第18話:理不尽なる公爵と剥奪された栄誉
「……あれは、何なのだ?」
オルト・リ王国を目指して川を下る途中、エリカは何度も呆然と呟いていた。
川の浅瀬で、巨大なシャケが獰猛な牙を剥いて野生の熊を襲い、そのまま水飛沫を上げて深い川底へと引きずり込んでいく。
かと思えば、そのすぐ横を何の変哲もない「普通の熊」がのんびりと歩いている。
異世界の生態系は完全に混沌としていたが、ボランティア部の面々からすれば、今さら驚くようなものではなかった。
「おい、あのシャケ美味そうだな。宇多川、塩とか具現化できるか?」
玄田先輩が呑気に言い、角田先生が素手でシャケを捕まえようと水に飛び込む。エリカにとっては地獄のような魔の森も、俺たちにとってはただのピクニック同然であり、道中は何のトラブルもなく進んでいった。
その間、黒田先生の指示のもと、俺たちは手頃な木の枝を削って頑丈な松葉杖を作り、エリカに渡した。
「すまない、何から何まで……」
松葉杖を突き、不織布マスクを大切に懐に仕舞ったエリカを連れて、遠征隊はついに腐海の森を抜けた。目の前に現れたのは、巨大な石造りの大防壁――オルト・リ王国の東国境である。
魔の森で死んだと思われていた高潔な女騎士の帰還。しかも、お姫様の難病を治す伝説の薬草を携えての生還。本来なら国を挙げての大歓声で迎えられるはずだった。
だが、王宮の謁見の間で俺たちを待ち受けていたのは、冷酷な政治の現実だった。
「お前のような一騎兵が、不浄な森から持ち帰った正体不明の草を、直ちに姫様に飲ませるなど言語道断である!」
豪華な毛皮を羽織り、冷笑を浮かべてエリカを見下ろす男がいた。 国の実権を握る公爵、グラス・アルデバラン。
現在、この国はお姫様の難病によって王権派が失脚しかけており、このままいけばグラス公爵が国の実権を完全に掌握するはずだった。世論もそれを確実視していた。しかし、エリカが薬草を持って帰ってきたことで、王権派が復活してしまう。 それは公爵にとって、絶対に阻止せねばならない事態だった。
「しかし、公爵閣下! これは間違いなく、姫様の病を退ける伝説の――」
必死にすがるエリカの言葉を、公爵は傲慢に遮った。
「黙れ! 処方と言うからには、しかるべき手続きが必要だ。その花は一度、この私、グラス・アルデバランが預かろう」
公爵の目的は明白だった。預かったフリをして花を枯らすか破棄し、後から「お前が持ってきた花は、まったく効かなかった。ただの雑草だ」と言い張って王権派にトドメを刺す気なのだ。
「そんな……っ!」
絶望に顔を歪めるエリカに対し、公爵は無慈悲な命令を下した。
「不確かな噂を信じて軍令を無視し、魔の森へと勝手に足を踏み入れた罪は重い。エリカ・アーケンハイム、お前を本日付で王宮護衛隊から除隊とする! 直ちにその不浄な花を渡し、この場を去れ!」
騎士の誇り、祖国への忠誠、そしてお姫様を救いたいという純粋な願い。 そのすべてが、一人の権力者の身勝手な陰謀によって踏みにじられた。
エリカはガタガタと震え、松葉杖を握る手に血がにじむほど悔しさに耐えていた。 その様子を、謁見の間の後ろに控えていたボランティア部の面々は、静かに見つめていた。
「……おい、降太」
赤城が低く、怒りを孕んだ声で俺の肩を叩く。
「あの調子ぶっこいてる髭オヤジ、一発殴ってきていいか?」
「待て、赤城。ここは異世界の王宮だぞ」
俺は赤城を宥めつつも、胸の中でふつふつと湧き上がる不快感を覚えていた。せっかく赤城が崖の上から土ごと引っ剥がしてきた奇跡の薬草を、政治の道具で枯らされてたまるか。
理不尽な現実を突きつけられたエリカと、静かにキレ始めたボランティア部。 異世界の大国を揺るがす、新たなカオスの火種がパチパチと音を立てて燃え上がり始めていた。




