第20話:赤き兎の垂直登攀と野球部の意地
その日の深夜。
オルト・リ王国の王宮は、重厚な静寂と松明の火影に包まれていた。
暗がりの中を、音もなく疾走する影が一つ。赤城烈兎だ。
「(正面の警備は堅牢だな。……まあ、予想通りだが)」
尖塔の根元には、槍を持った重装兵が二人。微動だにせず立ちふさがっている。
正面突破は自殺行為。だが、赤城の視線は入り口になど向けられていなかった。
彼の狙いは遥か上空――姫が幽閉されているという、地上数十メートルの窓だ。
「(あんな高さ、普通の人間なら『詰み』だろうけど……俺を誰だと思ってやがる)」
赤城はニヤリと笑うと、サバイバルナイフを口にくわえ、石造りの城壁のわずかな隙間に指をねじ込んだ。
彼の超人的な身体能力の源――それは、彼が過酷な**「野球部」**で培った肉体そのものにある。
血豆が潰れるまでバットを振り続けた握力。
次の塁を狙い続けた爆発的な瞬発力。
そして、外野フライを背走しながら追うために磨き抜かれた、完璧な空間把握能力。
「(真夏の炎天下でやった地獄の千本ノックに比べりゃ、こんな壁登り、ただのウォーミングアップだぜ!)」
シュッ、タァッ!
赤城はまるでベース間を駆け抜けるかのように、垂直の壁をジグザグに跳躍しながら駆け上がっていく。
途中、巡回兵のランタンが壁を照らしたが、彼は咄嗟にツタの裏へ張り付いた。牽制球を避けるランナーのように、完璧なタイミングで気配を消し去る。
数分後。赤城は尖塔最上階の窓枠に手をかけていた。
窓には簡素な鉄格子。だが、古田が手渡してくれた「櫻子特製の腐食液」を数滴垂らすと、鉄は音もなくスライムのように溶け落ちた。
「お邪魔しますよっと……」
ホームインするかのような滑らかさで、部屋へ滑り込む。
そこは、豪華だが鳥籠のように冷たい寝室。
そしてベッドの中央には、青白い顔で苦しげな呼吸を繰り返す少女の姿があった。
オルト・リ王国の正統王位継承者、ルリカ・オルト・リ殿下。
ようやく会えたその小さな顔を前に、赤城はサバイバルナイフを鞘に収め、低く囁いた。
「よお、お姫様。……迎えに来たぜ」




