第17話 精霊医療
水晶を譲ってくれた老人は、領地の外れにある小さな村で暮らしていた。
彼は農作業はせず、森で狩りをしたり、茸を採ったりして暮らしている、少し変わった老人だった。
以前、マリナが近くの村を訪れた際、「しばらく姿を見ない者がいる」と聞いて家を覗いてみると、老人が急な病で倒れていた。マリナが治療すると、金の代わりにと、彼お亡き母が使っていたという”魔女の水晶”を譲ってくれたのだ。
「まさか侯爵夫人様が、またこんなところまで来なさるとは」
「突然申し訳ありません」
「いやいや。母ちゃんの水晶が役に立っとるなら、あの世で喜んどるでしょう」
「お母様は、“魔女”だったのですよね?」
「ええ。まあ、そう呼ばれとりました」
老人は懐かしそうに笑った。
魔女。
そう呼ばれる女性たちは、かつて地方の村々に存在していた。
薬草を煎じ、怪我の手当てをし、出産を助け、ときには精霊の力を借りて病を診たという。
しかし、医術が体系化され、町に医師や薬師が増えるにつれ、その数は減っていった。
迷信やまじないと区別のつかないものも多く、今では魔女の医術を信じる者も少ない。
「お母様が使っていたものは、ほかに残っていませんか?」
「道具はほとんど処分しましたなあ」
老人は考え込んだ。
「……ああ。でも、書いたものなら」
「書いたもの?」
「ちょっと待ってくだされ」
老人は奥の部屋へ入り、しばらくして古びた冊子を抱えて戻ってきた。
革紐で綴じられた紙は黄ばみ、端がぼろぼろになっている。
「母ちゃんが書いとったものです」
マリナは思わず身を乗り出した。
「拝見しても?」
「もちろん。わしには読んでも、何が何だか分からんので」
老人は冊子を差し出した。
「昔、わしが病気になったときも、母ちゃんが治してくれましてな。そのときのことも書いてあるそうです。水晶も、その礼だと思ってくだされ」
「ありがとうございます」
マリナは両手で冊子を受け取った。
◇◇◇
その覚書を読み解くには、数日かかった。
文字が読みづらいというだけではない。
そこに記されている考え方そのものが、マリナたちの知る医学とは大きく異なっていた。
火、水、風、木、土。
そして、鋼。
あらゆるものには、それぞれ異なる精霊の力が宿る。
人の身体にもまた、精霊の力が流れている。
――そう記されていた。
「ここ」
夜の診察室で、マリナはある一文を指差した。
レオンが横から覗き込む。
「『人には、寄りやすきものと、寄りにくきものあり』……?」
「その次よ」
「『同じ水辺に住めど、水の気を多く受くる者と、受けぬ者あり』」
サナが別の頁をめくった。
「こっちにも似たことが書いてあるわ。『火を寄せる者は火の病を得やすく、冷たき水の地にて休ませよ』」
「人によって、外から精霊力を取り込む強さが違う……?」
マリナは呟いた。父が腕を組んだ。
「それなら、虹彩ダイヤモンドを身につけても病気になる者とならない者がいることも説明できるかもしれないな」
「ええ」
マリナは紙を一枚引き寄せた。
そこに二つの言葉を書く。
――鋼属性を強く取り込む体質。
――虹彩ダイヤモンド。
「《鋼心病》の患者は、もともと鋼属性の精霊力を身体へ取り込みやすい体質なのかしら……? そこへ、鋼属性の強い石を長く身につけると……」
レオンが続けた。
「少しずつ、身体の中に鋼属性が溜まっていくのかもしれない。それが一定のところを超えたとき、心臓にあの結晶ができ始めるのだとしたら」
マリナは顎に手を置いた。
クララが虹彩ダイヤモンドを飲み込んだときのことを思い出す。
石が身体の中にあった四日間。
水晶が示す鋼色は、恐ろしいほど強くなった。
そして排出された途端、弱くなった。
「……辻褄は合うわ」
母のサナが呟いた。
「でも、まだ仮説だ」
父のルシオが眼鏡を直した。
「虹彩ダイヤモンドを持っていなかった患者もいる」
「ええ」
マリナは頷いた。
「その人が別の鋼属性の強いものに触れていた可能性もあります。あるいは――」
「極端に鋼属性を取り込みやすい体質だった」
レオンが言う。
「そうね」
まだ分からないことは多い。
けれど、少なくとも調べるべきものは見えてきた。
これまで《鋼心病》は、若く裕福な女性に多い奇病だと考えられていた。
――だが、本当にそうなのだろうか。
若い女性だから、病気になるのではない。
裕福だからでもない。
裕福な若い女性が、虹彩ダイヤモンドを日常的に身につける機会が多いだけなのだとしたら――。
「お父様」
「何だ?」
「《鋼心病》は、貴族令嬢の病気ではないのかもしれません」
父はしばらく黙っていた。
やがて、小さく頷いた。
「ああ。そうかもしれないな」
◇◇◇
その夜、マリナはリュシオンへ手紙を書いた。
――まだ確証はない。
原因が虹彩ダイヤモンドだと断定することもできない。
それでも、レベッカにこれ以上、虹彩ダイヤモンドを身につけさせる理由はなかった。
『リュシオン様。
《鋼心病》について、重要なことが分かりかけています。
まだ仮説の段階ですが、虹彩ダイヤモンドが病状を悪化させている可能性があります。
レベッカ様が身につけている、お義母様の虹彩ダイヤモンドのネックレスを外してください。
念のため、ほかの宝石や金属の装飾品も、当面は身につけないようお願いいたします。
詳しいことが分かり次第、改めてご連絡します』
そこまで書いて、マリナは筆を止めた。
――レベッカが、素直に外すだろうか。
あのネックレスは、リュシオンの母親が遺したものだ。
レベッカはそれを大切にしている。
けれど。
苦しそうに浅い呼吸をして、寝たままのクララの姿が目に浮かぶ。
――しばらく前までは、窓辺で刺繍をして、散歩をして微笑んでいたのに。
(私が、虹彩ダイヤモンドを病室につけていかなければ――)
マリナは唇を噛んだ。
迷っている場合ではない。
マリナは最後に一文を、やや大きな文字で書き加えた。
『これは、レベッカ様の命に関わる可能性があります。必ず外してください』
インクが乾くのを待って、手紙を封じる。
「明日の朝一番に、王都へ届けてください」
使用人に手渡したあと、マリナは窓の外を見た。
領地の向こうには山がある。
その山では、今日も虹彩ダイヤモンドが掘り出されている。
王都へ運ばれ、美しい宝石に磨かれ、誰かの首や耳や指を飾る。
そこまで考えて、マリナは、ふと眉を寄せた。
(――掘っている人たちは?)
虹彩ダイヤモンドを毎日身につける貴族令嬢よりも、ずっと長い時間。
まだ磨かれてもいない原石に、直接触れている人間たち。
「……鉱山」
マリナは小さく呟いた。




