が騒がしくなった。
「奥様!」
お茶を淹れにいったはずのメイドが息を切らして駆け込んでくる。
「王都から、旦那様の使いの方がお見えです。至急お伝えしたいことがあると――」
嫌な予感がした。
王都から急ぎの知らせが来る理由など、一つしか思い浮かばない。
間もなく通された使者は、予想どおりの名を口にした。
「レベッカ様のご容体が悪化されました」
マリナの指先がわずかに強張った。
「旦那様より、奥様にも至急王都へお越しいただきたいとのことです。――風鈴草の薬を持ってきてほしいと」
五年前から、何度も繰り返してきたことだった。
レベッカが倒れれば、リュシオンの世界では何よりも彼女が優先される。
そしてマリナもまた、それを当然のこととして受け入れてきた。
「分かりました」
マリナは静かに頷いた。
「すぐに支度をするわ」




