第18話 死んだ鉱夫たち
――鉱山で働く人たちは?
そう考えてから、マリナはその疑問が頭から離れなくなった。
虹彩ダイヤモンドを身につけることで、《鋼心病》になる可能性がある。
もちろん、まだ仮説にすぎない。
けれど、それが正しいのなら――装身具として加工された小さな石を身につけている貴族女性よりも、はるかに大量の虹彩ダイヤモンドに触れている者たちがいる。
――鉱夫だ。
虹彩ダイヤモンドが採掘される鉱山は、ロレンス領にはない。
鉱山があるのは領地の北に接するマーシャル辺境伯領だ。
山間部にある鉱山で採掘された原石がロレンス領を経由し、王都をはじめとする各地へ運ばれている。
「マリナ、今日は家で食べていくでしょう」
病院に隣接する家族が暮らす屋敷の食堂で、マリナは頷いた。
ここ数日は病院での調べものに専念しており、自分の屋敷には帰っていない。
領地の仕事はブラウン夫妻がやってくれているので、本当にありがたいと思う。
「鉱山で、《鋼心病》にかかった人はいないのかしら」
夕食を食べながらマリナが呟くと、父のルシオが首を傾げた。
「聞いたことはないな」
「俺も」
レオンがパンをちぎりながら答えた。
「でも、鉱山で働いているのって、ほとんど男だろ? 《鋼心病》は女の病気だと思われてたんだから、同じ症状が出ても《鋼心病》とは診断されないんじゃないか?」
「……そうよね」
胸の痛みや呼吸困難。
失神を起こし、身体が弱り、やがて死ぬ。
それだけなら、ほかの病気でも起こり得る。
まして、鉱山で働く者ならば――。
「鉱山の仕事は身体に悪いと聞くわ」
母のサナが言った。
「怪我も多いでしょうし、肺を悪くする方もいるでしょう?」
「ええ」
マリナは考え込んだ。
仮に《鋼心病》で亡くなった鉱夫がいたとしても、死後に胸を開かなければ、心臓に結晶ができていたことは分からない。だが、マーシャル辺境伯領の鉱山について、ロレンス家の病院に詳しい記録があるはずもない。
どうすれば調べられるだろう。
鉱山を管理している者に直接問い合わせるか。
それとも、マーシャル辺境伯家に手紙を出すか。
そう考えたとき、マリナの頭に一人の顔が浮かんだ。
「……ルーク様」
「え?」
レオンが顔を上げる。
「ルーク様なら、何か分かるかもしれないわ」
宮中で各領地から上がってくる財務報告を扱っているルークは、地方の事情にも詳しい。
以前、一緒に王都へ向かったときも、道中の貴族家と顔見知りだった。
マーシャル辺境伯とも、何らかのつながりがあるかもしれない。
その日のうちに、マリナはルークへ手紙を書いた。
《鋼心病》と虹彩ダイヤモンドに関係がある可能性が出てきたこと。
《鋼心病》の患者には、鋼属性の精霊力を身体へ取り込みやすい体質があるのではないかと考えていること。
そして――虹彩ダイヤモンドの鉱山で働く者たちに、同じ症状が出ていないか調べたいこと。
手紙を王都へ送り出した。
返事が来たのは、それからしばらくしてのことだった。
◇◇◇
『マリナ夫人へ。
興味深い話なので、こちらでも調べてみた。
マーシャル辺境伯領の鉱山について、宮中に提出されている記録を確認した。
結論から言えば、若くして死亡する鉱夫は珍しくない』
マリナは丁寧な字で書かれた書簡を目で追った。
『鉱山では落盤事故や怪我による死亡が多い。
長く働く者は、咳や息苦しさを訴える者も多く、感染症や過労で亡くなる者もいる。
したがって、若い男が胸の痛みや呼吸困難を訴えて死亡していても、それだけでは特別な事例として扱われていない。
記録上は「鉱山病」「過労」「病死」などとなっている。
あなたの仮説を確かめるには、記録だけでは難しいだろう』
マリナは眉を寄せた。
やはり、裕福な女性であれば《鋼心病》を疑われる症状が、鉱夫であれば別の病気として処理されている可能性がある。
マリナはすぐに返事を書いた。
『可能であれば、現地で調べたいと思っています。
現在働いている鉱夫の診察に加え、最近亡くなった方の中に、事故や明らかな感染症では説明できない方がいれば調べたいのです。
マーシャル辺境伯家に、調査の許可をいただくことはできるでしょうか』
数日後。
再びルークから手紙が届いた。
『マーシャル辺境伯には俺から話を通した。
鉱山での調査について了承を得ている。
現地の責任者にも、こちらから連絡してもらえるそうだ。
私も同行しよう。王都の屋敷からそちらへ向かうので、一緒に行こう』
マリナは、その一文をもう一度読んだ。
「……来てくださるのね」
思わず、小さく笑みが浮かんだ。
手紙を書いてから、まだそれほど日が経っていない。
それなのに、ルークはすでに記録を調べ、マーシャル辺境伯へ連絡を取り、鉱山への立ち入りまで手配してくれている。
(本当に、仕事が早い方だわ)
マリナは手紙を丁寧に畳んだ。
◇◇◇
数日後。
ルークを乗せた馬車が、ロレンス家の屋敷へ到着した。
知らせを受けたマリナは玄関まで出迎えに行った。
「ルーク様。わざわざありがとうございます」
「いや、こちらこそだ。とても興味深い説で、上も関心を持っている」
馬車から降りたルークが笑う。
「鉱山側にも話は通っている。明日にでも出られるぞ」
「ありがとうございます。本当に助かり――」
言いかけたマリナは、馬車からもう一人降りてくるのを見て目を瞬いた。
「……リュシオン様?」
「やあ、マリナ」
リュシオンは何でもないことのように答えた。
「僕も来た」
馬車から降りてきた夫のリュシオンを見て、マリナはただ驚いた。
「レベッカ様はいいのですか?」
マリナが真っ先に尋ねると、リュシオンは少し眉を寄せた。
「君の手紙を読んですぐ、虹彩ダイヤモンドは外させたよ。ほかの宝石も全部だ」
「そうですか」
マリナは胸を撫で下ろした。
「薬も飲ませている。今のところ体調は落ち着いているよ」
「よかった……」
少なくとも、クララと同じことが起こる危険は減った。
「それにしても」
リュシオンはマリナとルークを交互に見た。
「二人で鉱山へ行くつもりだったのか?」
マリナは一瞬、何を尋ねられているのか分からなかった。
「……二人で?」
「叔父上と君だけで行くのか、と聞いているんだ」
眉間に皺が寄っている。
リュシオンの意図していることが読み取れず、マリナは少し間を置いた。
それから顔を強張らせて、首を振った。
「……いいえ」
リュシオンの灰色の瞳をじっと見据える。
「弟も――レオンも一緒に行きます」
「レオンも?」
「はい。もし最近亡くなった鉱夫を調べられるのであれば、解剖も必要になるかもしれません。解剖については、私より弟の方が経験がありますので」
「……そうか」
リュシオンの表情が、あからさまに緩んだ。
その顔を見て、マリナは何も言えなくなった。
(――あなたが気にすることは、そこなのね)
鉱山では、若い男たちが病気で死んでいるかもしれない。
貴族令嬢の病気だと思われていた《鋼心病》で、誰にも気づかれないまま亡くなった人間がいるかもしれない。
今は、その話をしている。
それなのに、リュシオンが真っ先に気にしたのは、マリナとルークが二人きりで鉱山へ行くのかということだった。
以前なら――少しくらい、嬉しかったのだろうか。
夫が自分を気にしている。
嫉妬してくれている。
そんなふうに受け取れたのだろうか。
今はただ、胸の奥に小さな失望が落ちただけだった。
「それなら、僕も一緒に――」
リュシオンが言いかけたときだった。
「旦那様!」
屋敷の中から、使用人が慌ただしく駆けてくる。
「王都から、急ぎの使者が参りました」
「王都から?」
「はい。レベッカ様のことで――」
リュシオンの顔色が変わった。
◇◇◇
「今朝から、また息苦しさが出ているらしい」
王都から届いた手紙を読み終え、リュシオンは険しい顔で言った。
「宝石は?」
マリナが尋ねる。
「外している。君の薬も飲んでいるそうだ。ただ、胸が苦しいと」
「熱は?」
「ないらしい」
「意識は?」
「ある」
それならば、今すぐ命に関わる状態とは限らない。
けれど、リュシオンの視線はすでに王都の方角を向いているように見えた。
「僕も鉱山へ行くつもりだったんだが……」
マリナはリュシオンを見つめた。
「……戻ってください」
マリナの言葉にリュシオンが顔を上げる。
「……マリナ?」
「レベッカ様が心配なのでしょう?」
「それは……もちろん」
「でしたら、戻ってください。こちらは大丈夫です」
「だが、鉱山のことは」
「ルーク様が手続きをしてくださいました。レオンも同行します。私たちで調べられます」
「でも――」
「リュシオン様」
マリナは静かに夫を見た。
「レベッカ様のところへ行ってあげてください」
しばらく沈黙が落ちた。
やがてリュシオンが頷いた。
「……分かった」
それからマリナへ近づき、少し迷ったように手を伸ばした。
「気をつけて行くんだよ」
リュシオンはマリナの頬に手を触れようとして、そして、一瞬止まって肩をたたいた。
マリナは「はい」と頷いた。
「叔父上。マリナを頼みます」
リュシオンが言うと、ルークはわずかに眉を動かした。
「もちろんだ。先方との話は私がつけている。問題ない」
そして、マリナを見つめた。
「向こうでの調査は、マリナ夫人とレオンくんがやってくれるだろう。私はそれに協力するだけだ」
リュシオンは「そうですね」と頷くと、到着したばかりの馬車へ再び乗り込んだ。
王都から来て、ほとんど休む間もなく、今度は王都へ戻っていく。
――レベッカのために。
マリナは玄関先で、遠ざかっていく馬車を見送った。
――やっぱり、行くのね。
リュシオンなら、そうする。
もう分かりきったことだった。
だからなのか、以前のような苛立ちも、寂しさも湧かなかった。
「……マリナ夫人」
隣から声がして、振り向くと、ルークがマリナを見つめていた。
「予定通りに出発して、問題ないか?」
マリナは頷いた。
「もちろんです。弟を呼んでまいります」
明日、鉱山へ向けて出発する。
貴族令嬢の病気だと信じられてきた《鋼心病》――その実態を探りに。




