第7話:巨獣の魂と解体ショー
【異変と巨獣の出現】
ポタ……ポタ……と、黄金のポットスチルから命の水が滴る音だけが響いていた空間に、異変が起きた。
ズシン……。
ズシン……!!
腐海の森の奥深くから、先ほどのビッグマンティスの襲撃とは比べ物にならない、大地そのものを揺るがすような重低音が響いてきた。ポットスチルから立ち上る真っ白な蒸気の匂いに誘われたのだろう。木々がなぎ倒され、姿を現した『それ』を見て、俺たちは息を呑んだ。
ダンプカーほどの大きさだったビッグマンティスが、まるで小動物の子供に見えるほどの圧倒的な質量。山のように巨大な赤黒い剛毛の塊――二本の巨大な牙を生やした、超巨大なイノシシだった。
「ウ、ウソだろ……さっきの虫が可愛く見えるサイズじゃねえか……!」
安倍が腰を抜かしてへたり込む。
巨猪が荒い鼻息を吐き出すたびに、突風が吹いて周囲のキノコが吹き飛んでいく。
俺はとっさに、ハンカチで巻かれた右手の人差し指に力を込めようとした。爪を剥がし、このイノシシの皮膚に貼り付け『脆化』を記述すれば、あの硬い外殻を内側から崩せるかもしれない。あのサイズだ、校長のガトリングでも致命傷を与える前にこちらが踏み潰される。俺の爪で内側から爆破するしか――。
「――ダメよ、ふるふる君。あなたはそこで見学していなさい」
すっと俺の前に進み出たのは、ドレスの裾を揺らす櫻子先輩だった。
俺は指先に巻かれた包帯を握りしめた。剥がせば、俺にも何かできるかもしれない。だが、そんな俺の焦りなど見透かしているかのように、櫻子先輩は振り返りもしない。
圧倒的な力の差と、守られるしかない自分の現状。
俺は彼女の背中を見つめながら、爪を剥がせなかった自分の無力さを、血の滲む指先の痛みと共に奥歯で噛み締めた。この指が治らない限り、俺の能力は使い捨ての、極めて限定的な切り札でしかない。俺が一人で戦えるようになるのは、いつなんだ……。
【櫻子先輩の『狩り』】
彼女は巨大なイノシシを見上げても、一切の恐怖を感じていないようだった。むしろ、俺がまた爪を剥ごうとしたことに軽く腹を立てているような、冷たい微笑みを浮かべている。
「私、色々な魔法の知識をもらったけれど、一番手っ取り早くて使いやすいのは『植物』を操る魔法みたいなのよね。……少し、お行儀の悪いところを見せるけれど、嫌いにならないでね?」
櫻子先輩が優雅に指先を振るうと、大地がボコボコと波打った。
次の瞬間、腐海の地面から極太の大蛇のような緑色の蔓が無数に飛び出し、瞬く間に巨猪の四肢、胴体、そして巨大な牙を何重にも縛り上げた。
「ブギィィィィィィッ!?」
暴れ狂う巨猪の規格外のパワーをもってしても、櫻子先輩の魔力で急成長した蔓はちぎれない。完全に動きを封じられた巨猪の鼻先に、彼女はふわりと舞い降りた。
「さて。お肉は傷つけないように……『魂』だけ、もらいましょうか」
櫻子先輩が巨猪の額にそっと白い手を触れる。
その瞬間、巨猪の巨体がビクンと跳ねた。彼女の手のひらから、淡く光るゼリー状の物体――巨猪の『魂』が、ズゾゾゾゾッ! と音を立てて引きずり出されていく。
「ブ、ブヒィ……」
完全に魂を抜かれた巨猪は、外傷を一切負うことなく、ドスーンと地響きを立てて絶命した。
そして、櫻子先輩の手に握られた凶悪な巨獣の魂は、彼女の魔力によってキュルキュルと圧縮され――なぜか、可愛らしい手のひらサイズの『サボテンの観葉植物』へと姿を変えた。
「はい、ふるふる君。これ、私たちの新しいお部屋に飾りましょうね」
「あ、ありがとうございます……(絶対に枯らしてはいけないやつだ……)」
俺が冷や汗を流しながら観葉植物を受け取ると、後方からものすごい勢いで飛び出してきた影が二つあった。
【異色の解体タッグ登場】
「素晴らしい! 外傷ゼロの完璧な狩りです! これなら極上の肉が取れますよ!!」
目を輝かせているのは、料理部副部長の土屋さん。
そしてもう一人、彼女の横に並び立つのは――身長わずか150センチ、はち切れんばかりの胸元とキュッと引き締まったウエストを持つトランジスタグラマーな女性教師、山口先生だった。
「はぁ……本当に嫌になります。実家の相撲部屋の泥臭い毎日が嫌で教師になったっていうのに、結局何百人前ものちゃんこを仕込んでいた経験が活きる羽目になるなんて。……ねえ、あなた?」
「うむ! どんな形であれ、君の見事な包丁さばきがまた見られるのは嬉しいぞ! 今夜は猪鍋だな、ハニー!」
「もう。学校では呼びやすいように旧姓のままでって言ってるでしょ、ダーリン♡」
先ほど巨大ポットスチルを素手で叩き出した金剛不壊の巨漢・角田先生が、山口先生に熱い視線を送って親指を立てる。そう、この規格外のパワー系教師二人、実は既婚者の夫婦なのだ。
小柄で魅惑的なルックスからは想像もつかない重いため息を一つ吐くと、ここからサバイバル生活におけるもう一つの奇跡――『超絶解体ショー』が始まった。
【プロフェッショナルたちの解体ショー】
山口先生が、先ほどのビッグマンティスの残骸から分厚い外殻の破片を拾い上げ、それを自分の身長ほどもある巨大な出刃包丁代わりに構える。
そして、タイトスカートが裂けんばかりの足の開きで、細胞にまで染み付いた憎き相撲部屋仕込みの完璧で美しい「四股」を踏んだ。
ズシィィィィンッ!!!
夫の角田先生にも引けを取らない凄まじい踏み込み。
その反動を利用し、小柄な身体をバネのように弾けさせて空高く跳躍すると、巨猪の頸動脈を正確かつ豪快に一刀両断した。
「せいッ!!」
ブワッと鮮血が噴き出すが、土屋さんがすでに待機させていた巨大な蔓の葉っぱを桶代わりにして、一滴残らず受け止めていく。血が抜けきると、二人の動きはさらに加速した。
「先生、まずはロースとバラからいきましょう! 筋に沿って刃を入れてください!」
「はいはい、分かりましたよ。……なーに、ウチのダーリンの極太筋肉のケアに比べれば、イノシシの関節外しなんて造作もないですからね!」
山口先生が小さな両手で巨猪の分厚い皮をベリベリと剥がし、バキボキと軽快な音を立てて巨大な関節を外していく。
その開かれた巨体に、土屋さんが玄田先輩のキッチンナイフを片手に飛び込み、迷いのない手つきで可食部を美しく切り出していく。
「ここはヒレ! ここはスペアリブに最高ですね! あ、内臓はすぐ悪くなるから今回は捨てましょう!」
二人の、包丁さばきと肉の部位を見極める目は完全にプロのそれだった。
ただの高校の料理部員と、相撲部屋の過去から逃げられなかったトランジスタグラマー妻。その二人の異色のタッグにより、山のような巨猪はあっという間に「美しく切り分けられた最高級の精肉のブロック」へと姿を変え、綺麗に並べられていった。
【サバイバルの希望】
「……す、すげえ。なんかもう、俺たち普通に生きていける気がしてきた」
俺は、目の前にそびえ立つ極上の肉の山と、ポットスチルから湧き出る綺麗な水を見て、深い安堵の息を吐いた。
櫻子先輩の圧倒的な殲滅力に、職人たちの生活力、そして教師夫婦の愛とパワー。
異世界という地獄は、気づけば最高にハイカロリーな「ごちそうの準備」へと変わっていった。




