摩利支天の宴④
♩つなぐ
屋上に吹く風が止まった。
いや、
正確には誰も風を意識しなくなった。
それほどまでに、
階段の奥から現れた人物には妙な存在感があった。
その客は古びたシャツを着ていて
年齢は分からない。
若くも見えるし、
何十年と生きているようにも見える。
国籍も分からない。
何より不思議だったのは、
誰もその人物を知らないのに、
全員どこかで会った気がしたことだ。
マロンが珍しく言葉を探している。
「えっと……予約の方ですか?」
客は首を横に振った。
「違う。」
声は静かだった。
「ただ、灯りが見えたから来た。」
チャンはウィンストンのループを楽しんでいる。
ボスは言う
「それだけで来れる場所じゃないだろここ。」
客は少し笑った。
「そうだな。」
「昔は来れなかった。」
その言葉に、
なぜかボスだけが反応した。
「昔?」
「うん。」
客は夜景を見下ろした。
「昔は有名になりたかった。」
誰も喋らない。
「認められたかった。」
「大勢に見てもらいたかった。」
「拍手が欲しかった。」
まるで独り言だった。
「でも全部手に入れた後で気付いた。」
マロンが静かに聞く。
「何を?」
客は答えた。
「面白かったのは途中だった。」
遠くで犬が鳴いた。
「何者でもなかった頃。
仲間と馬鹿な話をしていた頃。
金も無くて。
未来も見えなくて。
でも何かを作ろうとしていた頃。」
客は少し笑った。
「一番面白かったのはそこだった。」
その瞬間、
誰も言葉を返せなかった。
マイナーディズニーランドには、
そういう話がよく落ちている。
成功談よりも、
途中の話。
ゴールよりも、
道中の話。
完成品よりも、
作りかけの話。
マロンはグラスを傾けた。
「なるほど。」
「だからこの場所が残ってるのか。」
この街では毎日何かが生まれ、
毎日何かが消える。
バズった店。
流行ったアーティスト。
話題になった物語。
それらは光のように現れては消えていく。
だが、
この古いビルだけは残った。
成功者が集まるからではない。
挑戦した人間が帰ってくるからだ。
すると、
今まで黙っていたジンが口を開いた。
「ところであなた、名前は?」
客は少し考えた。
本当に少しだけ考えた。
そして答えた。
「忘れた。」
全員が吹き出した。
「忘れた!?」
「うん。」
「有名だったんじゃないのか?」
「有名だったと思う。」
「たぶん。」
チャンはゴホゴホと煙を吐く。
マロンは机を叩いている。
姫も珍しく声を出して笑った。
そしてボスは、
夜空を見上げながら思った。
もしかすると、
このマイナーディズニーランドという場所は、
有名になるための場所ではないのかもしれない。
名前を忘れても、
物語だけが残る場所。
人が主人公ではなく、
時間そのものが主人公になる場所。
その時、
屋上のさらに上。
誰も上がれないはずの給水塔の上に、
いつの間にか誰かが座っていた。
月を背にして。
足をぶらぶらさせながら。
「あ。」
姫が指差した。
「また変なの来た。」
摩利支天空間の宴は、
どうやら常連よりも、
招かれざる客の方が多いらしかった。




